ショートストーリー
[ 2015.09.10 掲載 / 2018.06.06 更新 ]
ブースターパックとスターターデッキのバックストーリーです。
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より細かいストーリーや背景設定について触れたい方は、
英雄達の記録やおもな登場人物などの項も合わせてご覧ください。
[ 2018.06.06 追記 ]
・誓約舞装編の物語掲載を開始しました。
B08 神祖の胎動
「聞いてよイラ! 奈良の遺跡で仮面が見つかるかもって話、前にあったじゃない?
音沙汰ないと思ったら、白の世界に横取りされちゃってたみたいなんだけど!」
「知っているわ。
円卓会議の財力を使って世界中のそれらしい遺跡を発掘し尽くしたにも関わらず、
1枚たりとも見つけられなかったのに……。皮肉なものね」
「仮面を回収したのは、十二使徒 宝瓶宮ガムビエルって天使みたいよ」
「何で知ってるの、ルクスリア!?」
「インウィディアには内緒にしてたけど、トーチャーズたちに調べさせたのよ。
イラちゃんが神戸でオディウムを暴れさせて、白の世界の気を引きつけている隙にね♪」
「ずるい! どうしてふたりだけで楽しんでるの! どーーーーして私だけ、のけものなのよっ!」
「なんとなく?」
「なんですとー!?」
「それにしても……。
仮面を回収するために村をまるごとひとつ全滅させるなんて、天使のくせにやるわね」
「ほんっと、邪悪な天使がいたものねー♪
インウィディアはあの仮面が欲しかったんだっけ?」
「そりゃそうよ! どうせ奴らには区別なんてつかないだろうけど、
アレはオリジナルの嫉妬の仮面(レヴィアタン)、神祖の仮面なんだから!」
「残りの6枚に興味持たれたら面倒だし、見過ごすわけにはいかないか。
嫉妬の仮面だけならどうでもいいやって思ってたけど♪」
「どうでもよくない!」
「うるさいわよ、インウィディア。
これ以上、他の世界に先を越される前に、あの男に集めさせればいい。
……元々、あの男が探して来たものなんだから」
「黒崎神門の暗殺は後回しでいいの?
だったら、オリジナルの仮面の残り6枚を探し出すよう、指示しとくけど」
「天使のとこにある仮面はどうしよっかー」
「フフフ、それなら、私にいい考えがあるわ」
[ 並行世界 Y.T.編 ]
Illust. 近衛乙嗣
C08 英雄王の進撃
時は神祖の仮面が発掘される1ヶ月ほど前まで遡る。
神戸市街の高級ホテルにて、赤の世界と白の世界の同盟締結祝賀パーティーが行われていた。
会場にはそうそうたる顔ぶれが並んでいる。
白の世界からは四大天使ウリエルの名代として、ミカエルとその配下たち。
そして有事への備えだろうか、いかつい鎧をまとったガーディアンが会場四隅に控えていた。
ほとんど身動きしないため、一見するとオブジェのようでもある。
「どうして! なぜみんな平気な顔をしているの!」
「またおまえは……いいからこっちへ来い」
「いーやー! カニが! カニを食べないでー!」
騒ぎ立てる十二使徒ムリエルを、十二使徒ウェルキエルが引きずって行った。
余談だが、彼女の訴えかけが功を奏したのか、この日は誰ひとりカニ料理を口にできなかったという。
そして、赤の世界からはヴェルダンディ、ラクシュミー、ミネルヴァといった高貴な女性陣。
天使と女神たちが醸し出す豪華絢爛で綺羅びやかな雰囲気など意に介せず、
ステージ脇には普段通りの格好をした、ふたりの男性が控えていた。
「他国の強豪を目の当たりにしながら、武を競えぬとはな」
「ここはそういう場ではない。おとなしく飯でも食ってろ」
シャツに白衣姿の黒崎神門はアレキサンダーを一瞥すると、マイクを手に取りステージへ上る。
「静粛に、諸君。
本日は高貴なる白の世界と勇猛なる赤の世界の同盟締結祝賀パーティーへ出席いただき感謝している。
我が名は黒崎神門、九大英雄アレキサンダーの軍師にして四大天使ウリエルに同盟を持ちかけた者だ」
神門の言葉を受け、白の世界の一部の者がざわついた。
白の世界の頂点に立つウリエルと交渉を行った者が、非力な人間だったからだ。
しかし、戸惑いの声はミカエルの制止で、すぐに静まることとなる。
「これより四大天使ウリエルが提示せし、白の世界と赤の世界の同盟条項を読み上げる。
一.赤の世界は、青の世界の青い巨人、
対天使用決戦兵器・超鋼神器ローレンシウムの破壊に加担すること。
一.白の世界は、赤の世界による東征を阻害しないこと。
以上の条件下において、両陣営の同盟は無期限に締結されるものとする」
Illust. 萩谷薫/工画堂スタジオ
C09 妖艶なる魔力
吹き抜けとなっている会場中2階のテラス。
そこから、拍手が沸き起こる空間へ鋭い視線を向ける人影があった。
タキシード姿の会場スタッフになりすまし潜入した、天王寺大和だった。
スコープから覗く照準の中央には黒崎神門の眉間。
しかし、そう離れていないステージ脇には九大英雄アレキサンダーがついていた。
いかに精密な射撃をしたところで、弾丸の接近が察知されてしまう可能性は高い。
わずかなりとも英雄王の隙を突く必要があった。
刹那、グラスや陶器類が砕け、床に四散する音が響いてきた。
「粗相をしてしまいました。ごめんあそばせ」
「ディアボロスだ! 黒の世界のゼクスが忍び込んでいるぞ!」
うやうやしくお辞儀するクレプスの角と翼に気づいたガーディアンが声を荒げる。
会場内すべての意識がクレプスへ向かい、騒然となった。
「ガーディアン部隊! ミカエル様をお守りしつつ退避せよ!」
ウェルキエルの号令を受け、4人のガーディアンがミカエルの元へ走る。
一方、それより早くアレキサンダーはクレプスに迫っていた。
大和にとって絶好の条件がそろった瞬間だった。
「Au revoir」(オー ルヴォワール:さようなら)
神門の生命を絶つことになるだろう凶弾が発射された。
しかし、直後の大和の表情は浮かない。
トリガーを引くコンマ5秒前、胸ポケットの携帯電話が振動し始めたからだ。
それは百目鬼財団上層部へ直通している、極めて非常時にしか使用されない緊急回線だった。
わずかな空気の揺らぎを察知したアレキサンダーが、
前方にクレプスを見据えたまま、後方へ向けて槍を振り払う。
衝撃波は弾丸を呑み込むと弧を描き、大和が潜んでいたテラスを破壊した。
「お騒がせしました。ごきげんよう」
失敗を察知したクレプスがアレキサンダーの目の前で、空気中に溶けこむようにして消え失せた。
「狙いは俺だったということか。何者だ……?」
「侵入者め、逃がさん。建物ごと潰してくれる!」
◆ ◆ ◆ ◆
夜闇に紛れて逃走した天王寺大和とクレプスは、
街を見下ろす高台から崩れゆくホテルを眺めていた。
「絶好の機会を逃してしまったわね。ル・シエル、何があったの?」
「インウィディアからの連絡だ。黒崎神門の暗殺はしばらく凍結するらしい」
「どうして?」
「分からん。南アフリカへ飛べ……だそうだ」
[ 並行世界 Y.T.編 ]
Illust. 桐島サトシ
B09 覇者の覚醒
私はカール・ワイバーン。
北アーカム大学で並行世界について研究している物理学者だ。
先日、ブラックポイントが密集する日本へ活動拠点を移した。
さて、我々が過ごしている現代はブラックポイントの発生以降、
5つの未来世界とつながっている。それゆえ、
5つの未来世界から現れたゼクスたちが混在していることは周知の事実。そしていずれは、
5つの未来世界の勢力いずれかが台頭し、その世界の未来へと収束してゆくはずだ。
だが、高度な異文明の接触による影響力は計り知れない。
敵性種族に対抗するための “力の覚醒” など、まだ見ぬ事象が誘発されることも考えられる。
彼らの勢力争いが熾烈さを増すことは、もはや避けられないだろう。
一方で、
5つの未来世界すべてが共存可能な新たな道が開ければ、
極めて平和的な “第6の未来世界” が訪れる可能性もゼロではない。
すべては特異点たちの選択にかかっている。
極めて平和的な “第6の未来世界” とはいかなるものか、具体例を示そう。
あくまで例えばの話だが、そこでは様々な女性型ゼクスたちが出場し、
己の美を競い合うミスコンテストが開催されている。
「なぜ妾が表彰台へ上がれぬのじゃ!? 何者かの陰謀が蠢いておる!」
「これが嬉しいという気持ち……? それとも悔しい……? よく分からない……」
「出場者の女子力の高さには感服しました。私から祝福の風を届けましょう」
「みんなのおかげでアタシが優勝よ! みんな愛してるわー♪」
「ソーマソーマ! 3位の賞品になまはげ1年分もらったゾ! これって美味しいのか?」
フフフ。
……おっと、いかんいかん。
このような世俗まみれの仮説を立てたとエルに知られたら、父親としての威厳が失墜してしまうではないか。
君、この件についてはくれぐれも他言無用で頼むよ。
Illust. 碧風羽
B10 真紅の戦乙女
本棚が立ち並んだ小綺麗な部屋に、電話が鳴り響く。
理知的な表情の若い男が、コール1回目で受話器を取った。
「はい、こちら自衛隊北九州方面隊」
20代前半くらいに見えるその男は、書類の束に囲まれながら、気怠そうな声を絞り出す。
代理とはいえ、責任者の部屋へ直電を寄越してくる相手の想像はついていた。
『俺だ。ちょっといいか』
「はあ……やはり軍師殿ですか。
今回はどのような厄介事の連絡です?」
黒崎神門はまるで人ごとのように淡々と要件を告げ始めた。
『そう遠くないうちに緑の世界のホウライが遠征してくる』
「これまた骨が折れそうですね」
ホウライは緑の世界の主力種族。
北海道・東北地方を拠点としているため、ここ九州で見かけることは滅多にない。
しかし、洗練された武術は赤の世界の主力・ブレイバーにも決して引けを取らないという。
『いや、自衛隊は干渉するな。高千穂は……宮崎は奴らに与えてやれ』
「どういうことです?
多数の戦力が軍師殿に取られてますから、
正面からやり合っては損耗激しいことは間違いありませんが」
『緑の世界に黒の世界攻略を手伝わせる交渉をしてきた。信長の尻拭いついでにな。
宮崎と引き換えに、北海道と東北北部が我々のものとなることも内々に決定した』
「なっ……軍師殿はいったい何を考えているんです!」
個人の判断で一地域がやりとりされようとしている。
神門の意見や主張には度々驚かされてきたが、もはや常識では計り知れない。
男は海よりも深いため息をついた。
「自衛隊北九州方面隊最高責任者の命令は絶対です。
……それが首都東京の奪還につながるのですね?」
『そういうことだ』
「分かりました」
『もうひとつ。間もなく青の世界と緑の世界のゼクス使いが北九州へ入る。
留守番だけというのも暇だろう? そいつらの相手でもしておけ』
決定事項のみが伝えられ、電話は切られた。
一呼吸置き、男は軽装の鎧を纏った女性が背後へ控えていることに気づく。
「そこにいましたか。話は聞いていましたね?」
「高千穂は赤の世界のブラックポイントにほど近い土地です。
他勢力へ引き渡してしまうのは、あまりにリスクが高いと思いますが……」
「……いや。交換材料となった東北北部も、緑の世界のブラックポイントと近い。
軍師殿には我々の予測も及ばぬような、最善の策があるのでしょう」
男は神門のことをよく知っていた。
だからこそ、苦々しい表情を浮かべた。
「それが聡明たる出雲の下した判断であれば、私もまた従いましょう。
では、さっそく行って参ります」
「頼みます。ジャンヌ・ダルク」
Illust. 小林智美
剣淵相馬は憤慨していた。
「優鉢羅(ウッパラカ)や阿那婆達多(アナヴァタプタ)は北海道を奪還しようと躍起になってるのに、
八大龍王の男どもはどいつもこいつも! 無関係じゃねえだろ! なんで協力しねえんだ!」
「ムカつくゾ!」
「娑伽羅(サーガラ)の親父について尋ねた時も、興味なさげだしよ。アイツら人間じゃねえ!」
「人間じゃねえ!」
人間離れした人間・相馬が、人間ではないゼクスたちの悪態をついている。
パートナーゼクスのフィーユもまた、相馬の怒りに同調した。
「……ところで、なあ、フィーユ。
人間の女みてえな、しゃべるプラセクトって知ってるか?」
「そんな虫まで集めたいのか? 趣味悪いゾ、ソーマ!」
問いかけの趣旨を曲解したフィーユが、髪の毛と尻尾を逆立て、嫌悪感を表す。
「ちげえよ! 人型なんて、虫取りの範疇超えてるだろ!
……徳叉迦(タクシャカ)がそんな感じのヤツと、一緒にいたらしいんだよ」
「それならアタシはこの前、難陀(ナンダ)が赤の世界のゼクスやゼクス使いと一緒にいるの見たな」
「何だと?」
自身が聞き回って集めた情報と、不意にフィーユからもたらされた情報。
相馬は神妙な顔つきで、呟くように調査結果を再確認する。
「難陀や徳叉迦の怪しげな動き、
そして、何者かに殺された娑伽羅の親父と険悪だったっつー摩那斯(マナスヴィン)。
やっぱりあいつら、3人そろって何か隠してやがるな。だが、何をだ?」
相馬は考えた。
相馬は一生懸命考えた。
相馬はかつてないくらい考えた。
相馬は過ぎたことを思い悩まない、サッパリした性格である。
従って、事件の推理などできるはずもない。
思慮深い表情はすぐに消え失せた。
「だあああ! 分かるか! オレは探偵じゃねえんだよ! 行くぞ、フィーユ!」
「どこへだ?」
「イマイチ気乗りしねえが、ほかに当てもねえ。一度顔を拝んでみようぜ」
「誰の顔だ?」
「甲虫女王ヘルソーン。しゃべるプラセクトだ!」
Illust. 堀愛里/株式会社日本一ソフトウェア
リゲルとあづみはついに九州へ上陸した。
旅の目的地《高千穂》は、もう間近。
「ふんふんふーん♪」
あづみが病から解放される日も近いと思うと、敵地でありながら心躍ってしまう。
ふもとの街での買い出しを終えたリゲルは、鼻歌交じりに無人の山小屋へ戻って来た。
今晩の宿と決めた場所だ。
「ただいまー。夕飯はあづみが好きなシチューにするからね」
身体が温まる食べ物を好むあづみは、シチューやカレーが特に大好物。
長旅でリゲルの料理スキルも、かなり上達していた。
あづみの笑顔は約束されたも同然だった。
しかし、リゲルを出迎えてくれるはずの、パートナーの姿がない。
「あづみ?」
小屋の裏手にも、屋根の上にも、床下収納の中にも、あづみの姿はなかった。
疑問がやがて不安になる。
リゲルは調達した食材を置き去り、夕暮れの空へ飛び出した。
「あづみーーーー!」
『リゲル!』
探し求める者の声がリゲルの耳元で響いた。
カードデバイスを通じてパートナー同士が行える通信機能である。
リゲルにとっては数時間後に感じられたが、実際は飛び出してから数分後のことだった。
「心配したわ。どこにいるの?」
『ごめんなさい……わたしっ!』
『各務原あづみは預かった』
通信にあづみ以外の者の声が割り込む。
非日常的なフレーズにリゲルの表情が凍りついた。
『投降せよ、青の世界のバトルドレス。
我は剣武を極めし、創星六華閃レーヴァテイン』
『及び、九大英雄ジャンヌ・ダルクです』
『24時間以内に姿を現すことだ。素直に従えばこの者に危害は加えない』
リゲルが脳内データベースを検索し、九大英雄という言葉を探し当てる。
豪傑ぞろいの赤の世界でも、屈指と謳われるブレイバーたちらしい。
創星六華閃は検索から漏れたが、九大英雄に比類する新しい言葉だろうか。
『リゲル! 来ちゃ……だめ!』
あづみの声で我に返る。
重要なのは敵の正体ではなく、あづみがその敵の手に落ちたという事実。
襲撃を想定していないわけではなかったが、旅の終わりを意識し、油断していた。
『条件が呑めなければその時は……分かっているな?』
「待って!」
カードデバイスの通信はそれきり途絶えた。
逆探知で相手の居場所は特定できたが、勢力の大きさや目的は、まったく分からない。
しかし、危険の有無などリゲルには関係なかった。
「やってくれるじゃない……。
パーミッション! mode.3 ツインミーティア!」
ウェポンクラウドからデータが転送される。
青から赤へ、リゲルのバトルドレスが変貌した。
「……あづみは私が取り返す。必ず!」
沈みゆく夕日を受け、赤いドレスは紅に染まっていた。
Illust. 藤真拓哉
こつーん、こつーん。
ウリエル配下の十二使徒 白羊宮マルキダエルが、長い階段を恐る恐る下りてゆく。
普段、地上で《封印の神殿》の門番をしている彼女は、神殿地下からの轟音を聞きつけ、
様子を見に来たのだった。
「何事もないといいけど〜」
「メェ〜」
照明代わりに連れてきたオーラを放つ眷属の羊も、不安そうな鳴き声をあげる。
やがて、ひとりと1匹は “ソレ” があるはずの広間へたどり着いた。
「たいへん〜」
扉が破られていた。
無論、単なる扉ではない。
白の世界の大罪人を閉じ込めている禁忌の扉。
終末をもたらすとされる、最悪のエンジェルを封印しているはずの扉が破られていた。
「わたし門番なのに〜。ウリエル様に何て報告すれば〜」
「そのウリエルはどこだ?」
ぶっきらぼうだが、少女のような声色。
マルキダエルは背後から突然掛けられた声に驚き、振り返る。
しかし、眷属の羊から放たれるオーラは何者も照らさない。
一閃。
赤い光が疾走ったような気がした。
「コッチダ、ウスノロ!」
「メ゛エ゛ェ〜!」
「ランプちゃん〜!」
甲高い声と断末魔の叫びが交錯し、周囲がふっと暗闇に包まれる。
眷属の羊が精神を砕かれ、消滅したのだった。
「こんなものか、十二使徒」
「ガッカリダゼ」
暗闇の中、おそらくすぐ近くにいるだろう少女の名を、マルキダエルは知っている。
湧き上がる恐怖を押し留めつつ、自身の輪っかや羽根を発光させ、相手を照らし出した。
「終末天使……メタトロン……」
しなやかな緑色のロング髪、背負った赤い大鎌、残虐性を滲ませる不敵な笑み。
ウリエルの所在を尋ねてきた声は、この少女から発せられたものだろう。
もうひとつの、甲高い声の主は周囲に見当たらない。
「おまえにはウリエルの居場所を吐いてもらおう」
マルキダエルは踵を返し、全力で階段へ翔ぶ。
白の世界を脅かす一大事を、誰かに知らせなければならなかったからだ。
「まあ待てよ」
しかし、一瞬で回り込まれて階段への道を塞がれてしまう。
「久しぶりに解放されたもんだから、身体がなまっててな。肩慣らしに付き合ってくれないか」
「う、ウリエル様〜」
赤い大鎌をマルキダエルの首にかけ、メタトロンはぞっとするような冷たい声で語りかけた。
「話ができなくなっちゃ困るからな」
「シヌナヨ?」
Illust. 七六
C10 孤高の反逆者
「ガムビエルが神祖の嫉妬の仮面を被って、魔人化したそうね」
「そうよ! どうしてくれんのよ!」
「自業自得。あなたが中途半端な仕事をしたせい。偽物をつかまされるなんて、聞いて呆れるわ」
「ぐぬぬ」
「私、知ーらない♪ って訳にもいかないか」
「ええ。早急に回収した方がいいわね」
「取り返すの手伝ってくれるの? ありがとう! ルクスリア! イラ!」
「そんなわけないじゃない。
神祖の嫉妬の仮面はもう手遅れ。残りの神祖の仮面を回収するのよ」
「ひどい!」
「他の世界の手に渡るくらいなら、私たちが保管すべきよね♪」
「ずるいずるーい!」
「うるさいわよ、インウィディア。そうなると問題はアイツね……」
Illust. 碧風羽
「インウィディアを泳がせておいたのは失策でした。
仮にも七大罪の名を冠する者が天使相手に遅れを取るなど、予想外です。
いえ、彼女の場合はさすがと言うべきでしょうか」
「天使の方は後回しで構わん。
見過ごせぬのは憤怒と色欲が神祖の仮面に目をつけたことだ。
神祖の驕傲の仮面の在処に目星がついた頃合いだけに、尚更鬱陶しい」
「誰がためにある力か、理解してないのでしょう」
忌々しそうに吐き捨てたのは驕傲の魔人スペルビア。
その言葉に同調したのは強欲の魔人アワリティア。
ともに黒の世界の頂点に君臨する最強のディアボロス、七大罪と呼ばれる存在である。
「吾輩こそ七大罪最強にしてさらなる力を持つべき者なり。
驕傲の魔人スペルビアに楯突く身の程知らずどもめ、思い知らせてくれようぞ!」
ふたりは強大な力を秘め、ディアボロスの生誕に関わるとされる、
7枚の《神祖の仮面》回収を秘密裏に行っていた。
表面上は協力関係を保っているが……。
(クク、愚かなものですね、スペルビア。
いずれこの私が華麗に総取りするとも知らずに!)
アワリティアもまた底知れぬ野望を抱いている。
「最初の標的をどいつにしたものか。
真っ先にイラを潰し、戦力を削ぐのもつまらんな」
「そのことですが。
色欲の魔人ルクスリアに姉がいるのをご存知ですか?」
「ほう」
アワリティアが1枚の写真をスペルビアに差し出す。
そこには日傘を差して夜闇を彷徨う、紫髪の少女の姿があった。
「ソリトゥスという名の出来損ないのディアボロスです。
お館様ならば、容易に利用できるのではないかと」
「色欲の余裕の表情が苦悶に滲むというわけか。
残酷なものだな……ファファファ!」
Illust. BISAI/工画堂スタジオ
「あれは! もしかして!」
「ソトゥ子!」
ふよふよと空を行く黒い物体を弓弦羽ミサキが指差し、サー・ガルマータがその者の名を叫ぶ。
ミサキやガルマータとは “深夜の仕事仲間” であり、
かつて孤独の魔人と呼ばれていたこともあるディアボロス、ソリトゥスであった。
ふたりの声に反応し、ソリトゥスが地上へ降り立つ。
「みさきち…ガル君。こんなところで…どしたの?」
「どうもこうもありません!
急に消息を断ってしまったから、あちこち探してたんですよ!」
「ミサキはツアーも中断してしまった」
「そっか……。私のために…ごめんね」
「そのことはいいです。
それより! 悩みを打ち明けてください! 協力しますから!」
真剣な呼びかけに、しばし思案するソリトゥス。
そしてその口からは、ミサキが予想だにしなかった言葉が紡ぎ出された。
「じゃあ…あいつ殺すの…手伝ってくれる?」
「殺す、だと?」
「事情を聞かせてください」
「私には…妹がいた」
いまからそう遠くない未来で起きた出来事を、ソリトゥスは語った。
黒の世界は快楽を渇望するゼクスたちにより、血と死に塗れている。
世界が暗転する以前より、傷つき傷つけ合う争い事を極端に嫌っていたソリトゥスは、
せめて人間のまま生涯を閉じられるようにとの両親の計らいで、海辺の豪奢な屋敷へ幽閉された。
ソリトゥスは同年代の友達がいない孤独さに苛まれつつも、
気遣ってくれる使用人や近海に棲む動物たちの優しさに触れ、平穏な暮らしを送っていた。
しかし、ある日のこと。
すでにディアボロスとなっていた妹が屋敷を訪れ、
嫌がるソリトゥスに無理矢理、興味本位で仮面をかぶせてしまったのだ。
仮面の力が誘う破壊衝動と、仮面を拒む彼女自身の意思のせめぎ合いは、自我を崩壊させた。
程なくして暴走するに至ったソリトゥスは、すべてを無に帰してしまった。
愛していた両親や屋敷の使用人たちをも巻き込んで……。
そして彼女はディアボロスとなった。
「私は妹に…贖罪させる。死をもって。協力…してくれる?」
ソリトゥスは微笑んだ。
それはミサキやガルマータが初めて目にする “悪魔の微笑み” だった。
「馬鹿なことはやめてください!」
「なにが…馬鹿なの? なぜ…止めるの?」
「道を踏み外そうとしている友達がいるんです。止めるのは当たり前です!」
ソリトゥスの手を取って訴えるミサキ。
しかし、その手は乱暴に振り払われた。
「そんな友達…いらない。いっそ、みんな…いなくなっちゃえ……」
突如、ソリトゥスから吹き出した殺意の奔流がミサキを襲う。
ミサキをかばったガルマータが苦悶の表情を浮かべつつ、ソリトゥスへ懇願した。
「やめてくれ! 君は憎しみに捕らわれるような子ではない!」
「この手で…全部…壊した。優しかった両親も…みんなみんな、殺した。
あの時、ルクスリアも殺しておけば…後悔せずに済んだ……。分かったよね? これが…本当の私」
「違います! 先日までの自分を、思い出してくださいっ!」
「忘れて…ない。悪くない夢…だった」
「ミサキ、まずいっ。これ以上は……ぐぬっ」
「ソトゥ子さん!」
「みさきち、ガル君」
想いや願いを呑み込み、すべてが消し飛んでゆく。
「さよなら」
数刻の後、砂埃が渦巻く荒れ野の中心にソリトゥスは佇んでいた。
暗く淀む空を見上げ、呟く。
「いますぐ…お姉ちゃんが…行くからね? ルクスリア……」
Illust. 桐島サトシ
「あなたたち、生きてる?」
「けほっけほっ。はい、なんとか」
地中から這い出してきたミサキへ、七大罪 色欲の魔人ルクスリアが声をかける。
ふたりはソリトゥスの殺意の奔流が暴走する直前にガルマータが開けた穴へ逃れたものの、
大量の土砂により生き埋めとなってしまったのだった。
「でも、ガル君がひどい怪我を!」
「問題ない、かすり傷だ」
「とどめはおろか生死の確認さえしないなんて、片手落ちもいいとこ。……あの子らしいけど」
苦笑いを浮かべるルクスリア。
以前会話した時のような覇気がないと、ミサキは感じた。
「うちのソリトゥスが迷惑をかけたわね」
「おふたりはご姉妹ですよね? なぜこんなことに?」
「恨んでるのよ。私を」
「詳しく聞かせてください。迷惑ついでです」
「なかなか言うのね、ミサキちゃん。
いいわ。あなたには知る権利がある」
ミサキのリクエストに応じ、ルクスリアは語り始めた。
それはブラックポイントが開くよりも前の話だという。
「ソリトゥスは誰より優しい子だった。けれど、臆病者でいつもおどおど。
いちいち言葉を選んでからしゃべるのも、そのせい」
「あのスローなしゃべりは、そういう」
「最近はずいぶんマシになってたけどね。……仕方なかったのよ。環境が彼女をそうさせた」
「どこかの屋敷に幽閉されていたという話ですか」
ルクスリアがうなずき、自らの仮面を手に取った。
「黒の世界は暴力に支配されてるわ。
死を拒むなら、人間を超越した力を手にするしかない。魔人になるとかね。
うちは裕福だったから、希少な仮面を家族全員分手に入れることができたみたい。
でも、心の弱いソリトゥスは、仮面の力を制御できない。
きっと意思を乗っ取られちゃうって、両親は気づいたのね。
だから彼女には仮面を与えず、地図にも載ってないような孤島で匿うことになったの。
ディアボロスやプレデター、ノスフェラトゥたちの脅威にさらされることなく、
せめて人間としての生を全うできるようにって」
「なるほどな」
「だけど、まだ子供だった私には、その親心が理解できなかった。
誰よりも幼くして魔人となり、少しばかり力を得たからって、浮かれてたのね。
両親に連れられて久しぶりにソリトゥスと対面した私は、こう言ったわ」
「お姉ちゃんだけ人間のまま、長生きできないなんて可哀想。一緒にディアボロス、しよ?」
「……断られた。人間でいい。人間のままがいいって」
「いかにもソトゥ子さんが言いそうです」
「お願いを聞いてくれないことにむくれた私は、お姉
……ソリトゥスの寝込みを襲ったの。両親が隠した仮面を持ち出してね。
事態に気付いたソリトゥスは湧き上がる破壊衝動を抑え込もうとしたけど、
抗いきれずに自我を崩壊させ、屋敷もろとも周辺一帯を吹き飛ばしたわ」
「それで、ご両親を亡くされたのですか」
「いえ? 両親は怯える私を連れて、焼け落ちる屋敷から一緒に脱出してるわ。
ただ、私たちのため脱出口をつくってくれた使用人たちが逃げ遅れて……。
彼らの死をきっかけに、ソリトゥスは魔人になったの」
「実は先程、ソトゥ子さんからも経緯を聞きました。
ですが、おふたりの話には微妙な食い違いがあります。
彼女はご両親を殺めたこと、とても悔やんでいましたよ?」
ミサキの指摘に、ルクスリアが首をかしげる。
「そんなはずないわ。あの子は誰も殺していない。
使用人が亡くなったのだって、少なくともあの子の意思じゃない」
「では、ご両親は存命なのですか? 会わせてあげれば正気に戻るかも!」
「残念だけど、もういないわ。まったくの別件で殺された。
黒の世界ではありがちな、取るに足らない事故に巻き込まれて、あっけなくね」
「そ、そうですか。やけに淡白なコメントですね」
「普通よ。私は黒の世界の住人だもの」
そっけないルクスリアの言葉にたじろぐミサキの胸元で、
携帯電話の着信メロディー《シャイニング・エンジェル》が鳴った。
『はい、弓弦羽ミサキです』
会話が途切れたのをきっかけに、ルクスリアもまた思案を巡らせる。
情報の相違。豹変する人心。人の弱みを突いてくる出来事。
嫌がらせの手口に、覚えがあるような気がしていた。
『なに言ってるんですか。無茶じゃないです。いいですね?』
強気な口調でミサキが電話を終えると同時に、ルクスリアの思案も、ある結論へ至っていた。
「……黒幕はあいつか」
「何者だ?」
「七大罪 驕傲の魔人スペルビア。ふたりとも、心当たりない?」
「最近のソトゥ子さんは “ヴィア” って名前の方と行動してるはずです。
確かその人はディアボロスだとも言ってました。もしかして!」
「やっぱり。
きっと記憶が曖昧なのをつけこまれて、スペルビアに都合のいいよう、あれこれ吹聴されたのね。
ほんっと他人を疑うこと知らないんだから、あの子は……!」
「当然ですよ。ソトゥ子さんですもの」
「……ま、いずれにしても種を蒔いたのは私。
再会した時、あの子が記憶を失くしていたのをいいことに、真実を伏せて、目を背けた。
そのツケが返ってきたのかな」
己に言い聞かせるよう、ルクスリアは暗く淀む空を見上げ、呟いた。
「潮時ね。血にまみれた、魔人の宿命かしら」
「ソトゥ子さんは破滅や死を、他人の不幸を望みません!」
「そうよ。なのに私は、あの子をディアボロスにしてしまった。恨まれて当然よね」
真剣な面持ちのルクスリア。
しかし一転、いつもの飄々とした笑顔に戻ると、ミサキへ告げた。
「さーて! 軽く殺されてくるわ。後のこと、お願いね♪」
「冗談じゃありません。“ソリトゥスを、信じてあげて” ください!」
それは徐々に能力を開花させてゆく姉の行く末を予感した妹が、
有事の際も変わらぬ関係を願って、姉の友人へと送った言葉。
「まさかそれを、そのまま返されるとは思わなかったわ」
ルクスリアがミサキとガルマータの手を取る。
数刻前の悲痛な決心は払拭され、声色に迷いはない。
「ケジメ、つけよっか!」
Illust. 緋色雪
衝撃に驚いた鳥たちが一斉に飛び立った。
舞い上げられた土煙と木の葉の中を、ソリトゥスが悠々と歩いてゆく。
数十メートルに渡ってなぎ倒された木々の行く先に、宿敵である妹が倒れていた。
ソリトゥスはルクスリアへ問う。
「最期に…言い残すこと…ある?」
冷徹な視線を投げかけつつ、ソリトゥスの口元はにやついている。
「妹を痛めつけて、楽しい?」
「うん。それもあるけど……。一度でいいから…さっきのセリフ…言ってみたかった」
「殺し合いの最中に緊張感のない子ね。だったら私も、さっきの答え、訂正するわ」
ルクスリアはゆらりと立ち上がり口の中の血を吐き出すと、
余裕の笑みを浮かべながら、目前のソリトゥスへ告げた。
「この程度なの? お、ねー、ちゃん♪」
「う゛う゛う゛……。ルクスリアぁぁぁぁアァァァァ!!」
「二度目の姉妹喧嘩、もっと楽しみましょ」
孤影の幽囚と化したソリトゥスといえど、本来は不老不死と呼ばれる七大罪の敵ではない。
だが…… 殺したい という、単純ながら強い想いから繰り出される執拗な攻撃は、
防戦に徹するルクスリアの生命を、着実に削っていた。
(ここまで敵意を向けられると、さすがに……へこむわね)
それでもルクスリアは反撃しない。
ミサキに言われた通り、そして自ら願った通り、必ず元に戻ると信じているから。
しかし、スペルビアの妄言に囚われた姉は、妹の言葉に耳を貸そうとしなかった。
固く閉ざされたソリトゥスの心の扉を開く、鍵がない。
「哀れな姫たちを救うため、白馬に乗った王子様でも現れないかしら」
◆ ◆ ◆ ◆
「私を侮るな!」
槍の一閃。魔人の姿をとっていた半透明の《影》が四散する。
掻き消えた《影》の向こう側にいた男と、ついにふたりは対峙した。
だが、禍々しい気配をまとった男は、背を向けたままだ。
「貴方が諸悪の根源ですね?」
ルクスリアと別行動を取っていたミサキとガルマータのふたりは、
数日に及ぶ捜索の末、ついに敵の居場所を突き止めたのだった。
「それなりの実力はあるようだな。白の世界の者よ。
吾輩を七大罪 驕傲の魔人スペルビアと知っての狼藉か?」
「初めてお会いしますが、すぐ分かりました。いかにもな悪者口調でしたから」
「ファファファ。言ってくれるわ」
ミサキの挑発をスペルビアは一笑に付した。
いかにも驕傲の魔人らしい傲慢な態度だ。
「用件を申してみよ」
「ソトゥ子を元に戻してもらおう!」
「ソリトゥスの仲間か? はたまたルクスリアの差金か?
残念だったな。おまえたちの願いが叶うことはない」
振り向いた仮面の男スペルビアが、禍々しいオーラを増大させる。
オーラから分離するようにして半透明の《影》がふたつ、スペルビアの左右へ出現した。
「本気を出した吾輩を、貴様らごときが倒せるなどと思わないことだ。
……とでも言うんですか? そんなもの、やってみなくちゃ分かりません。
守ることしか知らなかった私が、いま本気で敵を倒したいと思っているんですから!」
「いかにも。吾輩は強い。それは認めよう。
だが、おまえたちは根本的な勘違いをしている」
「何だと?」
「例え吾輩を殺めたところで、憎しみに囚われた者の心が穏やかになることはない。
おまえたちの声がソリトゥスへ届くことなど、永遠にないのだ!」
「なんということだ……」
「その可能性は考えていました。でも、いいです。
いずれにせよ、この後、私が取る行動は変わりませんから」
うなだれるガルマータとは対照的に、ミサキは力強い一歩を踏み出した。
「あなたを1発殴らないと、気が済みません!」
Illust. 安達洋介/工画堂スタジオ
ミサキの振るう拳がスペルビアに向かって繰り出された。
インパクトの直前、スペルビアはゆらりと1歩動き、身体を反らせる。
拳はまたもや空を切った。
「どうした小娘。足元がふらついているぞ。
あれから5分経ったが、たった一撃、たったの一撃が我輩に届かぬようだな」
一方、精神の鎧を纏ったガルマータは2体の《影》の相手をさせられていた。
倒しても倒してもスペルビアのオーラから新たな《影》が生み出され、
ミサキの援護に回ることができない状況だった。
「飽きたな。終わりにするか」
ぽすんと、乾いた音が響く。
静止したスペルビアの下腹部に、よろけるミサキの拳が命中していた。
「気が済んだか?」
ミサキの頬を一筋の涙が伝う。
「ファファファ。不満そうだな!
しかし、我輩にも七大罪の立場というものがある。やられたからには反撃せねばなるまい」
スペルビアの周囲に漂っていたオーラが無数の剣を形取り、
生命を刈り取るべく、四方八方からその切っ先をミサキへ向ける。
だが、その無数の剣はことごとくガルマータの槍さばきによって弾かれた。
「ミサキ、逃げろ!」
「よそ見をしていていいのか?」
「がはっ」
「ガル君!」
「背中が、がら空きだ」
ガルマータは背後から《影》に貫かれた。
続けざまに、弾いた無数の剣の切っ先すべてがガルマータを滅多斬りにする。
致命傷を受け、ガルマータの精神の鎧は消失してしまった。
「ガル君!!」
「我輩に楯突いた傲慢を、あの世で悔いるといい!」
「ソトゥ子さん……私、悔しいです……。
あなたのため、怒りをぶつけることさえままならない」
無数の剣がふたたびミサキへ狙いをつける。
だが、それらは目的を果たすことなく一斉に消失した。
スペルビアの表情が苦悶に滲む。
「背中が、がら空きだったぜ」
「いつの間に……ただの人間が吾輩の背後を取っただと?」
「悪いな。オレはただの人間じゃねえんだ」
「剣淵さん!」
樹人化した剣淵相馬がスペルビアの背を斬り裂いていた。
ミサキやガルマータと同様、夢の中でソリトゥスの異変を目の当たりにしていた彼は、
ソリトゥスとスペルビアの捜索に協力してくれていたのだった。
「強欲は何をしている!」
「ソイツならいまごろ、オレの自慢の虫たちやフィーユと遊んでるぜ。
欲張りそうなヤツだったからな。これでもかってくらい置いてきた」
「くっ……肝心な時に役に立たん。
どうやら分が悪いようだな。この場は引き上げてやろう。
だが、忘れるな。最後に笑うのは吾輩と決まっている。おまえたちの願いは叶わんのだからな!」
「私だけの願いなら、そうだったかもしれません。
でも、ソトゥ子さんにはたくさんの友達がいるんです。願いは叶います!」
「戯言を。束の間の勝利にせいぜい酔いしれるがいい。ファファファ!」
翻されたマントの中へ、スペルビアは姿を消した。
「何が最後に、だ。さっそく笑ってんじゃねえか」
「来てくれて助かった、相馬。
私はもう少し、攻めの戦いを学ばねばならないようだな……」
ミサキに助け起こされたガルマータが、相馬へ向かって頭を垂れる。
相馬がガルマータの肩をつかみ、激しく揺さぶった。
「テメエらもテメエらだ! 合流する手筈だったろうが!
せめてオレが着くまで会話を引き伸ばして、待ってろよ!」
「すまない。そして痛い」
「ていうか弓弦羽! 生身でゼクスに殴りかかるとか馬鹿じゃねえのか!?
あと少し遅かったら、取り返しのつかないことになってたんだぞ!!」
「ごめんなさい。どうしてもスペルビアが許せなかったんです」
「謝ればいいってもんじゃねえ! 反省しろ!」
「はい……。でも、来てくれて、私の代わりに怒りをぶつけてくれて、ありがとうございました!」
「お、おう」
不意にシャイニングスマイルを直視させられた相馬は口ごもり、顔を背けた。
いつまで経っても女性慣れしない男であった。
「おーい、ソーマ! アイツ、どこか消えちゃったゾ?」
ミサキたちが入って来た裏口とは逆側の大きな扉が勢い良く開くと、
相馬のパートナーゼクスである猫耳のライカンスロープ、フィーユがひょっこり顔を出した。
扉の隙間をすり抜け、多数のプラセクトが相馬の周りへ集まってくる。
「ご苦労だったな、オマエたち。じゃ、ルクスリアんとこ急ぐぞ!」
「あちらには “最強の助っ人” が向かっています。
きっと……たぶん……おそらく……大丈夫だと思いますが、一応、急ぎましょう」
「おいおい、頼りねえな!」
「ホントにソイツ、最強なのか?」
「ソトゥ子さん次第です」
◆ ◆ ◆ ◆
ソリトゥスとルクスリアの間の地面に “白い何か” が突き刺さっている。
「遅くなりました」
背中に大きな翼、頭に輝く光輪、まばゆく壮大な後光を背負い、
天使と呼ばれる存在が “白い何か” の隣へ降り立った。
あまりにも突然の来訪者。
呆気に取られるルクスリアをよそに、天使が “白い何か” をつつく。
「何をしているのです、飛鳥。みっともないですよ」
「アホかい! 死ぬかと思うたやろ!」
「うっかり手を離してしまいました」
地面から頭を引き抜きざま、
フィエリテと呼ばれた天使に悪態を飛ばした “白い何か” こと少年の正体は、天王寺飛鳥。
ソリトゥスがおおっぴらに想いを寄せる人物である。
「あすか…くん?」
声に反応し、ソリトゥスが視線を向ける。
「ぐはっ、あばら折れとる。おっとそれどころやないな。
ソトゥ子ちゃん、聞いたで! 馬鹿なことはやめとき!」
「馬鹿なこと? なぜ? 私…ルク…スリア、殺さないと…いけないのに……。
なのに、どうしてみんな…やめろって…言うの?」
「んなもん、決まっとる。ソトゥ子ちゃんらしくないからや!」
「私らしく……? うぅ……」
ソリトゥスの意識に隙ができた一瞬を、ルクスリアは逃さなかった。
彼女へ飛びつき、力いっぱい抱き寄せる。
「っ! はな…して!」
「だーめ♪」
「私は…おまえを! あなた…を……」
「私をどうしたいの? ううん、私にどうされたいの?」
「……ころ…………す…………けて……」
「聞こえなーい。意味わかんなーい」
「……す…けて。
たすけて…………ルクスリアっ! 」
「よくできました」
涙ぐむソリトゥスの耳元で、ルクスリアが何事かをささやく。
「……………」
「ふぁ……っ」
するとたちまちソリトゥスは脱力し、その場へへたり込んだ。
ルクスリアが改めてソリトゥスを抱き止める。
先刻とは逆に、とても、優しく。
「お姉ちゃんが私に勝てるわけないじゃない。そんなのは夢よ」
「ソトゥ子ちゃん!?
うぉい! そこのツノ生やしたいかがわしい格好のヤツ! アンタいま、何したんや!?」
「狂気へ帰ろうとしていた意識を、正気へ引き戻しただけよ。
この子はとても優しい心の持ち主だから、破壊衝動に耐えられない。
だから拒否反応で暴走するし、力を使い果たした後は反動で昏倒してしまうの」
ルクスリアはそう言って、愛おしそうにソリトゥスの頬をつついた。
姉より小柄な妹だが、言われなければどちらが年上だか分からない。
「もうひとつ聞いてもええかな」
「私の下着の色が気になるのね! ケダモノ!」
「飛鳥、おしおきされたいのですか?」
「ち、ちゃうわ!」
「ミサキちゃんから切羽詰まった感じで呼び出されたから、
フィエリテはん急行でカッコ良く駆けつけたんやけど。
僕が何もせぇへんうちに、解決してもうたんか?」
「格好良さは微塵も感じられませんでしたが」
「フィエリテはんのせいやろ!」
「帰っていいわよ。骨折り損だったわね♪」
「やっぱしかーーーー! ……ま、ツノのアンタも含めて、みんな無事みたいで良かったわ。
後は僕がバイトさぼったの、怒られればええだけやし! ははっ! はあ……」
飛鳥がソリトゥスに視線を落とし、小さく呟く。
「ほんまにな」
墜落したり、地団駄を踏んだり、初めて会った相手の無事を喜んだり。
何かとオーバーアクションな飛鳥を見て、ルクスリアがひとりごちる。
「孤独だったソリトゥスが、目を離せないわけよね。
妹の言葉には耳を貸さなかったってのに……まったく。
インウィディアじゃないけど、嫉妬しちゃう」
◆ ◆ ◆ ◆
「ソトゥ子さんをよろしくお願いします」
「ミサキちゃんのライブにも、また行くわ!」
「……ったく。オレだってヘルソーン探しで忙しいってのに、とんだ寄り道食っちまったぜ」
「相馬きゅん、私のものになる約束も忘れないでね♪」
「んな約束してねえよっ!」
相馬とフィーユは東北へ、飛鳥とフィエリテは関西へ、ミサキとガルマータは次のライブ会場へ。
それぞれが在るべき場所へ帰ってゆく。
「おやすみなさい。またね」
西の空へ消え行く影が見えなくなるまで、ルクスリアは手を振っていた。
「友達、か」
丸1日経っても、ソリトゥスは目を覚まさなかった。
不相応な力を無理矢理振るわされ、心身共に大きな傷を負ってしまったからだ。
相馬がしぶしぶ差し出した商売道具のカードデバイスでキャプチャーされた彼女は、
ミサキの強い申し出により、飛鳥へと託された。
「さて……と。今度は自分の心配しなくちゃかな?」
ルクスリアは仰向けにその場へ倒れ込んだ。
ソリトゥス全力の攻撃を数時間に渡って受け続け、限界が近い。
並のディアボロスだったら、とっくの昔に絶命していたことだろう。
「強がってたけど、キツイわね。七大罪ってツラいわー……」
この姿をスペルビアに見つかれば、ひとたまりもない。
なるべく遠くへ移動し、しばらく身を隠す必要がある。
だが、しかし――
「……う」
ルクスリアの意識は、そこで途絶えた。
Illust. 安達洋介/工画堂スタジオ
B11 神子達の戦場
「俺は当プロジェクトの責任者、カノープス。
念のため、各自コードネームを名乗ってくれ」
「僕はアルタイルだ」
「ポラリスじゃ」
「デネボラです」
「皆、危険なプロジェクトへの協力感謝する。
ここまで長かったが、最終フェイズへ移ろう」
「関係者全員が集うのは初めてじゃな。
シャスターに隠れて通信できる時間は限られておるが、先に確認事項のある者はおるかの?」
「最後にもう一度だけ、確認させてくれますか。
このプロジェクトは本当に、人類のためになるんですね?」
「もちろんだ、デネボラ。おまえだって痛感しただろう。
機械に完全管理された環境は、人類の成長と進化を阻害する」
「そうですね……。分かりました、覚悟を決めます。
科学の発達した未来は、こんなにも窮屈だったと、在りし日の幼い私へ教えてあげたいものです」
「ほんとだよ。そんな風にしたのは、まさに僕らなんだけど」
「子供時代か。俺の場合は、ろくな想い出がないな。
アルタイルとの出会いがなければ、孤独な最期を迎えていたことだろう」
「長い付き合いだけど、趣味はとことん合わなかったよな。親友なのにさ」
「親友? やめろ、気色悪い。さて、雑談している時間も惜しい。
偽装は幾重にも施してあるが、いつシャスターに傍受されるかも分からん。
我々が果たすべきミッションを手短に説明しよう。ポラリス、頼む」
「我々7人のアドミニストレータが設計したシャスターは
そのミラーを含め、全7機が各アドミニストレータの元にある。
これらをすべて同時に叩くのが、プロジェクトの概要じゃ」
「7つの心をひとつに! だね!」
「ほかにも3人の協力者がいるのですか?」
「うむ。まず我々で4機。ソル、ベガ、アルクトゥルスの元にある3機は、
カノープスが並行過去世界で運用実験を行っていた三神器、
ローレンシウム、サイクロトロン、シンクロトロンに破壊させるのじゃ」
「私も設計に関与したシンクロトロンが、この計画のためのものだったなんて驚きです」
「僕たちがこうしている間にも、並行過去世界では僕とカノープスとデネボラさんが、
メタルフォートレスに乗って戦ってるのか。何だかワクワクするよ!」
「妾だけ、のけものなのは寂しいのう」
「しかし、私たちはともかくメタルフォートレスは、
シャスターに接近した時点で、停止させられてしまいませんか?」
「三神器には精神力を動力に変えるシステムが組み込まれておる。
そしてクローンではない生粋の人間を、シャスターは制御できん。
並行過去世界のパイロットたちに協力を仰がねばならんな」
「並行過去世界ってことは子供時代の僕だろう? それなら喜んで協力するはずだ!」
「私もきっと承諾するでしょう。パパさえ説得できれば、ですが」
「雷鳥はどうだろうな。あいつ素直じゃないから」
「馬鹿、名前を口にするな! ……ヤツならどうとでもなる。
犠牲を払う覚悟でここまで来たんだ。その程度の問題、訳もない」
「犠牲だなんて、またまたー。聞いてよみんな! カノープスはね?
この計画を推進するため僕にマーメイド支援活動を休止しろと言っておいて、
こっそりメタルフォートレスの一個艦隊をプレゼントしてくれたんだ。
おかげで、マーメイドの戦力が格段にレベルアップしそうだよ!」
「実験中の機体が、たまたま洋上で事故を起こしただけだ」
「カノープスはツンデレじゃからのう」
「違いないです」
「くだらん無駄口を叩くな。
決行の日時は追って連絡する。ミーティングは以上だ」
「私たちが創ったシャスターを自らの手で破壊するのは、とても悲しいことです。
ですが、人類のため敢えて鬼になりましょう」
「今、人の未来を人の手に取り戻す!」
「ふふ。アルタイルよ、まるでおぬしがリーダーみたいじゃな」
「だって、燃えるじゃないか! 正義の革命だよ、これは!」
「熱くなるのはいいが、力み過ぎぬようにな。
では、皆の者、通信を切断するのじゃ。またの」
「目指せハッピーエンドデース!」
デネボラの声を最後に画面が暗転し、静寂が訪れる。
ひとりになったカノープスのアバターは、ぽつりと呟いた。
まるで、自分に言い聞かせるように――
「そうさ。革命に犠牲はつきものだ。
並行過去世界の俺たちには、同情を禁じ得ない」
Illust. 山田J太
「北海道を奪還したいのです、和修吉(ヴァースキ)」
和修吉、その名は八大龍王最強を意味する。
そして、八大龍王はモウギと呼ばれる神木を祀るホウライの名門一族の総称。
優秀な武術の一派としても名を馳せており、細かな教えはそれぞれ異なる。
薄布越しの面会を許された、同じく八大龍王の一角・優鉢羅(ウッパラカ)は、
赤の世界の侵略にさらされる北海道の現状に関して直訴し、協力を仰いだ。
「こんな大切な時期に、難陀(ナンダ)たちは何をしているのでしょう」
緑の世界において、彼らが顔を合わせる機会は通例の行事か稽古試合くらいのものだった。
だが、このところ難陀、徳叉迦(タクシャカ)、摩那斯(マナスヴィン)の3名を中心に、
何事かを企てている気配がある。優鉢羅はその点に疑念を抱いていた。
問いかけに対し、冷たい女性の声が紡ぎ出される。
「彼らは高千穂の攻略を進めています。間もなく最終局面です。
あなた方こそ、この大切な時期に何をこだわっているのですか?」
優鉢羅は和修吉が事の次第を周知した上で、なおかつ彼らに与しているという事実に驚かされた。
だが、軽く眉をひそめただけで表面上はあくまで冷静さを保っている。
「お言葉ですが、北海道および東北は、我々がようやく手にした肥沃な大地。
同胞たちの多くが定住を見越しています。ならば死守すべきは道理かと」
「高千穂の奪還が成就されれば日本全土、いえ、すべてが我々のものとなります。
お忘れですか? 我々は彼の地に根付く神木モウギから御力を授かっています。
大樹の繁茂は我らが願い。民草など捨て置きなさい」
「大樹への信奉は失っておりません。高千穂の重要性も理解しています。
ですが、それ以前に我々はホウライを束ねる長なのです」
「感情に流されるようでは、精進が足りませんよ。
話し合いの余地はなさそうです。下がりなさい、優鉢羅」
「……承知しました。この件は我らだけで対処します」
「お待ちなさい。ひとつ言い忘れていました」
立ち去ろうとする優鉢羅の背中へ、和修吉が声をかける。
「大樹の眷属と行動を共にするゼクス使いが、活動を開始しました。
彼女らの邪魔をしないよう “お仲間” へお伝えください。
これは忠告ではありません。警告です」
「……まさか。剣淵殿!」
Illust. こちも
「やっと着いた! あー疲れた!」
八大龍王のひとり、跋難陀(ウパナンダ)が大きく伸びをする。
北海道が赤の世界の信長軍に強襲を受けていた頃、緑の世界を出発した2隻の船があった。
太平洋側を回った船は、駐屯地化を見越していた和歌山で、白の世界に進軍を阻まれている。
しかし、日本海側を経由していたもう1隻が、ついに北九州へ到着したのだった。
「でも、ここからの陸路が長いんだよ。あーもう。僕も南航路で行きたかったな」
「文句を言うな。ワシらは粛々と任務を果たすのみ」
不平を漏らす小柄な少年・跋難陀を、強面で大柄な老人・摩那斯(マナスヴィン)が諭す。
両者とも八大龍王の看板を背負った実力者だが、傍目には孫と祖父のようにも見えた。
「おまえらが緑の世界のサムライか!」
そんなふたりの前に、朱い武者鎧を纏った大男が立ちはだかった。
物陰からも数名。彼らのいでたちはホウライのそれと似ているが、雰囲気が違う。
言い表すなら、静と動。荒々しい闘志を剥き出しにする彼らは、赤の世界のブレイバーであった。
「よう来たな! 儂の名は坂田金時! がはははは!!!
たったふたりで遠征とはな! 面白い! 相手してやろう!
がはははは!!!」
降って湧いた大声での牽制に、摩那斯が訝しげな表情を浮かべる。
「はて。伝書によれば、自衛隊北九州支部との交渉が成立しているはずだが?」
「奴らが勝手に行った取り決めなど知らぬわ!
儂らは儂らの好きなようにやる!」
血気盛んなブレイバーたち、その数10名。
彼らは黒崎神門による統制を嫌い、自由気ままに暴れ回る者たちであった。
「八大龍王ふたりを、たったの10人で抑え込めると考えるのも愚かだが――」
「おーい! みんなも! 出てきていいよー!」
跋難陀が沿岸の船に向かって声をかけると、控えていたホウライたちが次々と飛び出してきた。
数にして、ざっと100名が海岸に沿って横一線に並ぶ。
「――敵戦力を見誤る愚かさは、致命的」
「おっと。思ったより大勢いたな! がはははは!!!」
「何より最大の愚行は、大樹の恩恵を肌に感じるこの地で、ワシに剣を抜かせたこと」
摩那斯が大振りの木剣を鞘から引き抜いた。
モウギの枝から削り出され、八大龍王のみ所有を許される宝具のひとつ《十束剣》である。
いつの間に登ったのか、跋難陀も樹上から宝具《雨弓》の狙いを定めていた。
「数人付き合ってくれる? せっかくの他流試合だしね」
跋難陀の呼びかけに、数名のホウライたちが前へ出る。
「高千穂獲りとは腕がなるぜ。まずは熊狩りといこうかね」
「いざ、尋常に!」
「試合だの勝負だのと、生ぬるい!
心に刻め! 儂らは無敵のぶれいばぁ! がはははは!!!」
赤と緑の武士(もののふ)たちが、いま、激突する。
◆ ◆ ◆ ◆
「いよいよモウギの目前か。……気付いておるか?」
「もちろん。ブラックポイントから溢れ出すリソースに紛れて、ね。
この前のゴロツキなんて目じゃない、とんでもない力を感じる」
「彼奴らとて、個々の力は大口を叩くほどであった。相手を選べばな。
あるいは各々が主張し過ぎなければ、いくばくかはまともに戦えただろう。
慢心は身を滅ぼす。おぬしも八大龍王の名に泥を塗るような真似をせぬようにな」
「やだなあ、爺ちゃんの心配には及ばないよ!」
摩那斯の言葉を軽く笑い飛ばした跋難陀。
しかし、その表情がたちまち緊張で引き締まる。
「……来ちゃったか。遊び気分じゃいられない相手が」
「SHAGYYYYYYYYYY!!」
その羽ばたきで強烈な突風を撒き散らしながら。
焔のように紅く鋭利な鱗を光らせるゼクスが、ふたりの前へ降り立った。
その名は、ジュザー・ハトゥム。
ギガンティックの中でも最凶と名高い、竜のような姿を持つ個体である。
「暁十天か。相手にとって不足無し」
◆ ◆ ◆ ◆
「首尾はどうだ?」
竜眼で摩那斯と跋難陀の様子を伺っていた徳叉迦(タクシャカ)に、難陀が問う。
うっすら開いていた彼の双眸が、ふたたび閉じられた。
「蛮族に襲われる一幕はありましたが、赤の主戦力は静観。
概ね黒崎神門との取引通りです……が。
ブラックポイント周辺を根城としていた暁十天と接触した様子」
「摩那斯と跋難陀ならば、なんとかするだろう」
「多少の計算違いはありましたが、ここまで上手く事が運んだのは、
紅姫の祖先に悟られることなく計画を進行できたからかもしれません。
ククク。あづみという少女、思ったより役に立ってくれました」
以前、あづみの病気の進行を留め彼女らの信頼を得た徳叉迦は、
病気治癒の鍵がモウギにあると告げ、青葉千歳も旅に同行するよう仕向けた。
すべてを見通す彼だからこそ、予期される障害を遠ざけられたのだ。
「さて、高千穂を貰い受けましょう」
「征くぞ、大樹の元へ!」
Illust. 匈歌ハトリ/工画堂スタジオ
C11 正義の鉄槌
十二使徒 獅子宮ウェルキエルと十二使徒 巨蟹宮ムリエルを退けた後も、
《蒼い神器》ローレンシウムを破壊しようとする白の世界の執拗な攻勢は続いていた。
「あーん、くやしい!」
「やっぱり馬鹿なのに強い!」
「馬鹿なのに!!」
十二使徒 双児宮アムブリエルによる二度目の襲撃を追い返したこの日、
正義の使者セイント・レイに指令が下った。
近く、三神器のパイロットである戦斗怜亜、雷鳥超、獅子島七尾の3名に
新たなミッションを課すため、当面は名古屋防衛の任を解く。
英気を養っておくように……という内容だった。
「獅子島さんはともかく、雷鳥も一緒に? フェクダさん、どんな任務ですか?」
「説明しよう!
……と言いたいところだが、残念ながら詳細は知らされていない。
それから! 私のことは《司令官》と呼ぶように言っているだろう!」
「以後気をつけます、フェクダさん!
ところで名古屋の防衛は大丈夫ですか?」
「白の世界からの尖兵迎撃は、ほかのメタルフォートレスたちに任せればいい。
君は気にせず、慰安旅行でも楽しんで来ることだ。
休暇も重要な任務だぞ! ははは!」
唐突に与えられた、正義の使者の春休み。
怜亜は週末の連休を利用して、遠方へ足を伸ばしてみることにした。
ひとまず、同じく青の世界勢力圏内である上信越方面へ向かう。
「せっかくの旅行なんだから、獅子島さんも誘えば良かったな」
飛行するローレンシウムのコクピットでスナック菓子を頬張りながら、怜亜は呟いた。
「おや? セントレイは私とふたりきりの旅が、お気に召さないのかな?」
「イヤじゃないけどさあ。人数は多いほうが楽しいじゃん」
「HAHAHA! そういうことにしておこう!
だが、レーベ君はセーラ君との先約があるようだったぞ」
「そういえば獅子島さん、倉敷と一緒にいるんだっけ」
怜亜にとっての世羅は、不運をもたらす恐るべき幼なじみ。
なるべく関わり合いになりたくないと、常々思っている。
しかし、記憶の中の彼女は、泣いていた。
ゼクス使いとして再会しなければ、知ることのなかった顔。
どういうわけか、未だに鮮明な記憶として残っている。
「お母さん、見つかってないのかな。可哀想だな……」
もう少し手伝ってやれることがあったんじゃないのか。心がズキンと傷む。
怜亜が胸を押さえた、その時。
けたたましい警報とともに、コクピットが赤い光に包まれた。
「どうした!? ローレンシウム!」
「なあに、大したことじゃない。
セントレイの心拍数上昇に合わせ、演出してみたのさ!
妄想も、ほどほどにしておきたまえ」
「余計なお世話だ!!」
「ついでに前方から未確認ゼクスの反応あり。接近中だな」
「そっちを先に言えよ!!」
ローレンシウムをカードデバイスへ格納した怜亜は、物陰に隠れて上空を見上げた。
しばらくすると、北東の空から白い翼のゼクスが何かを抱えながら移動してきた。
「白の世界のゼクス。エンジェルだな!」
「あいつら、こんなとこまで追いかけてきたのか!?」
「いつもとは別個体のようだ。セントレイ、間もなく射程範囲へ入る。
私をアクティベートしてくれたまえ。デコピンで撃ち落とすぞ!」
怜亜は少々思案を巡らせた後、口を開いた。
「いや、見つかったわけじゃないし、やり過ごそう。静かにしてて」
「HAHAHA! 相変わらずセントレイは甘ちゃんだな!
スィィィィィィィツジャスティィィィィィィス!!」
怜亜はカードデバイスを地面へ叩きつけた。
「アウチッ!」
「うるさいってば! 見つかっちゃうだろ!!」
やがて天使の影が西の空へ溶け込んで見えなくなると、
怜亜は押し殺していた息を大きく吐き出した。
「顔は見えなかったけど、男の人が胸の大きな女の人に、お姫様抱っこされてたね」
かくいう怜亜も、学芸会で似たような境遇を味わった経験がある。
あれは相当に恥ずかしい。泣きたくなるほど恥ずかしい。
同情心から、怜亜は西の空へ向かって敬礼した。
そんな折、ローレンシウムからさらなる警告がもたらされる。
「北東に、新たな未確認ゼクスの反応あり」
「また!? 今度もエンジェルなの?」
「違うようだぞ。反応は微弱。どうやら虫の息らしいな。
私のジャスティススピリットはトドメを刺せと告げているが、どうする、セントレイ?」
「気になるな。行ってみよう」
Illust. 山田J太
「ん……うーん……」
息苦しさを感じた怜亜は、夜中に目を覚ました。
目の前で、ゆるい丸みを帯びた “なにか” が揺れている。
それはまるで、胸の大きなお姉さんの大きな胸のように思えた。
胸だった。
暗闇の中、床で毛布をかぶって寝ていた怜亜に覆いかぶさる体勢で、ルクスリアが見下ろしている。
「わわわ! なにしてんのさ、ルクスリアさん!?」
「助けてくれたお礼をしなくちゃ」
「お、お礼って!?」
「とっても、い・い・こ・と♪」
平均的な小学4年生と比べ、ややませている怜亜少年は、一歩先をゆく想像をしてしまった。
とっさに赤面した顔を背けようとするが、視線は一箇所に釘付けのまま。
結果、首と眼球を痛めた。
「いて、いてて。いや、いいよべつに!
胸の大きなお姉さんが倒れてたら助けるのは、人として当然だもの!」
「それなら、この胸にも感謝しなくちゃ♪」
「あああ、違うだろ! どんな相手でも助けるよ! なに言ってるんだよ、僕は!」
怜亜は四つん這いになったルクスリアの下から這い出し、部屋の明かりをつけた。
だが、露わになったルクスリアの衣服があまりに刺激的だったため、即座に消灯した。
平均的な小学4年生と比べ、ややませているといっても、まだ子供なのだ。
「明かりを消して、私をどうするつもり!?」
「どうもしないよ!」
「うそよ! 抵抗できないのをいいことに、私の初体験を奪っておいて!」
「えっ!? もしかして、僕、寝ぼけてなにかした!? ご、ごめんなさい!」
「これまでにも、数えきれないほどたくさんの男からの誘いを断ってきたのに、
いざその時が来てみたら呆気なかったわ。
まさかこの私がこんな小さな子に…………………………キャプチャーされるなんて」
「紛らわしいよっ!」
ナイトキャップを床に投げ捨てた怜亜の反応を見て、ルクスリアはけらけらと笑った。
昼間の弱々しかった姿がうそのようだと、怜亜は溜息をついた。
「でも、本当に助かったわ。怜亜君が見つけてくれなければ、きっと死んでたもの」
「完治するまで、カードデバイスに入れたままにできれば良かったんだけどさ、
青の世界に知られちゃうのは、まずいよね」
怜亜が普段使用しているカードデバイスは青の世界の支給品。
本来の用途以外のことに使用していれば、追求される可能性がある。
ローレンシウムの意見を受け、帰宅してからは怜亜のベッドに寝かせていた。
もちろん家族には秘密である。
『れいあー。部屋に誰かいるの?』
「なんでもない! ねぼけてた!」
心配した母親が階下から声をかけてくる。怜亜はあわてて扉を開け、否定した。
「私が怖くないの?」
「どうして?」
「襲うかもしれないわよ」
「しないよね?」
即答だった。
子供が相手の本心を見抜くというのは本当かもしれないと、ルクスリアは思う。
違う意味で襲いたくなる衝動を、珍しく理性で抑え込んだ。
「我ながら威厳のなさは由々しき問題ね。
これでも、黒の世界を支配する7人の偉い人のひとりなのよ?」
「えろいひと!!!!」
『いい加減にしなさい、れいあ!』
「ごめーん!」
ふたたび階下へ向かって叫ぶ。怜亜が興奮するのも無理はない。
ルクスリアの言葉を信じるならば、黒の世界は7人のえろい人に支配されているのだ。
もちろん事実とは異なる。はずである。
ふたりは声をひそめた。
「ま、私みたいなのは例外だから。
これからは知らない女の子に油断しちゃダメよ? 特に黒の世界のゼクスには」
「ほんとに例外なの? いちおう、ふたり目なんだよね」
ということは、ひとり目が本命で、私のことは遊びだったのね!
……と続けようとしたものの、またも理性を働かせたルクスリアは口をつぐむ。
なんとなく、怜亜の言葉の先が気になったからだ。
「前にもディアボロスを助けたことがあるんだよ。
リソース切れになりかけながら、ふらふら名古屋の空を漂っててさ。
少し、ルクスリアさんと似てる気がする。ソリトゥスって名前、聞いたことある?」
「知ってるわ。そんなに私と似てる?」
「うん。性格とか雰囲気がね! ……って、あれ?
どうしていま、似てるって思ったんだろ。よく考えたら全然違った」
怜亜が首をひねる。
ふたりの明らかな類似点と言えば、胸の大きさくらいのものだった。
「ありがとね」
「え、なにが?」
「なんでもないわ。
さてと! そろそろ帰るから、窓を外してもらっていい?」
帰ると言いつつ、ルクスリアは怜亜のベッドへ横たわった。
言われた通りに窓を外す作業に勤しむ少年を、微笑ましげに眺めている。
両足を曲げたり伸ばしたり、バタバタさせながら。
外したガラス窓を床に置き、怜亜が振り返った。
「終わってから聞くのもなんだけど、開けるだけじゃダメだったの?」
「壊して散らかしちゃうと悪いもの」
「うん?」
「また会えたら、ちゃんとお礼するから」
「べつにいいってば」
「その時は身体で払うわ。イイ男に育っておいてね♪」
「か、からだっ!?」
「……ねえ。どうして何も聞かないの? 私、普通じゃ考えられない大怪我してたのよ」
顔を赤くして、あからさまに当惑する怜亜へ向かって、
ルクスリアは出会ってからずっと気になっていた疑問を投げかけた。
あえて、いつもと変わらぬ軽い口調で。
怜亜が腰に手を当て、自信満々に答える。
「僕は、正義の味方だからね!」
またしても、即答。
問いかけの答えとしては不十分だが、不思議と納得できた。
自分ひとりの力で生き抜かなくてはならない、それが当たり前の黒の世界。
そんな過酷な環境で過ごしてきた彼女にとって、久しぶりに聞くフレーズだった。
もしかしたら、姉とごっこ遊びをした時以来かもしれない。
「ほんとに行っちゃうの? 母さんや仲間にウソをつくのは心苦しいけど、
ルクスリアさんさえ良ければ、しばらく、かくまえるよ?」
「遠慮するわ」
いつもなら他人の迷惑顧みず居座り続け、弄り倒すところだが、
早急にスペルビア対策をしなくてはならなかった。
イラと連絡を取る必要がある。
「私は誰かのものにはならないの」
不意に、怜亜のベッドが持ち上がった。ルクスリアは頬杖ついて寝そべったままである。
「ええっ!?」
ベッドの下から現れたのは、3人のむくつけき男たち。
どこから来たのか、いつから潜んでいたのか、という怜亜の疑問も、
気味悪いほど爽やかな彼らの笑顔の前では言葉にならない。
「じゃあね、怜亜君♪」
3人の男たちはベッドを担いだまま2階から飛び降り、信じられない速さで夜闇を走り去って行った。
◆ ◆ ◆ ◆
翌朝、怜亜は深夜の喧騒と消失したベッドについて、
母親からこっぴどく叱られるのだった。
Illust. 緋色雪
B12 魔蠱の人形姫
「おまえ、下僕の管理はできるか?」
「それなりにね。最近までいくつか部隊を率いてたよ。
鬱陶しいヤツは粛清すればいいだけだし、案外楽なもんだけど?」
「難しそうだな。私の場合、そいつ以外もまとめて無に返してしまうからな」
「アハハ、そうかもね〜」
終末天使メタトロンと灰蝕の堕天使ガムビエルが談笑している。
「でも、ちゃんと手加減してあげなよ。とばっちりで死ぬヤツがカワイソウじゃないか」
「そうは言ってもな。おまえも仮面の制御に慣れてくれば、この悩みが理解できるさ」
残念ながらその内容は、他愛無い世間話とは程遠い。
次の一手への策謀であった。
「せっかく黒の世界の仮面を手に入れたんだ。いろいろ試してみろよ。
おまえは人の上に立つ器だろう?」
「それもそうだね。まずは誰で試そうか」
ガムビエルが思索を巡らせたその時。
両開きの扉を勢い良く開け放ち、部屋へ飛び込んで来る者がいた。
「ガムビエル様!」
「誰かと思えばラスダーシャンじゃないか。久しぶりだねえ」
彼女は異世界の侵略から白の世界を守るガーディアン、イヴィルベイン。
ガムビエルが十二使徒の座を追われるまでは、小隊長のひとりとして活動していた。
「血相変えて、どうしたんだい?」
「ずっと探していました! ようやく見つけました! 一緒に帰……りま……」
ラスダーシャンは再会の感動で、周りがなにも見えていなかった。
ガムビエルの隣に座る人物からあふれ出す、邪悪な気配さえ。
「ま、ま、まさか」
封印を解かれてしまったという破滅の使者。
意識した途端、ラスダーシャンの身体が恐怖に震える。
「が、ガムビエル様! 奴は最大の禁忌とされる終末天使では!?
なぜ放置しているのです! すみやかにガブリエル様へ報告を!」
「そのガブリエル様が、終末天使を復活させたんだけど?」
「な、何ですって!?」
「今となってはそんなこと、どーだっていいけどね〜」
ラスダ―シャンはガムビエルを正面から見つめた。
その瞳は一点の曇りもない。尊敬し、信頼を寄せた部隊長は、純粋なまま。
しかし、見据える先が自分と異なることに、この局面で初めて気付かされた。
「……知りたくなかった。
ガムビエル様が裏切ったというお噂は、真実だったのですね」
「いやだなあ。白の世界が僕の期待を裏切ったんじゃないか」
「もう、戻れないのですか」
「おかしなこと言うなよ。ボクは前へ進んでいるよ。ほらね?」
ガムビエルの仮面が妖しく光る。
ラスダ―シャンは身体の自由を封じられた。指先ひとつ動かすことができない。
「う……くっ!」
ラスダ―シャンは己の運命を悟った。
だが、受け入れたくはなかった。
「私をどうするつもりです? 何が望みですか?」
「ボクは何も望まないよ。キミが望むようになるんだ。ボクを求めるようになる」
「どんなに非道なことをしようと、私は光あふれる白の世界へ尽くす! 決して闇には屈さない!」
終始沈黙してやりとりを見守っていたメタトロンが、ガムビエルへ語りかける。
「我らは終末天使、おまえは堕天使と呼ばれているようだが、そいつはどうする?」
「暗黒騎士なんてどうかな?
みんな “聖なる” とか “光” って言葉が大好きだからね」
「皮肉か、面白い。どうせなら、奴らが脅威を感じるような軍隊を目指してみろ」
「簡単に言うなよな。やるのはボクなんだから。さて――」
ガムビエルがラスダ―シャンの手を取った。
彼女は恐怖に負けまいと唇を噛み締めている。
「これからキミの精神を反転させるよ。実は、初めてなんだ。
加減が分からないから、失敗しちゃうかもしれないね!」
ガムビエルが輝く笑顔を浮かべた。
「その時は、ごめんよ?」
Illust. Nidy-2D-
現役高校生アイドルの弓弦羽ミサキは、アイドルユニット《シャイニングエンジェル》のリーダーである。
彼女たちはしばらく前からテレビなどでの露出を控え、チャリティーライブの名目で全国を周っていた。
「ありがとうございましたー!」
そして、いままさに浜松会場でのラストソングを歌い終えたミサキたちが、
ステージ脇の階段から退場しようとしている。
そんな折、どこからともなく馬のいななきが聞こえてきた。
人々が注目する中、盛大な飾り付けを施された馬車がステージ中央へ “着陸” した。
会場は大型スーパーマーケットの屋上。空飛ぶ馬車が空の彼方からやってきたのである。
馬車の扉がおもむろに開き、女性と思しき人影が現れた。
それは馬車以上に豪奢な装飾を全身に散りばめ、ドレスを纏った貴婦人であった。
ステージ脇に控えていたミサキのパートナー、ガルマータが表情を固くする。
「あれは、まさか」
「九大英雄マリー・アントワネット様です!」
ガルマータが愛用しているジャージの胸ポケットから、叫びにも近い、緊張した声が上がった。
服飾職人ラグジュアリィの言葉を受け、ガルマータがシャイニングエンジェルメンバーの前へ躍り出る。
いつでも精神の鎧を装着できるよう、意識を集中させながら。
「ラグジュアリィを返してくださるかしら?」
ミサキに札束を投げつけながら、マリー・アントワネットが言った。
「ラグジュアリィさんは渡せません。お引き取り下さい」
札束には目もくれず、無表情でミサキが言った。
朗らかなアイドル弓弦羽ミサキとは異なる強い口調に、居合わせた者たちが当惑する。
「何が起きてるの? もしかしてドッキリってやつ?
ついにあたしらもメジャーな芸能人として認められたってこと?」
「ちがうとおもう」
「あれ、本物の札束じゃない? やばいよやばいよ。あんな大金、初めて見た!」
「みっともないから黙って」
ユニットメンバーの瀬戸内美波と斑鳩(いかるが)つばさが、ミサキの背後で耳打ちし合っている。
ミサキがゼクス使いであることは、世間一般にはもちろん、メンバーのふたりにもずっと隠してきた。
信用していないわけではなく、ただ単に余計な気を使わせたくなかったからだ。
「やはりあの方に逆らうべきではなかったのです……。
どうか私を引き渡してください。いまならまだ、大事にせずに済みます」
「そのお願いも聞けません」
ラグジュアリィはガルマータの胸ポケットのカードデバイスに潜んでいるのだが、
もちろん一般人にそんな想像がつくはずもない。
どこからか聞こえてきた声の所在を求め、美波とつばさが周囲を伺う。
一方、観客たちはイベントの一環か事件が起きたのかの判別がつかず、固唾を呑んで見守っていた。
「客人、とりあえず茶でも飲め」
ガルマータがマリーへ水筒のお茶を差し出す。
あくまで警戒は怠らないが、高まる緊張感を抑えなければならないと判断したからだ。
だが、マリーは受け取ったお茶をガルマータの顔面へぶちまけた。
「あつッ!」
「なんてことするんですか!」
「そのような粗茶、口に合いませんもの」
「……どうすれば納得していただけますか」
「わたくし、手荒な作法は好まないのですが――」
マリーは手袋を外すと、床へ投げつけた。
神妙な面持ちのミサキが、それを拾い上げる。
一連の動作は、決闘の申請と承諾を意味した。
「日を改めます。もはや権力・武力を行使せざるを得ないようです。
そして弓弦羽ミサキ、貴女は後悔するでしょう。あの時、素直に従っておけば良かったと」
それを最後の言葉に、マリーが馬車へ乗り込む。
馬車はビルの屋上伝いに駆けてゆき、やがて見えなくなった。
安堵の溜息を漏らすミサキやガルマータとは対照的に、騒然となるユニットメンバーや観客たち。
「いまの外人、何者!? どうして馬車が飛ぶの!?」
「マリー・アントワネットってパンがなければケーキを……の人?
そんなわけないか、歴史上の人物だもの。ばかばかしい」
「……頃合いでしょうか」
美波とつばさの疑念には答えないまま、ミサキはひとり、ステージ中央へ進む。
そして両手でマイクスタンドを握ると、観客へ語りかけた。
「心ないゼクスに傷つけられた人がいます。故郷を追われた人がいます。
そんなみなさんにも、少しずつでいい。元気になってもらいたい。そのきっかけとなりたい。
私たちシャイニングエンジェルは、みなさんの笑顔を願い、歌という手段を選びました。
ゼクスという強大な力を持つ存在を相手に戦う手段が、ほかになかったからです」
ざわついていた観客たちが、徐々に静かになっていく。
皆、ミサキの次の言葉を待っていた。
「でも、ほんとうは私、持ってるんです。その力をろくに使いもせず、ずっと逃げていました。
力を使うのは最後の最後。力を使わずとも友好的になれるゼクスだってたくさんいる。
特別な存在と思われてしまうかもしれない。嫌われてしまうかもしれない。
ほかにも、たくさんの言い訳をしながら逃げてきました」
静まり返る場内へ向け、ミサキはずっとファンへ伝えたかった言葉を口にした。
「弓弦羽ミサキは、ゼクス使いです」
Illust. 小林智美
「報せはまだか」
「思うように高千穂の攻略が進みませんね。野生化しているギガンティックが厄介です」
「やむを得まい。徳叉迦(タクシャカ)よ、儀式の準備に入れ」
和修吉(ヴァースキ)の言に、徳叉迦が眉根を寄せる。
《儀式》は赤のブラックポイント周辺を制圧してから行う予定だったからだ。
「よろしいのですか? 同胞をいたずらに苦難へ晒すこととなってしまいますが」
「どの口が言う。思ってもみぬことを、ぬけぬけと」
「血も涙もないのは、お互い様ですよ」
和修吉は先日、優鉢羅(ウッパラカ)が “北海道を奪還したい” と進言に来た際のやりとりを思い返した。
「高千穂の奪還が成就されれば日本全土、いえ、すべてが我々のものとなります。
お忘れですか? 我々は彼の地に根付く神木モウギから御力を授かっています。
大樹の繁茂は我らが願い。民草など捨て置きなさい」
「感情に流されるようでは、精進が足りませんよ。
話し合いの余地はなさそうです。下がりなさい、優鉢羅」
「……構わぬ、やれ」
「仕方ありません。久しぶりに《眼》を使うとしましょうか……」
徳叉迦が竜眼を開く時、すべてが終わると言われている。
遠見などを行う際にも彼の竜眼は開かれるが、無論、それだけで世界は終わらない。
竜眼はもっと別の、彼らが《儀式》と呼ぶほどの強大な力を秘めているのである。
解放の時は、近い。
「優鉢羅よ、北海道など瑣末事にすぎん。私にはやらねばならんことがあるのだ」
Illust. 藤真拓哉
透明なカプセルの中、小柄な少女が横たえられている。
多数のケーブルがつなげられた生命維持装置に格納された各務原あづみは、苦悶の表情を浮かべていた。
あづみのパートナーであるリゲルは両手を電子錠でロックされ、床に這いつくばらされている。
そのうえ、左右から治安維持部隊の隊員たちに拘束されていた。
無論、全武装を解除された生身の状態である。
リゲルは視線を床に落としたまま、か細い声で訴えた。
「お願いします。私はどうなっても構いません。あづみを助けてください」
「顔を歪め、涙に濡れて、髪はバサバサ。情けない姿ですね、リゲル。
感情制御プログラムを解除されているようですが、誰の仕業です?」
椅子に座ったままリゲルを見下しながら、ベガは冷たい声で問うた。
「分かりません。身に覚えがありません」
「そうですか。ですが、おおよその見当はついています。
アルタイルのマーメイド扇動といい、良からぬ動きがありますね」
シャスターの管理を嫌い海へ逃れたマーメイドたちを支援する者がいる。
その正体は、ベガとともにバトルドレスを共同開発した同胞、アルタイルであった。
しかし、マーメイドたちの急激な戦力強化は、それだけでは説明がつかない。
裏切り者がほかにもいることは、間違いなかった。
「お願いします。どうか、薬を、ください」
「貴女が離反しなければ、その娘が死の淵へ追いやられることはなかった。理解していますか?」
「……はい」
「あまつさえ緑の世界へ加担していたと聞きます。犯した罪の重大さを理解していますか?」
「…………はい。二度と青の世界の意向には逆らいません」
「解りました。各務原あづみに薬を与えます」
「……っ! ありがとうございます!」
暗闇の中で垣間見た光。
まぶしくて、思わず綻んでしまった顔を上げた。
しかし、その笑顔は直後に発せられたベガの言葉で硬直することとなる。
「ただし、貴女の記憶(メモリ)は消去します」
息を呑み、しばし逡巡した後、リゲルはふたたびうつむいた。
消えこそしなかったが、その輝きは700光年の彼方へ遠ざかってしまった。
二度と手の届かない距離である。
「様々な不祥事は忘れます。これからの活躍に期待していますよ、リゲル」
「…………………………はい」
リゲルは治安維持部隊の隊員たちに導かれ、メンテナンスルームへ向かう。
退室する際、リゲルは大切に想い続けた人物を振り返ることなく、呟いた。
「さようなら、あづみ」
部屋にはあづみとベガのふたりきりとなった。
あづみは無意識のうち、誰もいなくなった扉の方へ手を伸ばしている。
ベガは彼女が格納された透明なカプセルを恨めしそうに叩いた。
「なぜ! 私のあの子は死んだのに、どうして、この娘は生きているの……!」
◆ ◆ ◆ ◆
「緑の世界が赤の世界との抗争で勢力を減衰させています。
隙を突き、東北南部の敵勢力を根絶やしにするよう指令が下りました。
出発の準備を急いでください」
リゲルが無機質な声をあづみに投げかけた。
その視線は緑の世界侵攻の道筋を示すモニターに注がれている。
「行きたくない」
「いい加減にしてください、各務原あづみ。忘れたのですか。あなたは戦わねばなりません」
「以前のわたしなら、薬をもらうため、自分が生きるために戦う選択をした。
でも、青葉さんたちと出会い、生命の重さを知った。気軽な選択は……できない。
もちろん、いまだって死にたくないよ? ただ、どうすればいいか分からないの。
こんな時……以前のリゲルなら一緒に悩んでくれたはずなのに……。
ねえ……リゲル、どうしちゃったの……?」
「システム・ハードともにオールグリーン。私は正常です」
初めて会った時もこんな感じだったろうかと、あづみは思い返す。
いや、あの頃のリゲルは自身の感情を否定こそしていたが、心は暖かかった。
確信する。異常なのは、いまのリゲルだと。
「戸惑っているようだね」
「誰?」
声はするが、どこにも姿はなかった。
「私はアドミニストレータ アルクトゥルス。
キミが素直に私たちのために働いてくれるというのなら、リゲルの記憶について検討してあげてもいいよ」
「リゲルの……記憶を? ほんとうですか?」
「もちろんタダじゃない。場合によっては友人を手にかけなくちゃならない場面もあるだろう。
どうする? すべてはキミ次第だ、各務原あづみ」
彼がどんな表情を浮かべているかは分からない。
しかし、その声からは笑いをこらえているような含みが感じられる。
あづみは声の聞こえる方向へ、丁重に頭を下げた。
「お断り、します」
「答えを焦らなくてもいいよ。気が変わったら教えてくれ」
Illust. Nidy-2D-
C12 灼熱の暴竜
ゼクスの出現以降、めっきり交通量の減った山陽自動車道を、オリハルコンティラノが激走していた。
その背には少女と女性が乗っている。倉敷世羅とその母・倉敷美祢である。
「最初は怖かったけど、慣れるとなかなか快適ね」
「もちろん! だって、ティラノだもん!」
オリハルコンティラノの背中にくくりつけられたクッションに身体を預け、母娘が会話している。
「お母さん、ねこたちにひどいことされなかった?」
「ぜんぜん。私はカールちゃんのおうちでごはん係をしてたの。みんなよく懐いてくれたわよ」
「あれ? もしかしてあいつら、そんなに悪いねこじゃないの?」
「悪い子は悪い子ね。拉致、監禁、脅迫は重大な犯罪です!
レポーターのお仕事はできないし、局のみなさんや世羅ちゃんに、すっかり迷惑かけちゃったわ。
世羅ちゃんは絶対に真似しちゃダメよ?」
「はーい」
当時の様子を思い返した美祢が、破顔する。
「あの子たちも、偉い人の命令でやったみたいだけれど」
「えらい人? 名前知らない? せらに教えて!」
「カールちゃんに聞いてみたから知ってるけど、ダメ。
だって、教えたら世羅ちゃん、また殴り込みに行っちゃうでしょ?」
「むうぅ。悪いねこの悪い親分、ボコしたいのに!」
「せーらーちゃん! 女の子が “ボコす” なんて言っちゃいけません!」
「はーい……」
どことなく不満気な娘とは対照的に、満足気な母親だった。
「ところで、世羅ちゃん。この怪獣はどうするつもり?」
「GRRRY....?」
「あっ! えっとね、せらはティラノのお母さんなの。
えっとっ、だからっ、お母さん! これからも一緒にいて、いいよね? ね?」
「困ったわねえ。ご近所様になんて説明しよう」
美祢はおでこを抑えて心底困ったような表情をつくった。
おろおろする世羅をちらりと片目で一瞥し、問いかける。
「吠えない?」
「吠えない!」
「噛まない?」
「噛まない!」
「ごはんは何をあげてるの? 私とパパの稼ぎで賄えるかしら」
「そのへんの岩」
「ならよし! ちゃんと面倒見るのよ?」
「やったあ!」
「世羅ちゃんと一緒に、私を助けに来てくれた恩人だものね」
「良かったね、ティラノ!」
「GYAOOOON!!!!」
嬉しそうにティラノへ呼びかける世羅。
ティラノもご機嫌アピールの低い唸りを返す。
「たーだーし!
世羅ちゃんが勝手に学校をさぼった罰は受けてもらいます」
「えっ」
「勉強をこれまでの2倍すること!」
「えー!?」
「いまからちゃんと頑張らなくちゃ、九頭竜学院大学なんて入れないんだから」
「べつにそんなとこ、せら、行きたくないのに……」
Illust. 狗神煌
ふたつの陸を隔てた海峡を渡る風に髪をなびかせながら、
世羅とその母親・美祢は壮大な立体建造物を眺めていた。
交通の要所を担い、全長1,068mを誇る関門橋である。
「世羅ちゃんとティラノちゃんは名古屋を目指して、ここも走ったのね。覚えてる?」
「もちろん! ティラノはいまよりずっと小さかったけど、
急カーブやジャンプのさせ方をまだ覚えてなかったから、いろいろ踏み潰しちゃった」
「……人は踏んでないわね?」
「神戸と大阪の間で、ひとり踏み潰しそうになったけど、ギリギリ避けた」
娘が人様の命を殺めていなかったことに、ほっと胸をなでおろす美祢。
突き詰めれば余罪はいくらでも出てきそうだったが、深く考えないことにした。
「さあ、海の向こう側は九州よ。パパが待つおうちへ帰ろう」
「うん! ティラノ! アクティベート!」
「GYAOOOON!!!!」
アクティベートされたオリハルコンティラノが、ひと吠えし、首の位置を下げる。
ふたりを背に乗せるためだ。
一方、突如現れた巨大怪獣を目撃した一般市民が、蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。
周辺に阿鼻叫喚が渦巻いた。
「もうっ! ティラノは怖くないのにっ!」
「仕方ないわよ。普通の人にとってゼクスは得体のしれない “正体不明の敵” なんだから。
私だってそう思ってた」
「いまは違うの?」
「どうかな。少なくとも報道の在り方を見直す必要はあるかもしれない。
だって、ティラノちゃんみたいないい子だっているんだもの」
「むずかしいね」
「GRRR....」
高台からティラノの肩へ飛び乗ろうとする母娘。
その背中に声をかける者がいた。
「あの……すみません!」
「ん?」
「ゼクス使い様! どうか私たちマーメイドを救ってください!」
薄い赤髪の見知らぬ少女が、オリハルコンティラノの足元から世羅を見上げていた。
「マーメイドってなんだっけ」
「人魚のことよ」
「人魚姫!」
「お姫様かどうかは知らないけれど」
「見てくる!」
「待って、世羅ちゃん!」
好奇心の塊となった世羅は母親の制止も聞かず、
オリハルコンティラノの背中を伝うと、少女の隣へ降り立った。
「人魚なのに足あるよ? それより怪我してる!」
「いえ、大したことありませんから」
気丈な言葉とは裏腹に、苦痛に表情を歪めながら片腕を抑える少女の両足は、人間のそれと変わらなかった。
世羅の関心が、少女が怪我を負っているという見過ごせない事実へ移る。
「せらが治してあげる。キャプチャー!」
普段、オリハルコンティラノを格納しているカードデバイスを掲げると、光に包まれた少女は姿を消した。
リソースに満ち溢れたカードデバイスの内部にいるゼクスは、戦いで負った傷を癒やすことができる。
遅れて世羅の隣へ降りてきた美祢は、慣れた動作で未知の道具を扱う娘の様子に感心した。
「手慣れたものね」
「すごいでしょ!」
「ええ。本当に……」
自慢げな世羅とは対照的に複雑な表情を浮かべる美祢。
機械と相性最悪だったはずの娘が、精密機械をこともなげに操っている姿にも驚かされたが、
一見普通にしか見えない少女が、ゼクスであると証明されてしまったことにも衝撃を受けた。
「あなたは誰? 人魚のお姫様?」
世羅が手にしたカードデバイスへ話しかけると、少女の声が返ってきた。
「自己紹介が遅れました。私の名前はルートヴィヒ。青の世界のゼクスです」
「むっ。いいロボとわるいロボの世界だ」
「我々マーメイドは青の世界の現体制に不満を抱いています。
反旗を翻すべく立ち向かいましたが、何故かこちらの行動が筒抜けとなっており、大敗を喫しました。
味方は散り散りになり、リーダーも音信不通です……」
ゼクス相手に警戒心を強めていた美祢の表情が、ルートヴィヒの独白を受け、厳しくなる。
「つまり過激派がテロに失敗したのね」
「てろ?」
「我々としては正義の革命のつもりですが、ありていに言うとそうなります。
幼きゼクス使い様、お力添えを! 我々には協力者が必要なのです!
どうか青の世界をお救いください!」
「よくわかんないけど、いいよ!」
「いけません!」
お気楽に返答した世羅の言葉を、美祢が遮った。
思わぬ母親の反論に気圧され、たじたじになる世羅。
「で、でも、お母さん、るーとび困ってるよ?」
「困ってる人を助けようとする気持ちは、とても尊いわ」
世羅の頭をなでながら、美祢が言葉を続ける。
「でもね、彼女が良い人なのか悪い人なのかを判断する材料がない。
良い人だったとしても、なにも世羅ちゃんが動く必要はないの」
「だって、せらなら、できるもん!」
「少しくらい不思議な力が使えて、ゼクス使いなんて呼ばれても、あなたは小学生。
たった9歳の女の子が世界を救うなんて大それたこと、できるはずないんだから」
「せら、運がいいから大丈夫だよ?」
「行き当たりばったりで、全部うまくいくと思わないで!」
「でも! せんと君だって! シシシシマだって、たたかって――」
「危ないことはやめてって言ってるの!」
母親は娘を正面から見据え、声を荒げた。沈黙する一同。
止まった時間を動かしたのは、オリハルコンティラノの唸り声だった。
「GRRR....」
世羅は母親との関係を、自分とオリハルコンティラノの関係に照らし合わせる。
ティラノが危ない目に遭うことが分かっていたら、やはり全力で阻止するだろう。
母心に気付いた世羅は、もうなにも反論できなかった。
「……わかった」
「ごめんなさいね、ルートヴィヒさん。
あなただって藁にもすがる気持ちだったんでしょう。でも、ほかを当たってくれるかしら」
「いえ。こちらこそ一方的な事情を押し付けて、ご迷惑をお掛けしました。
世羅さん、でしたっけ。お陰様で傷も少し癒えました。出してもらえますか?」
「アクティベート……るーとび」
カードデバイスが発光し、ルートヴィヒが世羅と美祢の前へ再び姿を現す。
ぺこりとお辞儀をした彼女は、さっきは力なく下がっていた腕を持ち上げ、手を振った。
「ご親切にありがとうございました。さようなら」
「うん。ばいばい……」
おぼつかない足取りでルートヴィヒが去ってゆく。
世羅は拳を握りしめ、頼りなげなその背中を見つめている。
やがてルートヴィヒの姿は見えなくなった。
「ごめんね」
後ろ髪を引かれる想いを小さな胸に押し込め、世羅は関門海峡を渡る。
Illust. かわすみ/工画堂スタジオ
B13 変革の疾風
ユイは電波塔の頂から、眼下に広がる地上を眺めていた。
「青の世界は極めてハイスピードでスマートな進化を遂げた。
もう目前まで迫ってるよ。機械による絶対統制実現のね」
「なのに、ここ最近は無駄が多すぎる」
「よその可能性世界からのインタラプトも鬱陶しいけど、
身内同士の足の引っ張り合いは、どうしたことだい?」
「キラーマシーンの暴走、マーメイドの反乱、水面下の不穏な動き、
無意味なAIとメモリーを搭載したメタルフォートレスやバトルドレス。
数え上げればキリがない」
「首謀者はほんの数人だろうね。
シャスターによる割り出しも時間の問題だろう」
「それならユイも役目を果たすよ」
「エラーは修正しないとね」
青の竜の巫女の願いが、新たな力と成って発現する。
Illust. 七六
信頼できる指導者を得た。かつてないほどの火力も得た。
個々の演奏技術は限界まで極まり、仲間同士の呼吸はぴったりだった。
シャスター相手に宣戦布告してから、数多の血と月日が流れている。
しかし、あの戦いにさえ勝利すれば、マーメイドの結束を知らしめられる。
長年の膠着状態を打開し、世界に散らばる反抗勢力の光となれる……はずだった。
「おそらくType.IIIから情報が漏れていたのでしょう」
「そんなのうそだよ! Type.IIIはあたしたちの大切な仲間だよ!?」
「リーダーも “僕やType.IIIはシャスターとのつながりを偽装している” と言ってました」
ともに逃走してきた仲間の意見に、XIフラッグス クローディアは反論した。
「ですが、元を正せばType.IIIは治安維持部隊の最高責任者ベガが開発したバトルドレスです。
とうの昔に偽装は見破られていて、あえて泳がされていたと考えることもできます」
「そんな……」
「憶測に過ぎませんが」
ここのところ万事順調すぎたことも、思えば不自然だった。
ポラリスからカードデバイスを寄贈されたことは、並行過去世界で生きてゆく希望となった。
時折、治安維持部隊のキラーマシーンが謎の暴走へ至っていたのも、ポラリスの工作だと聞く。
カノープスからは遠回しに戦艦型メタルフォートレスを譲ってもらった。
なによりアルタイルが革命を志すマーメイドたちの指導者となってくれた。
その存在はとてつもなく大きい。大きすぎた。
「……ともかく、散り散りになった仲間と合流し、再起の準備を進めましょう。
アルタイル様と再会した時、私たちが足踏みしていては恥ずかしいですから」
◆ ◆ ◆ ◆
「報告は以上になります」
オリジナルXIII Type.VII “Ju17Ca” がマスター・カノープスへ告げた。
「マーメイドの部隊は壊滅したか。呆気なかったな。
メタルフォートレスの一個艦隊をくれてやったのに、拍子抜けにも程がある」
「リヴァイアサンへ革命軍の作戦を事前に伝えられたことに加え、
XIフラッグスによる急造の指揮系統も、十分に機能していなかったと思われます」
「立派なおもちゃを手にしたとて、生身の人間が機械やデータに叶うわけあるまい。
最初から分かっていたことだ。あるいはよほど指導者が無能だったか……。
Type.IIIの制御を奪い襲わせたくらいで生死不明とは呆れ返る」
「傍受の際、悲嘆するType.IIIの感情が私にも流れて来ました。哀しいです」
「ふん、機械のように振る舞っていればいいものを、
III、VII、XIはポラリスに感情制御回路を解除されたんだったな。
おかげでType.VIIはドジを踏みヘマばかり。余計な真似をしてくれたものだ」
兎のような耳を伏せ、辛辣な言葉にしょげ返るType.VII。
その表情を見て、カノープスが舌打ちした。
「ともかく、当面注意すべきはポラリスとデネボラのみ。
並行過去世界で正義の味方を気取っている神器使いもろとも、
シャスターに仇なす裏切り者を一網打尽にしてやろう」
「カノープス様の仰ることは私には良く理解できません」
「これが理想と現実の乖離というものだ。黙って俺の駒となれ、Type.VII」
「……はい」
カノープスは不機嫌そうに部屋を出て行った。
残されたType.VIIがぽつりと呟く。
「カノープス様、あなたは……誰ですか?」
Illust. 匈歌ハトリ/工画堂スタジオ
「神門! 伝令の報せを聞いたか?
我らが留守にしてる間に、九州全域を緑の世界に獲られてしまったようだぞ!」
「ああ。俺も驚かされた。八大龍王 難陀、食えん男だ」
言いつつ、神門は兵法書から目を離さない。
どこ吹く風とばかりの反応に気勢を削がれたアレキサンダーだったが、なおも食い下がる。
「我らが提示した条件は、高千穂近辺のみだったのではないか!?」
「そうだったな」
「しかも、未だ我らに援軍を寄越す気配もない。協定を反故にした彼奴らを、余は許しておけぬ!」
「構わん。放っておけ」
「ならば神門よ、貴様の展望を聞かせてみろ」
いよいよ業を煮やしたアレキサンダーが、神門へ問うた。
「我々は間もなく北陸を抜け、関東へ入る局面。目的地である黒の世界だ。東京奪還の初志を貫徹する。
九州の後処理については、出雲がうまいことやるだろう。
……もっとも、帰る場所など必要ないが」
「緑の世界への報復をせぬのか!?」
「俺だって利用するつもりで近付いた。逆に利用される可能性くらい想定に入っていたさ。
むしろ今回の不実を挙げ、次回の交渉はこちらが優位に立てるというもの。
作戦は東京を奪還しただけじゃ終わらんのだから」
「余の覇道は東京奪還を為すことから始まる。貴様が先を見通しているなら、それで良い」
「できれば戦力に余裕を持たせたかったのだがな。
この世には思い通りにいかないことなど、ごまんとある」
神門は白の世界と共闘することで、青の世界を一時的に無力化できると踏んでいた。
だが、戦斗怜亜や雷鳥超率いるメタルフォートレス軍団に道筋を阻まれてしまった。
結果として、九州から連れてきた赤の世界の軍勢は北陸手前で足止めを食っている。
「端から気に食わんかったのだ。同盟や共闘など小賢しい。
一騎当千たる余の力で、血路を開いてみせようぞ! ふはは! 滾るわ!」
神門は息巻く相棒の単純さに呆れるとともに頼もしさを感じた。
兵法書を閉じると席を立ち、天を仰ぐ。
「……待ってろ。もうすぐだからな」
◆ ◆ ◆ ◆
八大龍王 徳叉迦(タクシャカ)と、同じく八大龍王 難陀(ナンダ)は、
緑の世界のブラックポイント転換に乗じ、高千穂の地へ降り立った。
「さすがは聖地。大樹の恩恵を肌で感じることができます。
当初は赤の世界との全面戦争さえ視野に入れていたのですから、
無償で快く譲ってくださった黒崎神門には感謝せねばなりませんね」
「無償ではない。いずれは奴の面倒も見てやる。いずれ、な」
わざとらしい難陀の言葉に、徳叉迦が嘲笑で同調する。
「摩那斯(マナスヴィン)と跋難陀(ウパナンダ)の九州制圧は成し得なかったようですね。
此処からさほど遠くない地点に、赤の世界の残存勢力が集結しています」
「万事順調とはいかんか。
もっとも、モウギに眠る《御神体》さえ手にすれば、他世界など敵ではないがな」
「ええ。和修吉(ヴァースキ)を頂点とする我ら八大龍王が、
原初たる蓬莱(ホウライ)の威光を取り戻す瞬間は、間近に迫っています」
厳かな徳叉迦の言葉に、人知れず難陀は薄笑いを浮かべた。
Illust. 小林智美
カードデバイスをかざし、千歳がリソースを放出する。
仰向けに横たわっていたウェアヘッジホッグが目を覚ました。
「よし。間に合った!」
ウェアヘッジホッグはしばし自分の置かれた状況を理解できずにいたが、
慌てて立ち上がると、何度も千歳に頭を下げながら去って行った。
「行き倒れは、いまので4人目でござるな」
「はくしょい! ……それにさ、やっぱしここ北海道だよ。信じらんないけど」
「数日前、大地が揺れ視界が歪んだ時でござろうか……。むっ! 何奴!?」
龍膽が刀に手を掛けつつ振り返ると、見知った顔があった。
それは旅立ちの際、八大龍王の象徴とも言える武具のひとつ《七星剣》を龍膽へ預けた人物。
「千歳さん、龍膽、お久しぶりです」
「優鉢羅(ウッパラカ)殿ではござらんか! 如何したでござるか?」
「北海道に新たなブラックポイントが開いたとの報せを受け、様子を見に来ました。
どうやら九州にあったはずの赤の世界のブラックポイントが出現したようです。
そしてほぼ同刻、東北にあった緑の世界のブラックポイントが消失してしまいました……」
「うそ! あれ、なくなったの!?」
十和田湖周辺にあった緑の世界のブラックポイントは、千歳が旅立ちを決意したきっかけ。
日常の光景を奪い去った憎むべき存在だが、いざ消えたとなると複雑な心境にもなる。
「なるほど。緑の世界のブラックポイントが消え失せた影響で、
リソースの供給を絶たれた者が行き倒れていたのでござるな」
「だとすると、どうして優鉢羅さんは平気なの?」
「私たち八大龍王はブラックポイントほどの規模には到底及ばないものの、
リソースを生み出すための技法を修得しています」
「カードデバイスみたいだね。それと、もひとつ質問。
緑の世界のブラックポイントって、どうしてなくなったんだろ?」
「八大龍王 徳叉迦(タクシャカ)の《竜眼》が開かれたためでしょう」
「そうだ! 徳叉迦はどこ!? 一発殴んないと!」
あづみの病気に付け入って騙した徳叉迦に、怒り心頭の千歳。
騒々しい彼女を見て優鉢羅が答えた。
「彼なら九州です。証拠はありませんが、そう確信しています。
緑の世界のブラックポイントとともに高千穂へ移動したのでしょう。
彼の地には《モウギ》がありますから」
「九州!? むきぃ! じゃあ、あづみとリゲルは!?」
「おふたりとともに旅立った、青の世界の者たちですか? 少なくとも私は見掛けていません」
数日前、いつの間にか姿を消してしまったあづみとリゲルを探し、
千歳と龍膽は赤の世界のブラックポイント付近まで移動していた。
どうやらその際、今回の事件に巻き込まれたようだった。
「おそらく青の世界へ帰還したのでござろう。
あづみ殿を救う治癒の力など《モウギ》にはなかったのでござるから」
「もどかしいけど、連絡を待つしかないか。
そもそも《モウギ》ってなに! なんのため九州まで行かされたの!?」
「八大龍王は長い年月を経て、幾度も代替わりをしてきました。
その度に多くの知識が失われ、私には和修吉(ヴァースキ)や徳叉迦(タクシャカ)たちが
なにゆえ、ああも《モウギ》に固執するのか、もはや分かりません」
「皆の者! しばし、静かに……」
龍膽の静止に従って千歳と優鉢羅が息を潜める。
遠方の空から、巨大物体が飛来する轟音が聞こえて来た。
「あれ、何!?」
数体のドラゴンのような姿のゼクスが上空を翔けてゆく。
優鉢羅がその名を叫んだ。
「暁十天! 赤の世界のギガンティックです!」
「凶悪で強大な気配を、びりびりと感じるでござるよ」
「また戦いが起きるのかもしれない。
また誰かが……襲われるのかもしれない。
そんなのダメだ! みんな! 助けにいこう!」
「応!」
「はい!」
◆ ◆ ◆ ◆
「ゆけ、暁十天。あいつら全部、焼き払って」
「GYAOOOOOOOOOON!!」
「SYAGYYYYYYYYYY!!」
巨大なギガンティックたちが一斉に飛び去ってゆく。
断崖に立ち、愛おしげに彼らを見守るのは白衣姿の女性。
その長い髪が風に揺れた。
「ブレイバーは残らず殲滅する」
Illust. 竜徹
C14 戦陣の獅子
(てめえなんかと、ひとつになる気はねえんだよ!)
叫ぼうにも声が出ない。
(大人しく封印されやがれ!)
「……!」
「……!!」
遠くで誰かが呼んでいるような気もするが、聞き取れない。
だが、微かに届いた仲間の声は、力を与えてくれるには十分だった。
(これでも、喰らいやがれぇぇぇぇ!)
渾身の力を振り絞って右腕の切っ先を足元へ突き立てると、ようやく “根” は動きを止めた。
決着を肌で感じ取り、大きく息を吐く。
人のような、そうでないような。
右半身を植物に変化させたような姿の青年は、目を閉じた。
(あぁ、静かだ……。ようやく、ひとりになれる。
四六時中うるさいヤツらと一緒にいたから、少々物足りねえがな……)
安らいだ笑みを浮かべ、意識を混沌へ委ねた。
そして、長い長い眠りに就く。
(わりぃな、みんな。後は頼んだぜ……)
◆ ◆ ◆ ◆
「うおおおお!!」
「ひゃっ!?」
背後からの雄叫びに、フィーユが耳と尻尾を逆立てた。
「……ソーマ? ソーマか!」
深い眠りから目覚めた剣淵相馬に、パートナーゼクスのフィーユが飛びついた。
見かけによらず怪力の彼女が繰り出すハグ攻撃に、全身の骨がきしむ。
「バカバカ! もう二度と起きないかもって、アタシ泣いちゃったゾ!」
「取り敢えず離れろ! いいから離れろ! 死んじまう!」
「だって、怖かったんだもん……」
頬を膨らませながらもフィーユは一歩下がり、ちょこんと正座した。
「そうか。オレ、ずっと眠って……わりぃ。心配かけた」
「汗びっしょりだゾ、ソーマ。悪い夢でも見てたのか?」
「夢、か? にしては、やけに記憶が鮮明だ」
樹人から人間へ戻るための眠りの時間が、徐々に長くなっている。
誰も何も言わないが、樹人化時の姿も凶悪なものへ変わりつつあった。
終わりの訪れが近いのかもしれない。
「フィーユ、話がある」
不可思議なビジョンは、相馬の決心を後押しするには十分だった。
真剣な眼差しで、ここ最近巡らせていた考えをフィーユへ告げる。
「オレはそのうち、バケモンになっちまうだろう。
遠い未来の話ならいいが、もしかすると、明日かもしれねえ」
「そーなのか」
「ちょっとは驚けよ! 意を決して打ち明けたってのに!」
「そーいえばソーマって、ゼクスじゃなかったんだな」
「ぅおい! ……いろいろ言いたいことはあるが、とにかくだ」
あっけらかんとした反応に拍子抜けしそうになったものの、相馬は告白を続けた。
「この先も心ばかりは人間であり続けるつもりだが、正直保証できねえ。
近頃は、樹人化すると我を忘れるほど気持ちが昂ぶるし、反動もデカい。
そろそろ潮時だろう」
「シオドキってなんだ?」
回りくどい言い方は通用しないと判断した相馬は、結論を伝えることにした。
「世話んなった。お別れだ」
「……え?」
「黙って姿をくらまそうと考えたこともある。
青の世界との境界まで、プラセクトを売りに行った時だな。
フィーユたちがついてきて、うやむやになっちまったが。そもそも――」
唐突過ぎる宣言にフィーユの思考が停止する。
相馬の言葉は、もはや届いていなかった。
優に5分も過ぎた頃。
ようやく状況を理解した彼女は、あふれる疑問を一気にぶちまけた。
「アタシか? アタシのせいか? アタシ、いつもふらっと遊びに行っちゃったり、
いつもイタズラばかりで、いつもさらわれて、いつも悪いヤツに負けて、
ソーマに迷惑かけるような捨て猫だからか!?」
「違う。全部オレの都合で、オレの問題だ」
「アタシがバカだから、呆れたのか?」
「違う。んなこと、少ししか思ってねえよ」
「じゃあ! アタシがソーマに隠しごとする悪い子だから、怒ったのか!?」
「違うっつってんだろ!」
空気を震わさんばかりの咆哮が響き渡った。
しばらくして、相馬が申し訳なさそうに頭をかきながら、縮こまった相棒の頭に手を置く。
ふわふわした耳に触れられたフィーユは、びくっと身体を震わせた。
「何度も言ったはずだぜ。オレはひとりが好きなんだ。
なのにオマエときたら、四六時中つきまといやがって。迷惑この上ねえよ」
表面上の言葉は辛辣だったが、相馬の口調は優しさに満ちている。
気恥ずかしさを誤魔化すため、フィーユの髪をかき回した。
ふたりの間を、冷たい風が駆け抜けてゆく。
「じゃあな。オレは行くよ」
Illust. 堀愛里/株式会社日本一ソフトウェア
「何事が起きたのか。考えを聞かせてみよ」
名だたる武将たちが、ギガンティックの強襲を迎え撃つ。
その奇妙な光景を見やり、織田信長は家臣の黒田官兵衛へ問うた。
赤の世界においてゼクス同士の激突は珍しくもないが、降って湧いた出来事には合点がいかない。
「赤の世界と緑の世界のブラックポイントが入れ替わり、暁十天がこの地へ現れました。
ギガンティックは言葉を持たぬ獣。普段通りであれば本能の赴くまま破壊をもたらすのみですが、
此度、奴らの標的はブレイバーのみ。無駄のない動きには統率者の意思を感じます」
「東北への進軍を考えた矢先ではあったが、竜狩りも一興か。官兵衛、良い策はあるか?」
「竜の贋物に興味はありますが、少々策を弄したところで消耗戦は避けられません。
であれば、陣頭指揮は石田三成に執らせれば良いかと。
代わりに私から上様へ提案があります」
「申してみよ」
「東北には剣淵相馬という名の、この時代を生きる剣豪がおります。
未だ眠れる獅子である彼の者を、魔王軍へ迎えてみては如何でしょう」
官兵衛と相馬は、先日、北海道を巡る戦でまみえた敵同士。
その際、内に眠る可能性を見抜いていた。
「面白い。連れて参れ」
Illust. 匈歌ハトリ/工画堂スタジオ
B14 断罪の白焔弓
黒崎神門は関東地方を訪れていた。
首都奪還の名目で多数の赤の世界のゼクスを引き連れ、北九州を出発した。
だが、真の目的は黒の世界のブラックポイント発生に巻き込まれて生命を落とした、
妹・春日の魂を取り戻すこと。この事実は、ごく一部の者にしか伝えていない。
「ブラックポイントに近づけば近づくほど、
通常の生物は濃密なリソースにあてられ、体調に異常をきたしてしまう。
だが、リソースの扱いに長けたゼクス使いならば、侵入はさほど難しくない。
……仮説に過ぎんがな」
ここしばらくの彼は、首都・東京を中心として、
地平の果てまで拡がるブラックポイントの性質を念入りに調べていた。
現在はブラックポイントから少々離れた、千葉の辺境を別件で訪れている。
あの黒き空間の向こうから夥しい数のゼクスが現れ、首都圏を蹂躙した。
3年前、関東を離れていて妹を守れなかった無念さを思い出し、神門が唇を噛む。
「問題はほかにある。未来のどこへつながっているのか不明なこと、
あの先が未来の世界なら “現代の首都” がどこへ消えたのか不明なこと、
突入するには戦力が心許ないこと。……山積みだな」
いま彼とともにあるのは、パートナーゼクスのアレキサンダーのみ。
「単騎突入は可能か?」
目的のためならどんなことも厭わない。
神門がとうの昔に心に誓ったことだが、アレキサンダーについては別だ。
最初の理解者にして最後の切り札を、つまらない理由で失うわけにはいかない。
「いや、焦りは禁物か」
ふと、神門がアレキサンダーを見遣る。
当の英雄は思案顔だった。
「どうした。貴様も珍しく考え事か」
「つい先日まで、我らの様子を探る、赤の世界のゼクスの気配があった」
「こんな場所でか?」
「もうおらぬ。戯れに剣を交えるべきだったか」
「相変わらずの喧嘩馬鹿め。だが、近頃は戦闘の機会が減っていたのも確かだ。
じきにおまえが弱音を吐きたくなるほど戦わせてやれるとは思うが、
その前に腕を鈍らせてもらっちゃ困る」
「いらぬ心配をする余裕があるなら、一刻も早く活路を拓く策を講じるのだな。
軍師たる貴様の決定に、もはや口出しはせぬし、協力も惜しまん。
代わりに余を覇道へ導け」
「ああ。分かっているさ」
「……それにたったいま、暇潰しができそうな敵意を感じ取ったところよ。
どこの馬の骨とも知れぬ小娘が、余に勝負を挑もうとしておるわ。面白い!」
言うが早いか、アレキサンダーは姿を消した。
「勝手な奴だ。……いや、人のことは言えないな。まあ、放っておいてもいいだろう」
「俺はあの件の真偽を確認しておくとするか。大陸絡みの情報など、眉唾ものだがな」
Illust. 萩谷薫/工画堂スタジオ
「どうして、こんなことになってるんだろう」
白の世界に所属する天使リアンのはるか眼下では、
天王寺大和と都城出雲、ふたりの男が対峙していた。
決闘の理由は、目の前の相手に黒崎神門を “始末させない” ため。
ふたりの目的は《暗殺》《断罪》と言い方こそ異なっているが、
ともに神門の息の根を止めることである。
「目的が一緒なら、協力すればいいじゃない!
なにがどう転べば、戦う権利を懸けて戦うなんて流れになるの!?
これだから男のロマンだとか信念ってやつはっ!!」
絆の天使の異名を持つリアンには、気になることがあった。
デスティニーベイン討伐を巡るベイブリッジの戦いで黒の世界と共闘した際、
彼女は白の世界の代表として、大和本人とも挨拶を交わしたのだが。
「さりげなく “視た” 彼と繋がる《運命の糸》の先に、
あの出雲っていう赤の世界のゼクス使いは、いなかった。
出会いの数だけ糸は増えていくとはいえ……」
リアンは人と人の関わりや絆を、
文字通り《運命の糸》の形にして視覚することができる。
糸をたぐれば、直近の未来をある程度予測することもできた。
だが、近頃の大和にこの予見は、ほとんど通用しない。
倉敷世羅に上柚木八千代といった、未知の人物と関わりを持ったことも然り。
最大の誤算は、大和が海外へ行かなかったことだ。
依頼主から連絡を受けた大和は神門暗殺の任務を外れ、日本を発つ。
そう予見したリアンは、海辺でバカンスを楽しんでから白の世界へ帰還した。
ところが大和周辺に動きはなく、四大天使ウリエルA.T.にお説教されてしまった。
「予見が大ハズレしたこともショックだけど、
私、ウリエル様に怒られたのなんて初めてだよ……とほほ。
あれが《特異点》の運命改変力によるものだとしたら、
私が大和さんの護衛に選ばれた意味ないじゃない! もうっ!」
ウリエルの近衛兵であるリアンはその特殊能力を評価され、
人知れず大和を護るよう、勅命を受けた。
ウリエルが天使に覚醒する前の、人間時代の名は天王寺飛鳥。
たとえ相手が並行世界の人間だとしても、黒の世界に利用され人生を終える、
そのような呪われた宿命から兄を解放してやりたいと天使長は考えたのだった。
かつて、仲の良かった兄弟がいた。
弟は、兄を殺してしまった。
リアンは知らない。
そこから始まる白の世界の成り立ちを。
ウリエルもまた、リアン同様、未来予知の能力に振り回されていることを。
「私の予見だと、この一騎打ち、
臆病な大和さんは相手の生命を絶つことにためらうはず。
その一瞬を突かれて、死…………ああもう! 考えたって無駄無駄!
姿を現すのは最終手段だったけど、見殺しにするよりはマシよね!?」
リアンが出雲に束縛の鎖・チェインバインドを放とうとした、その時。
空気を震わす銃声が響いた。
大和がカードデバイスを撃ち砕き、出雲を無力化したのだった。
ひとまず落命の危機を乗り越えたことに、リアンが深い溜息をつく。
「疲れるなあ、これ……」
Illust. 堀愛理/株式会社日本一ソフトウェア
アドミニストレータ デネボラは電脳空間の一角に潜入した。
プロテクトをかけ、さらに “そこになにもない” よう偽装する。
これでしばらく時間を稼げる……はずだった。
何者かの侵入を告げるアラートが鳴り響く。
「ネットワークから断絶しているのに……?」
彼女の肉体はすでに失われて久しい。
普段はアバターと呼ばれる質量を伴うデータを投影しているため視覚でも認識できるが、
いずれにしてもコンピューター上の《情報》に過ぎない。
然るべき自衛を施さないと、容易にコピー・改変、
場合によっては削除されてしまうことになる。
「妾じゃ。ロックを解いてくれんかのう」
その特徴的な口調は、よく知っていた。
しかし、本人だという確証は持てない。
「……人の未来を」
「人の手に」
咄嗟に思いついた合言葉。
だが、来訪者は瞬時に返事をよこした。
デネボラの口から、思わず安堵の溜息が漏れる。
「ポラリスですか。
1/60秒だけセキュリティを制限解除します。入ってください」
◆ ◆ ◆ ◆
「さすがはポラリスです。ソフトウェア方面では敵いません」
「得手不得手、好調不調といったばらつきが生まれるのが、人じゃ。
個性や運勢じゃな。ランダムな無限列とも違う。
単なるデータには到底及ばぬ領域じゃよ」
「どうしてここが分かったのですか?」
「おぬしは最近まで、シャスターに対し中立の立場だったからのう。
今回のトラブルが起きた直後、真っ先に黒幕を疑ったのじゃよ。
だからこそ、すぐさま追跡をかけられたというわけじゃ」
「黒幕だなんて、心外です」
アドミニストレータ ポラリスの言葉に、デネボラは頬をふくらませた。
ポラリスはさして気にした気配もなく、話を続けた。
「オリジナルXIII Type.V のカスタムを拒否された件もあったからのう」
「……私は、人とメカとの間にも絆があると信じています。
創造物と創造者の間には、ほかの誰も知らない侵されざる聖域があるんです。
だから、ベガが手掛けた Type.V にも、ありのままの姿でいてほしい」
「感情を制御されている状態が、ありのままの姿じゃとでも?」
「彼女たちは生まれた時からそうなんです。
私たちの身勝手で、仕様変更していいものではないと考えます」
「否定はせんが、いまの状況下でおぬしの持論に固執するのは危険じゃな。
もっとも、妾がカスタムした Type.III とて、結局ベガの手を離れておらず、
主人のアルタイルを攻撃する結果となったがな……」
ポラリスのぼやきに、デネボラがはっとなる。
「アルタイルと連絡がつかなくなったのは、そのせいですか!」
「おそらくシャスターの手に落ちておるな。
Type.XI が、悲嘆に暮れる Type.III の感情を読み取っておったよ。
直後の、この有様。シャスター破壊計画はすべて筒抜けだったのじゃろう……」
無念の表情を浮かべたポラリスはデネボラに向き直ると、深々と頭を下げた。
「おぬしを疑ってすまぬ。
どうやら妾は、致命的な見誤りをしてしまったようじゃ。
デネボラよ、ソルからの降伏勧告は聞いたか?」
「ええ。すぐに回線を遮断しましたので、内容は知りませんが」
「あれは事実上の叛逆者抹消宣言じゃな。
並行過去世界では、計画の全容もまだ知らされていなかったというのに、
神器使いたちがマスプロトロン64機に襲われておる。可哀想に……」
「マスプロトロン?」
「暴虐紫怨剣マスプロトロン。
斬魔真紅剣シンクロトロンをベースにした、量産型じゃ。
おぬしが預かり知らぬなら、ほかにロボットの第一人者は……彼奴しかおらん」
デネボラとポラリスの脳裏に、同一人物の姿が浮かぶ。
「……私は彼と一緒にシンクロトロンを共同開発しました。
キラーマシーンの技術を託し、理解し合えたと思っています。
なのに、彼が! 私を弄んだというのですか!?」
「シャスター側のスパイだったんじゃよ。でなければ、説明がつかん」
「私には、人間の可能性を説いた彼が、非道い人だなんて信じられません」
「シャスター破壊計画発足当時からの仲間じゃぞ……?
できることなら妾とて、彼奴の名誉を傷つけたくなどないわ!」
◆ ◆ ◆ ◆
「……昔話を聞かせましょう、ポラリス」
「カノープス……いえ、雷鳥超という名の青年は、
プロサッカー選手になる夢を、交通事故でその両足もろとも失いました。
それでも彼は人生に絶望することなく、事故のない世界を目指して、
知能を持ち自動運転する車の研究に没頭したのです」
「研究の過程で、彼は戦斗怜亜や私、獅子島七尾と出会いました」
「おぬしらはみな、九頭竜学院大学の出身じゃったな。
旧知の仲というのは、うらやましいのう」
「ええ。とても、充実していました」
当時を思い出し、デネボラの表情が柔らかくなる。
「怜亜の幼なじみで、九頭竜学院大学では遺伝子工学を専攻する
倉敷世羅という女性も加え、私たちは4人一緒に過ごすことが多くなりました。
特に私は世羅と親しくなり、からくりロボの開発に付き合ってもらったものです。
結局最後まで、彼女の機械破壊能力には太刀打ちできませんでしたが……」
「時を越え、世界を超え、
並行過去世界でシンクロトロンに乗り込み、神器使いとなったナナオが
不法侵入したセラを捕らえてきた時は、なんて運命だろうと驚いたものです」
「その者なら妾も知っておる。
カードデバイスの改良に少々、協力してもらったからのう。
とはいえ、件の機械破壊能力に干渉しない絶縁加工を施した程度じゃが」
「そうなんですか!? ……あ、いえ、すみません、思わず。コホン」
不意にポラリスとの共通点を得たことで気色ばんだデネボラだったが、
我に返り、わざとらしく咳払いをする。
「話を戻しましょう」
「私には超を応援することくらいしかできませんでしたが、
怜亜は子供の頃からの憧れだった巨大ロボットの研究をきっぱりやめてしまい、
身体の不自由な人々の生活を助ける、パワードスーツの研究に着手したんです」
「それを知った超は、知能を持った車の研究をちょっぴり方向修正し、
変形機構を取り入れたロボットを作ることを思いついたのです。
麗しい友情ですよね」
「じゃな」
「なのに、口喧嘩ばかりするんです。男の子だからでしょうか」
世羅が怒り、七尾がなだめ、ようやく仲直りするふたり。
過ぎ去りし日々を懐かしむデネボラの頬を、涙が伝う。
「……おぬしがカノープスに肩入れする理由は分かった。
しかし、現実とは非情なものじゃ。可能性を切り捨てるわけにはいかんよ」
「そうですね……」
◆ ◆ ◆ ◆
「アルタイル、どこへ行ってしまったのですか?
裏切りを疑われている親友の窮地を救えるのは、
アナタだけ、デースよ?」
Illust. 和錆
「もうすぐ日本、楽しみにゃ〜♪
素敵な出会い、いっぱい、あるのにゃ〜♪」
白い雲海の連なる空の上。
日本へ向かう飛行機の中、陽気に歌を口ずさむ少女がいた。
「ゴキゲンじゃねぇか、お嬢ちゃん」
隣席の左目に眼帯を巻いた男性が、
柔和な表情を浮かべながら少女へ声をかけた。
「俺たちが向かっている日本は、ゼクスが暴れ回る危険地帯だぜ。
わざわざ死にに行くようなもんだ。ひとりか? ワケ有りか?」
「おっ。じーさんも日本語話せるのかにゃ」
白い布地に緑色のアクセントの入った法衣に身を包んだ少女は、
男の質問には答えず、まったく別のことに興味を抱いた。
「日本語って覚えることが多くて、すっごく難しいのににゃあ」
「お嬢ちゃんが日本語で歌ってたから合わせたんだ。
こう見えても20ヶ国語のバイリンガルだぜ。仕事柄必要でな。
いや、バイリンガルじゃねぇな。マルチリンガルだっけか?」
「すごいですにゃ〜〜〜〜。
そういえば、ボクがワケ有りだっていうなら、
じーさんだってワケ有りじゃないのかにゃ?」
赤、青、白、黒、緑。
5つのブラックポイントすべてが集結する明らかな異常地帯、
日本への航空便は不定期運行であり、本数もごくわずか。
何らかのコネがない限り渡航は不可能なはずだった。
「痛てぇとこ突いてくるな。
子供は知らなくていい、取るに足らねぇつまんねぇ仕事さ。
てか、さっきからじーさんはねぇだろ、じーさんは……。
俺はまだ40半ば。脂の乗った中年ざかりってやつだぜ?」
顔を曇らせた男に、少女が平然と返す。
「ボクの3倍生きてるなら、十分、じーさんですにゃ」
「3倍? ……お嬢ちゃん、何歳だ?」
「15」
「15だぁ!?
……まあ、いいけどよ。んじゃ、最初の質問に戻るぜ。
日本なんかにどんな用事があるってんだ?」
「じーさん、いろいろ聞きすぎにゃ。
ひょっとしてボクのこと狙ってるのですかにゃ?」
からかうような視線を送り、少女が首をかしげる。
「おいおい、俺は妻子ある身だぜ!
野暮なこと言うなよ。ただ、人の夢を聞くのが好きなだけだ」
「ボクは、ブラックポイントが5つもできてしまって、
きっととても大変な思いをしている日本の人たちに、
アダム・ペンドラゴン様の教えを広めにいくのにゃ」
「ペンドラゴン様?」
「ペンドラゴン使徒教会は南米アルゼンチンを本拠地として、
天使が人類を救済するという、ありがたーい教えを説いているのですにゃ」
「新興宗教かよ。うさんくせぇなぁ」
「うさっ!?」
なによりも大切な信仰を馬鹿にされたことに、少女が絶句した。
わなわなと震える口元と、胸の動悸をおさえている。
「わ、悪かった」
「ふぅ、あぶにゃい、あぶにゃい……。
危うく堪忍袋の緒がちょちょ切れるところだったけど、
日本は無宗教国家。もっとつれない反応だってボクの想定内なのにゃ」
「……そのわりに、すげぇ形相だったじゃねぇかよ……」
ツッコミを無視し、少女はペンドラゴン使徒教会の概要語りを再開した。
「アルゼンチンにも白の世界の大きなブラックポイントがあるのですにゃ。
きっとじーさんの考え方も変わるから、一度行ってみるといいのにゃ。
神々しい天使様がいっぱいなのにゃ〜!」
男は、少女の周辺にお花畑が展開されたような錯覚を憶えた。
もちろんそんなものは気のせいだったのだが。
「俺は宗教なんて絶対やらねぇからどうでもいいが、
布教活動しようってんなら、その鬱陶しい喋りは考え直した方がいいぜ」
「んにゃっ!? 猫が大好きなボクにぴったりだって、
ペンドラゴン様が教えてくれた、最上級の日本語を馬鹿にするにゃ!」
「……気の毒なやつだ。上司を選べなかったんだな」
◆ ◆ ◆ ◆
「ま、テキトーに頑張れや」
「じゃ〜にゃ〜! じーさんが天使様の加護を感じられるよう祈っとくにゃ!」
空の上、偶然出会った少女と男は、国際空港のロビーで別れた。
「狙ってるのか、だと? いいカンしてやがる。ククッ……そうとも」
男が内に秘めていたどす黒い感情を剥き出しにする。
柔和だった表情は跡形もなく消え失せた。
「希望に満ちた女子供の生命を狩るってぇのは! サイッコーだよなぁ!」
眼帯に覆われていない左目が、狂喜に輝く。
その手にはカードデバイスが握られていた。
「……でも、やめとくわ。
バックに宗教団体がついてるんじゃあな。
あーあ、雇われの身ってのは、ツライねぇ」
Illust. 匈歌ハトリ/工画堂スタジオ
B15 起動!超神器
青の世界の陰謀に巻き込まれ “叛逆者” の汚名を着せられた雷鳥超は、
同じ境遇にある戦斗怜亜、獅子島七尾とともに、とある廃村へたどり着いた。
かけられた容疑は、シャスター破壊未遂。
機械による支配から人類を救済するべく反シャスター派のアドミニストレータたちが
計画した壮大な作戦は、情報流出により、3人が詳細を伝えられる前に破綻。
彼らが理由なき逃避行を強いられる原因となった。
「追手の気配はないみたいデース」
「白の世界の領域へ入ったからな。うかつに手出し出来ないはずだ」
3人が乗り込むメタルフォートレス《三神器》は破壊計画の根幹にあったため、
有事の際はシャスターの影響下から逃れられる設計となっていた。
それだけは不幸中の幸いだろう。
「……ここ、少し前まで村だったのデースね」
「野ざらしの草木に隠れて、生活の痕跡が残っている。
瓦礫の大半は、火を放たれ、焼け落ちた住居か」
「ひどいデース……。誰がこんなこと」
「エンジェルか、はたまたガーディアンか。
白の世界のゼクスは現代の人間に手を出さないと言われているが、どうだかな」
超の脳裏に、指令を受けて白の世界の軍勢と交戦した時の記憶が蘇る。
初めて敗北した。自信を喪失した。生命を救われた。
……なにもかもが、苦い経験だった。
「僕らは体よく逃げおおせたわけじゃない。白の世界のゼクスも、敵だ。
この村の連中と同じ目に遭いたくなければ、油断するなよ」
「デースね……」
沈痛な面持ちで散策していた七尾は、墓のようなものの存在に気付いた。
十字に組まれた枝を刺し、枯れ落ちた花が添えられているだけの簡素なものだが、
村が滅んだ後に誰かが訪れたことを物語っている。
七尾は近くに自生していた花を1輪だけ摘むと、枯れてしまった花の隣に置いた。
そして目を瞑ると、名も知らぬ相手の冥福を祈るのだった。
やがて目を開けた彼女が、ぽつりと呟く。
「ワタシたち、これからどうなるのカナ……」
「青の世界が敵対している白の世界領域を速やかに抜け、赤の世界領域に潜む予定だ。
……ところで獅子島、おまえは任務の直前まで、京都へ行っていたらしいな」
「ギクリ」
「しかも、極めて個人的な私用をこなすためシンクロトロンで戦闘している。
白の世界に《神器》の情報がもたらされるデメリットを考えなかったのか?」
「ウ、ウン。ソーリー……」
「喜べ。その馬鹿な行いが生きるかもしれない。
僕らが西へ逃げるのに、なるべく安全なルートを調べておけ」
「ハ、ハイ。分かったデース!」
「戦斗はどこへ行った?」
「エート……周囲を見て来るって、さっき。
きっと、ひとりになりたいんだと思うデース。
レイアはいつも明るい男の子だけど、さすがにいまは……」
セイント・レイチームの司令官に “裏切り者” と呼ばれ、
相棒のローレンシウムは逃亡のきっかけをつくるために自爆。
戦斗怜亜は心身ともに打ちのめされていた。
「早くあいつを立ち直らせろ。それもおまえの役目だ。
励ましの言葉なんて、僕はなにひとつ知らないからな」
「ラジャー、デース! スグル!」
「この先、交通手段の確保、買物、そのほか交渉事は全部あいつにさせる。
おまえもそういうのに向いてるだろうが、駄目だ。目立ちすぎる」
「ごもっともデース。忍ぶ者の末裔なのに……。
アハハ……こんな時だけど、ワタシ、嬉しい」
「ふざけるな。なにひとつ、いいことなんてないだろう」
「そうでもないデースよ」
◆ ◆ ◆ ◆
ほどなくして、怜亜は戻ってきた。
気丈に振る舞うものの、目の下には泣きはらした痕。
3人はその晩を廃村の片隅で明かすことにした。
「HAHAHA!! 後は私とセントレイに任せ、がっつり爆睡するといい。スグル少年!
む、眠れないのか? 私の甘いボイスから繰り出される子守唄が必要かな?
ラー!! ララー!!!!」
ローレンシウムは自爆こそしたが、頭部と人工知能ユニットは無事だった。
サッカーボール大の人工知能ユニットが怜亜の周囲を飛び回り、
マシンガントークマシーンと化している。
「やかましい口を閉じろ。
自爆するなら、まるごと吹っ飛べば良かったんだ」
超の悪態に怜亜が反論する。
「ローレンシウムは僕らを守ってくれたんだぞ!? ひどいこと言うな!!」
「言い争う気はない。とっとと見張りしてこい」
「ちぇっ。行くぞ、ローレンシウム!」
七尾はすでに眠りについている。
ひとりになった超は、疑念を口にした。
「なぜ、あのふたりを切り捨てない。
僕ひとりだって、どうとでもなるはずだ」
「なぜ、生きようとする。
青の世界に見限られた時点で、僕にはなんの価値もないだろう」
「戦斗、獅子島、僕らの正義はどこにある……?」
Illust. 山田J太
「おまえたちを呼んだのはほかでもない」
痩せぎすの体躯に無精髭。
それでもどこかしらに威厳を感じさせる老け顔の天使が、重々しく告げた。
彼こそは四大天使ガブリエル、白の世界のナンバー2である。
「問おう。白の世界の頂点は、誰だ?」
ガブリエルの眼下にはふたりのエンジェル。
ひとりはあぐらをかき、ひとりは膝を抱えて座っている。
「ウリエルじゃねーの」
不遜な態度を崩さないまま答えたのは磨羯宮ハナエル。
ガブリエルは薄いひげをさすりながら、続けた。
「ならば問おう。白の世界の頂点に立つべき者は、誰だ?」
「そりゃぁ、ガブリエルの旦那だな!」
「わたし、ミカエル様がいいな」
儚げな笑顔を浮かべながら、隣の少女がぽつりと呟いた。
「いやおまえ、しれっとなに言ってんの!?
よりにもよってミカエルとか、旦那の天敵じゃねーか!」
「ミカエル様の方が綺麗だよ?」
「そりゃぁ、ガブリエルの旦那は綺麗じゃねーけどよぉ!
弟子なら “わたしもガブリエル様がいいな” って言っておけよ!
ていうか、綺麗とかそーいう問題じゃねーだろ、バキエルぅ!!」
磨羯宮ハナエルと双魚宮バキエル。
さらに宝瓶宮ガムビエルを加えた3人の上位天使は、
ガブリエルに素質を見出され、エンジェルへ覚醒した過去を持つ。
全員、人間時代の記憶や他者との関わりを失い、
新たにガブリエルとの師弟関係を築いていた。
「はあ……。わたし、どうしてこんなに不遇なのかな。
子が親を選べないこと以上に、不幸なことってないよね」
「てめぇ、いい加減に!」
「よさんか」
いまにも殴りかかろうとしていたハナエルを、ガブリエルが制する。
「フン。本題に入ってくれ、旦那!」
「そもそも、ただの人間を原初の天使ウリエルへ導いたのは、私だ」
ハナエルがうんうんと大仰に頷く。
「だが、何事にも甘すぎるウリエルの方針は、民を堕落させた。
他世界との小競り合いを制することができないのも、そのせいだ。
にも関わらず、やつは表舞台から姿を消している。理由が分かるか?」
「戦争のストレスでハゲたんじゃねーの」
「力を使い過ぎたのだ」
「チカラ? あいつ最近、何もしてねーじゃん」
「確証はないが、ウリエルは時間遡行の能力を持っている。
いまのこの瞬間は、果たして何度目の今日なのだろうな?」
「ほへー」
空返事を飛ばすハナエル。
控えめに言って、彼女は頭の回転が悪かった。
「他世界との関わりがきっかけとなり、やり直しを迫られるような事件が起きるのだ。
おそらくラファエル関連だろう。だが、何度やり直しても結果は変わらない。
何度過去へ戻っても、似たようなバッドエンドへ行き着いてしまう。
運命とはそういうものだ」
「そりゃぁ気の毒なこった」
「追い詰められたウリエルは、ラファエルを秘匿した。
さらに、鬱陶しい穏健派のミカエルは、終末天使によって封印されている」
「四大天使の3人が戦力外かよぉ。白の世界ヤバすぎじゃね!?」
「ならば! いまこそ! この私が白の世界を救済しようじゃないか!」
ガブリエルは大げさに右手を掲げた。
その手には “天使が人類を救済する” という教えを綴った、
ペンドラゴン使徒教会の聖書が握られている。
「そーいうことか! さっすがガブリエルの旦那、頼りになるぜぇ!」
「唯一、ガムビエルの裏切りは想定外だったな。
終末天使を仲間に加える計画ごと水の泡となってしまった。
やつめ、人間だった頃は子猫のように付き従い、可愛かったものを……」
悠久の過去に思いを馳せ、ガブリエルが遠い目をする。
しばらく黙って話を聞いていたバキエルが、おもむろに口を開いた。
「子猫のように従順だったのをいいことに好き放題したの?
きっとわたしのことも、弱みにつけこんで……。
ガブリエル様、不潔……!」
バキエルの無礼講は止まらない。
「動物の中で猫だけが特別扱いされてるのも、
十二使徒が女の子だらけなのも、バレンタインデー封印事件も、
全部ガブリエル様の仕業ってうわさ、流しておくから」
「おいぃ旦那! ヤバイぜ!?
こいつ野放しにしたら、ありもしねぇ噂立てられちまうぞ!」
「仕方ないよハナエル、人の口に戸は立てられないって言うから」
「立てろよ! おまえが自重するんだよ!!」
弟子たちのやりとりを見守っていたガブリエルは、深い溜息をついた。
「バキエルよ、あまり調子に乗るものではない」
「はい。ごめんなさい、ガブリエル様。…………ごほっ」
「お、おい、バキエル!?」
突如、吐血したバキエルが前のめりに倒れた。
あわててハナエルが助け起こし、華奢な身体を揺り動かす。
「どうした!? しっかりしろ!」
「ガブリエル “様” って呼ぶの……限界」
バキエルはそれだけ告げると、許可も待たずに立ち去った。
気まずい沈黙が空間を支配する。
しばらくして、思い出したかのようにハナエルが咆哮した。
その姿、烈火の如く。
「うぉぉぉぉーーーー! あいつむかつくぜぇぇぇぇーーーー!」
「あれでも私の可愛い弟子なのだ。仲良くしてやってくれ。
実力者には変わり者が多いということだな」
「はぁ。そんなもんかねぇ。
せめて俺だけはまっとうに、ガブリエルの旦那を支えてやんよ。
なんかすることねーか? なんだってやってやるぜ!」
「ならば使命を与えよう、十二使徒 磨羯宮ハナエル」
「おう!」
「ニーナ・シトリーという名の少女を、確保するのだ」
Illust. 土屋彼某
上柚木綾瀬はズィーガーを伴い、亡き父の書斎を訪れていた。
昼間の明るいうちに見せたいものがあるとだけ告げて。
黒の世界のブラックポイントのすぐ近くに位置している横浜地区は
ゼクスに襲われる危険性が高いため、ほとんどの住人が疎開していた。
電気や水道などのインフラも壊滅したまま、復旧していない。
夜になれば、完全な暗闇に包まれる。
◆ ◆ ◆ ◆
宿願だったガムビエル打倒は果たされた。
ガムビエルは倒れざまに印象的な装飾の施された仮面を被ったが、
特に何事も起こらなかった。
精神体であるエンジェルは肉体を持たず、死に際した者は空気に溶け込むように霞みゆく。
ガムビエルは塵ひとつ残さず消滅した。
天使の羽根も、水瓶も、衣服も、仮面も、すべて。なにもかも。
……そのはずだった。
瞬間、背後に白と黒が混濁した不気味な気配を感じ、
立ち去ろうとしていた綾瀬とズィーガーが振り返る。
……誰もいない。
ズィーガーが生死に関わる深手を負っていたこともあり、
綾瀬たちは一旦、自宅のある横浜へ戻ることにした。
しこりを、胸に懐きながら。
◆ ◆ ◆ ◆
「あン時、気付くべきだったぜ。
まさかエンジェルがディアボロスになれるたァな」
「あいつ、生きてるわよね」
「間違いねェだろ。トドメ刺しに行くか?」
「あら、傷はもういいの?」
「カードデバイスに閉じ込められっ放しだったからな。
つっても、俺様は全快してようがしてまいが、ヤってやるがなァ!」
ズィーガーが爪を振り下ろすと、本棚のひとつがまっぷたつに裂けた。
蔵書が雪崩落ち、ズィーガーの頭に降り注ぐ。
「いてっ。ててっ」
「暴れないで。狭いんだから」
「うるせェ! 俺様に指図すンな! いいか!?
決着をつけたら今度こそテメェの番だ! 忘れたとは言わせねェぞ、綾瀬!」
「忘れてたわ」
けろりと言ってのけた綾瀬に、ズィーガーが大きな口をあんぐりと開く。
敵討ちを手伝う代わりに、生命を捧げる契約が結ばれているはずだった。
「後のことなんて、どうだっていいもの」
「チッ」
「でも、死ぬ前に片付けておきたいことができたのよ。
ガムビエルは後回しにして、用事を済ませてから向かうわ」
言いつつ、綾瀬は肌身離さず身につけていた棺桶型のアクセサリーを開く。
取り出した小さな鍵を、机の引き出しの鍵穴に挿した。
「パパの日記やレポートを漁ってみたら、こんなものを見つけたのだけど」
引き出しから2枚の手紙と1枚の写真を取り出し、
写真が見えるようにズィーガーの鼻先でちらつかせる。
「見たことある?」
「まァた仮面かよ。
黒の世界にはごまんとあるンだ。いちいち覚えてねェ」
「パパは普通の考古学者なの。少なくとも私はそう信じてる。
そのパパに2件の依頼が舞い込んでいたわ。メキシコからスペイン語でね。
おかげで翻訳に時間かかっちゃった」
日本は5つのブラックポイントが存在する危険地帯として、世界的に悪名を轟かせている。
当然、日本への航空便は極めて少なく、特別なコネでもない限り利用は難しい。
つまり、特別な立場にある人物または組織から送られて来た証拠である。
手紙の差出人情報は見当たらなかった。
「依頼のひとつは、パパが発掘を担当することになった奈良の遺跡に関するもの。
出土品の中に仮面のようなものがあったら、連絡してほしいって」
綾瀬は2通目の手紙を手にとった。
「もうひとつは、もっと単純。仮面そのものの捜索依頼よ」
「写真のやつか」
「ええ。シンガポールで出土してから様々な人の手を渡り、ついには大陸から日本へ。
考古学者の情報網で行方を追ってみてくれないかと、手紙には書いてあるわね。
……でも、パパはこの依頼内容を知ることなく、逝ってしまった」
「どうして、分かるンだよ?」
「未開封のままだったもの。無視したってこと。
きっとパパは好事家のワガママだとでも思ったのね。
そして真相を知らないまま、仮面を巡る闘争に巻き込まれた。
ガムビエルが村を滅ぼした理由も、恐らく、仮面を奪うため……」
「だろうな」
ズィーガーはこれから聞かされるだろう言葉を予期し、不機嫌になった。
「私はもうひとつの仮面の行方を追うわ。見つけたら粉々に打ち砕く。
こんなものがなければ、パパとママは死ななかったのだから」
「……やっぱりな。
退屈そうなことに首突っ込みやがって……」
「面倒ならついて来なくていいわよ?」
「ざけんな! 俺様の呪縛から逃がれようってのか? させるかよ!」
「そう。助かるわ」
綾瀬が書斎の窓を開けると、日差しとともに強烈な風が吹き込んで来た。
ズィーガーが乱雑に机を蹴飛ばし、伏せの姿勢をとる。
「乗れ。飛ぶぞ」
「すっかり従順になったものね」
「うるせェ! 俺様は野暮用なんざさっさと済ませて、
一刻も早くガムビエルをブチ殺してェんだよ!」
その時、電話が鳴った。
ズィーガーに蹴飛ばされた衝撃で机から落ち、床に転がっている。
「誰かしら」
受話器に手をかけようとしたところで、綾瀬は違和感を覚えた。
着信を示す電光パネルには、なにも表示されていない。
電気が通じていないことを思い出す。
「どういうこと?」
いつまでもコールは鳴り止まない。
意を決して、綾瀬は受話器を取った。
「……はい、上柚木です」
Illust. 吟
B16 神域との邂逅
上柚木八千代とそのパートナーゼクス・アルモタヘルは九大英雄へ挑んだ。
尊敬する師匠ル・シエルへ、吉報を持ち帰りたい。そう思ったから。
「逃げ、て……。……僕は、もう」
「アルモタヘル! わたしを置いて行かないで、アルモタヘル!!
いやあああああ!!!!」
「拍子抜けだな。小娘よ、何者の差金か?」
特訓を経て強くなったという思い上がりにより、
アルモタヘルの喪失という最悪の結果が訪れようとしている。
『遭遇しても戦おうとは考えず、俺に報告するんだ』
八千代の脳裏にル・シエルからの忠告が思い起こされた。
盟友の生命が燃え尽きようとする眼前の状況と、激しく交錯する。
判断を誤った。選択を誤った。指示を誤った。すべて自分の責任。
絶望から、八千代の瞳からみるみる光が失われてゆく。
「うう……。ああ……」
「自我を失ったか。
ひとたび戦場へ立ったのならば、誰もが平等。敵ならば容赦はせぬ。
彼我の力量を見極められなかった未熟と不運を、あの世で嘆くがよい」
アレキサンダーの槍が八千代の心臓めがけて突き出される。
その槍の先端を、天空より飛来せし、ひと振りの剣が弾いた。
「冷静になって、八千代!」
アレキサンダーが空を仰ぐと、そこには太陽を背にした黒い影。
黒獣の背に乗る人物が飛び降り、八千代の隣へ立った。
彼女は上柚木綾瀬。八千代の従姉である。
「あなたのパートナー、まだ息があるわ」
アルモタヘルの開かれた嘴から力なく垂れていた舌が、ぴくりと動いた。
暗く閉ざされていた八千代の心に、一筋の光明が差し込む。
「アルモタヘル……! ごめんね、ごめん!
後でいっぱい謝るから、いまは休んで……」
アルモタヘルは八千代のカードデバイスに吸い込まれるようにして消えた。
ひとまずの安心から大きく息を吐き、ようやく八千代は綾瀬の出現に疑問を抱く。
「綾瀬ちゃん、どうしてこんなところに?」
「……ちょっとね。後で説明するわ。先に障害を排除しないと」
綾瀬の視線の先では彼女のパートナーゼクスであるズィーガーが、
アレキサンダーと睨み合っていた。
「狩りの邪魔しちまったかァ?」
「構わぬ。我は無双当千の九大英雄アレキサンダー。
何者であろうと相手になろうぞ!」
「九大英雄サマか。俺様復活祭には丁度いい獲物じゃねェか。
見てな、ヒヨッコども!!」
爪が振り下ろされた衝撃で、大地がえぐられた。
対するアレキサンダーは気合一閃、衝撃波をいなす。
綾瀬たちの戦闘を目撃するのは、これが二度目。
八千代はその光景を網膜へ焼き付けた。
二度と失敗することのないように。
「動きが鈍いわよ、ズィーガー。
ガムビエルにやられた傷が癒えていないのかしら?」
「関係ねェよッ!!」
壮絶な戦いはなかなか決着をみなかったが、
どちらかといえば、綾瀬とズィーガーが圧されているように見える。
アレキサンダーはパートナー不在であるにも関わらず、動きに余裕があった。
祈るしかない八千代へ、手元から声がかけられる。
カードデバイスの中で身体を休めているアルモタヘルだった。
「……八千代、僕ね」
「うん。なに?」
「生まれて初めて悔しいんだ……」
「また、負けちゃったね」
「そうじゃないよ」
申し訳なさそうにする八千代の言葉を、アルモタヘルが否定する。
「僕が、弱いことが!! 悔しいんだ!!!!」
「…………」
臆病で何事にも受け身だったアルモタヘルは、変わった。
「カードデバイスから、僕を出して、八千代」
「だって、怪我が」
「戦うよ。八千代を守れるような、オトコになるんだ!!」
依然、臆病者であることに変わりはないが、
恐れる気持ちを打ち負かすことのできる勇気を身につけた。
それは紛れもなく、八千代との出逢いがもたらした奇跡。
八千代の心が震えた。
「……そうね。もう一度、戦おう。
ただし、絶対にわたしを置いていかないこと。いいわね?」
「もちろん」
「ゼクス、アクティベート!」
ふたたび現れた決意のアルモタヘルは変貌を遂げていた。
心の成長とともに――
◆ ◆ ◆ ◆
「カミって、神様のことかしら?
すごい瞬間に立ち会っちゃったんじゃないの、わたしたち!?」
「どうかしら。今更なにが出てきても驚かないわ。
なにをもって神とするのか、概念も曖昧」
「綾瀬ちゃん、オトナ……」
はるか高みにいる人物の変わらぬ冷静さに、ため息が漏れる。
綾瀬もまた八千代にとっての憧れの人物であった。
「宣戦布告だけして消えちまったが、異質な気配を感じたぜ。
おかげで九大英雄サマとの決着もうやむやになっちまった。
これからってときだったのによォ。クソッ!」
「きっと僕たちが勝ったよね」
「ったりめェよ!!」
アルモタヘルの参戦で戦況は変わり、アレキサンダーは膝をついた。
そこへ “神” を名乗る男が現れ “竜と人類の滅亡” を宣告し、消えたのだ。
興奮冷めやらぬ様子のアレキサンダーも空飛ぶ馬にまたがり、飛び去ってしまった。
「さっきの続きだけど、綾瀬ちゃんはどうしてここへ?」
「さくらに聞いた。いつものあれ」
「……風、か」
八千代の妹・さくらは小さい頃から、不思議と勘が鋭かった。
数年前にブラックポイントが開いて以降、その傾向は顕著になっている。
“風が教えてくれるの” と、こともなげに彼女は言うが、なかなか的中率は高い。
不確かな特技であっても、取り柄のない八千代にとっては羨ましかった。
機嫌を損ねた八千代に気を遣い、綾瀬が話題をそらす。
「それとね、仮面を捜しているの。ええと……」
綾瀬は父の書斎から持ち出した写真を見せようとしたが、
手荷物の中には見当たらなかった。
「おかしいわね。どこかで落としたのかしら。
ともかく、その写真の仮面を見つけ出して、粉々に壊したいのよ。
私がゼクス使いになるきっかけをつくったものかもしれないから」
綾瀬の両親は当時、仮面が出土した遺跡の発掘をしており、
なんらかの口封じのため、ガムビエルに殺された可能性がある。
そして、書斎から出てきた写真の仮面は、ガムビエルの仮面と異なっていた。
これらの断片情報から、特別な仮面は複数存在する、と推察される。
「呪われた宿命の原点ってところね」
陰を背負いながら呟かれた綾瀬の言葉。
いつか使えるかもしれないと、すかさず八千代がメモをとる。
「仮面ってディアボロスがみんな持ってるやつ? 神祖の仮面じゃなくて?」
「神祖の仮面?」
「ッ! テメ馬鹿!!」
アルモタヘルのふとした疑問に、ズィーガーが過剰な反応を示した。
「あれ? 僕なにかおかしなこと言った? ご、ごめんなさい」
「ズィーガー……。あなたなにか、隠してるわね?」
「あからさまな面倒事に首突っ込むのが、嫌だったンだよ!」
「もしかして僕のせいでバレちゃった!?」
「そうね。アルモタヘルだっけ? お手柄よ」
「ほんと!? えへへ……」
綾瀬に褒められて舞い上がるアルモタヘル。
その様子を見て、八千代がむっとする。
「……さて、ズィーガー。
知ってること、洗いざらい吐いてくれるかしら?」
「わァったよ!!
……神祖の仮面は、黒の世界の創始者どもが身につけた仮面だ。
すでにヤツらもろとも神祖の仮面は行方をくらませちまったが、
その7枚をベースに、雑魚ディアボロスの仮面は量産されている。
なんせ1,000枚の頂点に立つオリジナルだからな。
神祖の仮面が誕生させた《神祖の七大罪》は桁違いに強かったらしいぜ。
いま黒の世界を牛耳ってる七大罪はそいつらの子孫ってだけで、
神祖の仮面そのものは持ってねェ、はずだ」
「ズィーガーさん詳しいなあ。
僕、名前聞いたことがあるくらいだったよ」
「……ンだよ、先に言えよ!
だったら俺様もその程度しか知らねェふりしたのによ!」
「ご、ごめんなさい!」
ズィーガーは気を取り直して続けた。
「ガムビエルのヤロウは、遺跡から出土した1枚をかぶって変貌した。
でもって、仮面が量産されるのはこの時代じゃねェ。未来の話だぜ。
……これがどういうことか、分かるよなァ?
綾瀬は変貌するガムビエルを直接見たわけではない。
が、その気配を感じただけで寒気に襲われたことを思い出した。
「間違いねェ。ヤツのは神祖の仮面だ!
ヘッ! きっとこれから、残りの6枚も出てくるだろうぜ。
黒の世界のゼクスに限らず、確実にパワーアップできるアイテムなンだ。
血眼になって手に入れようとするヤツは、ごまんといるだろうよ!」
「わたしも欲しい!」
「人間やめてもいいなら止めないぜ。
ヤツらは生きるために他人の寿命を喰らう必要がある。
吸血鬼って言やあ、イメージわくか? それがディアボロスってェ種族だ」
「やっぱり、いらないです」
八千代は乗り出した身を引っ込めた。
「カミサマに渡ったら大変だね」
「神についてはなにひとつ知らねェが、
ろくでもないことなるンだろうなァ……。悪くねェ!」
「いずれにしても、ほかの神祖の仮面は、ほとんど手掛かりなしの状況よ。
だから、しばらく私は情報収集を続けるつもり。
八千代はこれからどうするの?」
綾瀬の問いかけに対し、八千代は不敵な笑みを浮かべた。
「凱旋するわ。偉大なる闇の師匠の元へ」
Illust. にもし/工画堂スタジオ
大阪の心斎橋でペンドラゴン使徒教会の布教活動を行っていた
ニーナ・シトリーは、粗暴な言葉遣いの天使に声をかけられた。
猫と義父に次いで天使を尊重すべき存在として信奉している彼女は、
十二使徒 磨羯宮ハナエルの “おまえを白の世界へ連れて行く” という、
誘拐まがいの突拍子のない提案を快諾したのだった。
パートナーゼクスのメインクーンによって、
いちおう、ハナエルの身元は保証されたのだが。
「ほらよ着いたぜ。もう目を開けていい」
「ここが白の世界ですにゃ!?」
澄み渡る青い空の下に拡がる広大な空中庭園。
ニーナの目の前には、神話に出てきそうな荘厳な神殿がそびえていた。
「クゥン、ホントに本当なのにゃ!?」
「ほほ、ほ、ホントにゃ!」
メインクーンが緊張した声色で答える。
野良ケット・シーだった当時、金目の物目当てに何度も盗みに入り、
そのたびに酷い目に遭わされた場所だったからだ。
「天使様はこんなすごい建物に住んでるのにゃ!?」
「ウリエル様の大神殿にゃ」
「大神殿!!」
「ウリエルのっつぅか、
四大天使と十二使徒が顔付き合わせて会議するための場所だな。
最近、ウリエルもラファエルもミカエルもいねーけどよ」
「天使様が集う場所!!」
「いちいち騒いでんじゃねー。目立っちまうだろうが。
ただの人間や猫ごときが来られるような場所じゃねぇんだぞ。
普段なら、俺がおまえを裁いてるところだ」
白の世界における人間の地位は最底辺である。
しかも、並行過去世界の人間を招くなど異例中の異例だった。
ハナエルの後をついて神殿の中をしばらく歩いた1人と1匹は、大広間へ通された。
とてつもなく広い空間の奥まったところに、純白の羽根と輝く光冠を戴く、
《THE天使》と言わんばかりの白装束の人物が控えている。
「誰かいるのにゃ」
「あのオッサンは、白の世界のNo.2……ガブリエルの旦那だぜ。挨拶しな」
「はいですにゃ」
白の世界を代表するゼクスであるエンジェルは精神力の強さを誇示するため、
自身の姿を誰よりも神々しく偉大なものとして、再投影する傾向にある。
「うわわわ。おっきい!」
遠目からでは判然としなかったが、いざ近づいてみると、
小柄なニーナの身長はガブリエルの足元にも及ばない。
それくらい巨大な姿だった。
「は、はじめましてですにゃ!」
「よく来てくれたな、ニーナ・シトリーよ」
「……え゛っ」
改めてガブリエルの顔を拝んだニーナは目を丸くした。
彼女がとてもよく知る人物と、まったく同じ顔だったからだ。
「おとーさん!?」
「はぁ!?」
「にゃんだってー!?」
ニーナの言葉に、ハナエルとメインクーンも目を丸くした。
こんな展開はまったく予想していなかった。
「ちょっと会わない間に、おとーさんが大きくなってるにゃ……。
背中に羽根まで生やして! 頭の上の輪っかは、和室専用の丸型蛍光灯ですかにゃ?
使徒教会が天使を信仰してるからって、天使の真似事なんて恐れ多すぎるですにゃ!」
想定内の反応とばかりに、ガブリエルが苦笑する。
「私は四大天使の一角を担う、ガブリエル。
かつては私も人間の名を持ち、ニーナ・シトリーという名の少女を養っていた。
しかし、残念ながら私はおまえの父親ではないのだ」
「ボクだけどボクじゃない? 謎かけですにゃ?」
「おいおい理解ることだ」
ニーナは荒んでいた幼少期にアダム・ペンドラゴンという牧師に救われた過去を持つ。
その後は彼に付き従い、やがて新興宗教の開祖となったペンドラゴンの娘として、
筆頭宣教師として、健気に活動していた。
「正直言ってすっごく混乱してるけど、人違い、失礼しましたにゃ。
それでおとーさ……ガブリエル様は、ボクになんのご用ですかにゃ?
……ハッ! まさかペンドラゴン使徒教会の布教活動にご不満でも!?」
「おまえを召喚したのはほかでもない。
空席となった《十二使徒 宝瓶宮》の座に就いてもらうためだ」
「はぁ!?」
「にゃんだってー!?」
ハナエルとメインクーンは目を丸くした。
当のニーナは、きょとんとするばかりだった。
◆ ◆ ◆ ◆
「すごいことにゃ!
十二使徒は白の世界で一番偉い四大天使直属の天使様なのにゃ!
にゃあにゃが十二使徒になったら、にゃあの低いハナも高くなるってもんにゃ!」
自由時間を与えられたふたりは、神殿の外へ出た。
興奮するメインクーンと対照的に、ニーナは困惑した表情を浮かべている。
「しばらく人間のままペンドラゴン使徒教会の布教を続けて、精神力を磨いて、
白の世界の未来を実現させる下地をつくれってガブリエル様は言ったけど……。
ボクは、なにがなんだかちんぷんかんぷんですにゃ……」
破格の待遇に不満などあるわけもない。むしろ喜ぶべきことだ。
だが、なぜ自分が選ばれたのかについては知らされていない。
ほかの話についても、大半は理解の範疇を超えていた。
「あんなにそっくりなのに、おとーさんじゃないって言うし……」
ニーナはペンドラゴン使徒教会の開祖アダム・ペンドラゴンの養子である。
宣教師としての活動中は公私を分け “ペンドラゴン様” と呼ぶなどしているが、
父娘仲はそれなりに良好のようだ。
「にゃあにゃは頭悪いわけじゃないし、そのうちわかるにゃ」
「夢でも見てるみたいにゃ」
不思議な少女・白の竜の巫女ニノからカードデバイスをもらい、
ケット・シーのメインクーンを追いかけ回し、パートナーゼクスとした。
そして極めつけは、天使になって、仕えてほしいという誘い。
ここ数日、にわかには信じ難い出来事が連続している。
「……あそこの柱のとこにも天使様がいますにゃ。
ホントにここは、白の世界なんですにゃあ……」
「あれはきっとバキエル様にゃ。
ハナエル様と同じガブリエル様配下の十二使徒なのにゃ」
「だったら、ご挨拶してきますにゃ」
ニーナが小走りで駆け寄ると、何者かの姿が、つむじ風とともに掻き消えた。
柱の死角にもうひとり、誰かいたらしい。
「……っとと。すみませんですにゃ。
お話してたのに、邪魔しちゃったみたいですにゃ」
「あなた、だあれ?」
バキエルは儚げながらも、ころころと明るい声と笑顔で問うた。
「ボクはガブリエル様に呼ばれて来た、ニーナ・シトリーという者ですにゃ」
「そうなのね。わたしは双魚宮のバキエル」
「十二使徒 双魚宮バキエル様!
ボクは人間ですけど、どうぞよろしくお願いしますにゃ!」
膝に手をついて丁寧にお辞儀をしたニーナに、
それまでとまったく変わらぬトーンで、バキエルが告げる。
「わたしは、あんまり仲良くしたくないかな。
だってニーナちゃん、ちょっと、におうんだもの」
多感な15歳の少女にとってはあまりにも衝撃的な言葉を残し、バキエルは立ち去った。
頭を下げたまま硬直したニーナは、その姿勢のままぱたりと倒れ込んだ。
「にゃっ、にゃあにゃ!?」
「……クゥン、ボク、ショックですにゃ……。
子供の頃、貧民街でろくにお風呂に入れなかったせいかな……。
だからきっと、布教活動もうまくいかないのにゃ……」
「にゃあにゃは清潔にしてるにゃ! にゃあが保証するにゃ!
バキエル様の嗅覚がおかしいのにゃ! しっかりするにゃ!」
「うう……。アリガトですにゃ…………」
波乱の幕開けであった。
Illust. 和錆/工画堂スタジオ
剣技の冴えに歓喜するホウライ。
不思議な能力の開花にはしゃぐリーファー。
女神の人差し指が空間に矩形を描くと、
その中に北海道や東北の様子が次々と映し出された。
「戻りました」
なんの前触れもなく出現し、女神に語りかけた素朴な姿の男はニヌルタ。
彼もまた神に名を連ねる者である。
「ご苦労様。調子はどう?」
女神はイシュタル。彼よりも高位の神であった。
「イシュタル様がお気に入りのリーファーおよび、
私が掌握を得意とするホウライの、可能性のある者はあらかた。
ライカンスロープとプラセクトについても、もう間もなくでしょうか」
「どの世界、どの時代にも《願う者》は尽きないから、楽なものね」
「ほぼすべての《叶えし者》は欲望の成就に満足し、
イシュタル様へ謝辞を述べております」
「ええ。見ていたわ。いい気分よ」
「なによりです」
慈愛に満ちた笑みを浮かべるイシュタルは、
映像の向こう側にいるゼクスたちを眺め、悦に入った。
「時間はたっぷりあるのだもの。
せいぜい幸せなひとときを過ごしてもらわないとね。
……アタシが破滅をもたらすその時まで」
イシュタルが息を吹きかけると、映像の数々はかき消えた。
「竜が創造した世界なんて、跡形もなくなればいいのよ」
◆ ◆ ◆ ◆
神と竜は互いに憎しみを抱えていた。
が、別次元に分断されてからは不可侵の関係にあった。
始まりの竜は世界を創造した。
世界は人類の繁栄を願い “5つの可能性” を生み出した。
ブラックポイントが発生した。
“5つの可能性” は己が未来を確立させるため争い合った。
起きるはずのなかった “5つの可能性” の争いは、
空間にひずみを発生させてしまう。
……そして、神が降臨した。
◆ ◆ ◆ ◆
「ほか、雑多な報告があります」
「なにかしら?」
「ブラックポイントが入れ替わっているようです。
活動領域に支障の出ているゼクスが散見されました」
「ふうん。ゼクスにもあれをいじれる者がいるのね。
たまに赤の世界のゼクスを見かけたのは、そういうことか」
イシュタルは合点がいったというように、両手を打ち鳴らした。
「黒の世界関係ならエレシュキガルにいちゃもんつけて、
死ぬまで泣かせてやったところなのに、残念ね」
「如何なされますか」
「初期配置通りに整備しましょう。
住人が快適に過ごせるライフラインの構築は、箱庭遊びの基本だもの」
そう。彼女にとってゼクスたちは遊戯の駒に過ぎないのだ。
「もうひとつ、これは聞き流しても良いかと存じますが。
魔蜂姫ヴェスパローゼなる者が、イシュタル様への面会を求めております。
プラセクトながら会話能力を持ち、高度な知性を備えた個体のようです」
「へえ。少し興味があるわ。
……『陽燦』はまだ来てないのよね?」
「はい。シャマシュ様は、お見えになっていません」
「わかった。アタシが会う」
Illust. 緋色雪
各務原あづみとリゲルが青の世界の基地内に待機している。
ふたりの間に会話はなく、あづみは視線を合わせようとさえしない。
そんな中、どこからともなくアドミニストレータ アルクトゥルスの声が響いた。
「そろそろ次の任務に取り掛かってもらうよ、各務原あづみ」
「…………」
あづみの返事はない。
一向にその姿を見せない相手に、心を閉ざしていた。
「各務原あづみ、アドミニストレータ アルクトゥルスがお呼びです」
「もう、いや! ……ごほ、ごほっ」
あづみは普段の彼女からは想像のつかない大声で、拒絶の意を示した。
急激な感情の昂ぶりに、身体がついていかない。
「もう、青の世界の言うことなんて……聞かない。……けほっ」
「その発言は上官への翻意とみなされます。速やかな訂正を提言します」
無機質な声色で注意を促したリゲルを、あづみが咳き込みながら睨む。
アルクトゥルスは大げさにため息をついた。
「“もう” って言ってもね。出撃はたったの一度きりだろう?
しかも、その任務は大失敗。キミたちふたりは無様にも敗走したんだ。
赤の世界との小競り合いで疲弊しきった緑の世界相手に!」
「申し訳ありません、アルクトゥルス様」
あづみとリゲルはバトルドレスやキラーマシーンを率い、緑の世界へ侵攻した。
だが、月下香を始めとするホウライやライカンスロープに阻まれてしまった。
あづみの迷いと士気の低さが、青の世界の軍勢に波及していたという。
「所詮、絆の力なんてこの程度――」
「あなたに、なにがわかるの!?」
「わかるさ。リゲルの記憶というご褒美があれば、キミは強くなれるんだろう?」
「わたしとリゲルの大切な想い出を、もののように言わないで!」
悔しさのあまり、あづみは唇を噛み締めた。
そのせいか、咳き込んだせいなのかは不明だが、口端から血がにじんでいる。
「リゲルの記憶抹消は、シャスターとベガって人が決定したの。
……わたし、知ってるよ。あなたの権限で、その決定は覆らない」
「痛いところを突いてくるね。勘のいい子は嫌いだな。
でも、忘れてないかい? ご褒美はもうひとつあることを。
キミの病気の進行を止める薬も、あげられなくなるかもしれないね?」
アルクトゥルスはあづみを挑発するような、おどけた口調で続けた。
「キミの大好きなリゲルが、その記憶と引き換えに手配してくれた薬だよ。
だったら、手放せないよね。それともキミは彼女を裏切るつもりかい?」
「……その薬で、この “胸の痛み” は治せるの?」
「当然じゃないか。青の世界の医療技術に不可能はないんだ」
「きっとあなたも、元は普通の人間だったんだよね。
なのにわたしの言ってることの意味が分からないなんて、可哀想」
あづみは諦観と憐憫の入り混じった表情を浮かべた。
「可哀想? 私が? 聞き違えたかな」
「あなたの声……聞きたくない。二度と聞きたくないの! どこか行って!!」
あづみが両耳を塞ぐ。
アルクトゥルスから余裕が失せ、声が怒気を帯びた。
「おまえ……」
「各務原あづみ、その発言は――」
「リゲルも出てって!!」
あづみの悲痛な叫びに、リゲルが反射的に胸を押さえる。
そして、自身の不可解な行動に疑問を抱いた。
「……プロジェクトは失敗だ。
キミとリゲルの処分は、追って連絡するよ。
優秀な兵士になると期待していたんだけどね、残念だ」
「アドミニストレータ アルクトゥルス、私の監督不行き届きです。
どのような処罰でも受けます」
「まったくだよ。覚悟することだ」
捨て台詞を最後にアルクトゥルスの気配は消失した。
「各務原あづみ、あなたと会うことはもうないでしょう。
短い間でしたが、お世話になりました。失礼します」
続けて、リゲルも退室した。
ひとりきりになったあづみが力を失い、崩折れる。
「……リゲルの、ばか。
短い間なんかじゃ、ないよぉ……。
ずっと、ずっと……一緒だったじゃない……!」
大粒の涙が頬からこぼれ落ち、床を濡らす。
「つらいよ……。かなしいよ……」
あづみは天を仰いだ。
「神様、もしいるなら、わたしたちを助けて!!」
◆ ◆ ◆ ◆
絶え間なくアラートが鳴り響いている。
「……よし」
シャスターが管理する電脳空間の深部に、
アドミニストレータ ポラリスは侵入していた。
『ポラリス様、シャスターに発見されました。急いでください』
「ギリギリセーフだったようじゃな」
オリジナルXIII Type.XI “Ze31Po”、
通称 “イレブン” の呼びかけに応え、ポラリスは現実へ戻ってきた。
こちらでもアラートは鳴り響き、何者かが疾走り回る音も聞こえてくる。
「……まったく、シャスターめ。
おまえたち機械が軽視しておる《心の記録》ごときに、
随分と丁重なプロテクトをかけてくれたものじゃ。かなり手を焼いたぞ」
「ここは危険です。一緒に脱出しましょう」
イレブンの足元に空洞が開いている。
ポラリスの拠点に設置された、脱出用の抜け道だった。
しかし、すでに肉体を喪失したデータとなっているポラリスにとって、
物理的な経路に意味はない。さりとて電脳空間を介さず遠方へ移動する術もない。
シャスターに発見されたいまは、電脳空間へ潜る行為自体、無意味でもある。
「妾はここに残って囮となる。最初からそういう作戦じゃったろ?」
「しかし」
「覚悟の上じゃ。さあ、おぬしに託そう」
ポラリスの手の平に、幾何学模様の光体が浮かんでいた。
その物質は宙を移動し、イレブンの手の平に収まる。
「これが、ツー・スリーの記憶」
「必ずや目的を達成できると、信じておるよ。
すでに妾の知識と技術のすべては、おぬしに受け継がれている。
心はいつも、ともに在り、じゃな!」
イレブンの瞳から涙がこぼれ落ちた。
バトルドレスの袖で拭おうとするが、うまくいかない。
「私に感情を与えてくれたことを恨みます。
ポラリス様、どうか生き延びてください」
イレブンは空洞へ飛び込んだ。
直後、あたかも最初からそうだったように床が構築される。
「……カノープス、アルタイル、そしてデネボラよ。
妾が革命の結末を見届けることは、どうやら叶わぬようじゃ。
青の世界の未来は任せたぞ。……そして、」
その時、炸裂音とともに壁が崩れ、
ふたりのバトルドレスが乗り込んで来た。
「私は特務部隊アステリズムがひとり、メグレス。
クーデターの煽動および実行の主犯格として、
アドミニストレータ ポラリス、貴様を拘束する!」
「同じく、アステリズムがひとり、フェクダだ。
……セイント・レイばかりか貴方までとは、残念でならない。
青の世界の正義は、どこへ消え失せてしまったのだろうな」
「そんなもの、最初からなかったのじゃよ」
アステリズムのふたりに護送され、
崩れた壁から外に出たポラリスは久方ぶりに陽の光を浴びた。
眩しげに、太陽を仰ぐ。
「妾は人間に期待しておる。頑張るのじゃぞ、リゲル」
Illust. 藤真拓哉
C16 純白の双翼
天王寺飛鳥と上柚木さくら、そのパートナーゼクスたちは終末天使の襲撃に備え、防衛体制を整えていた。
強化合宿という名の温泉旅行を経て、確固たる信頼関係をも築いたかに思えた5人だったが――
ある日、さくらとフォスフラムが忽然と姿を消してしまった。
「どこにも…いない」
周辺の捜索を行っていた飛鳥、フィエリテ、ソリトゥスの3人が公園に集結する。
「黙って出て行ってしまうなんて、水くさいですね」
「急用ができたってことやろ。
双子の姉ちゃんから呼び出しくらったとかな!
もしかしたら僕らが書き置きを見落としてるっちゅうオチかもしれんわ」
楽観的な意見を述べつつも、飛鳥の脳裏には最悪のシナリオもちらついていた。
いまいち空気の読めないソリトゥスが、飛鳥と同じ想像を口にしてしまう。
「まさか…終末天使に襲われた…とか?」
「わからん。電話に出てくれんしな」
3人はひとまず帰路についた。
暗くなりがちな雰囲気を吹き飛ばそうと、飛鳥が歩きながら雑談を持ちかける。
「しっかし、最近、妙なことばかりや!」
飛鳥の言葉を受け、フィエリテがソリトゥスの羽根をなでる。
「ソトゥ子さんに真っ白な羽根が生えましたね。まるでエンジェルのような」
「なんだったんだろう。飛鳥君に…触れられた途端、ぶわぁって……。
あれ…気持ちよかった。もう…飛鳥君以外…お嫁にいけない」
「……飛鳥?」
「いやいやいやいや! 僕はなにもしとらんで!?」
フィエリテのおしおきモード発動を恐れた飛鳥が、軽く咳払いして話題を変える。
「さくらちゃんだけやのうて、兄ちゃんからも連絡があらへん。
いつもやったらどこにおっても週に2、3回は連絡くれるんやけどな〜」
「さくらさんとお兄さん、ふたりから無視されているとなると……。
単純に、飛鳥が愛想をつかされただけではありませんか?」
「悲しいこと言わんといて!」
「マジレスすると…大和義兄さんに限って…無視はない」
飛鳥がうんうんと、深くうなずく。
兄・天王寺大和は飛鳥に対し、極めて心配症かつ過保護なのだった。
「飛鳥の甲斐性が足りない問題については、ひとまず置いておきましょう。
妙なことと言えば、昨日から、部屋の隙間風がなくなった気がしています」
学生寮の飛鳥の部屋は、昼夜を問わず謎の隙間風が吹き抜ける。
寮の管理人に調べてもらったものの、部屋に異常は見つからなかった。
「案外…あの風、さくらちゃんの仕業だったり……」
「確かに! おふたりが姿を消したタイミングと、ぴったり合います!」
「なに言っとるんや! ははは!
さくらちゃんが風の大天使の素質持ちやからって…………。めっちゃあり得るなそれ!」
3人並んでうんうんと、深くうなずく。
彼女ならそれくらい無意識に出来そうだと納得してしまった。
「でもって、な?」
飛鳥が両隣のフィエリテとソリトゥスに話しかける。
……が、ふたりの姿は忽然と消えていた。
「おーい! フィエリテはーん! ソトゥ子ちゃーん! どこ行ったんやー?」
「飛鳥君…歩くの…早すぎ!」
「これだから飛鳥は! 女性に気を使えないから、甲斐性無しだと言うのです」
ふたりは飛鳥の後方から走って来ていた。
「いや、でも、ついさっきまで、アレェ?」
Illust. 碧風羽
「天王寺飛鳥だな」
3人の目の前に、エキゾチックな雰囲気を漂わせる女性が舞い降りた。
ペイントが施された身体に、露出度の高い衣装を申し訳程度に纏っている。
「あんた誰や? えらい格好しとるけど、僕は全然覚えないで」
「飛鳥、女性にいやらしい視線を向けてはなりません」
「どないせえっちゅうねん!」
「頭に輪っか…エンジェルさん? あたらしい…終末天使…かも?」
「どうでしょう。私にはそうは思えませんが」
「私は限夢栄盛の『創造』ルル」
ルルと名乗った女性の唇は、予想だにしなかった言葉を紡ぐ。
「神だ」
「神様やて?」
「アテナさんやアルテミスさん…みたいな?」
「そういえば、赤の世界のブレイバーという種族には、神の名を持つ者がいるようです」
「ゼクスと一緒にされては困る。あれらは紛い物に過ぎない。我らこそ真なる神だ」
ルルはその表情にほとんど変化を見せない。
そして、抑揚の少ない口調で飛鳥へ説いた。
「神は万能。我らは哀れな人間の願いを聞き入れるため、地上へ降りた。
天王寺飛鳥、おまえにもあるのだろう? 抱えている不安や難題が」
「そりゃ悩みくらいあるけどな」
「言ってみろ。叶えてやる」
「飛鳥君と…結婚したい!」
「その願いを阻止します!」
さりげなく割り込ませたソリトゥスの願いは、フィエリテにより0コンマ1秒で却下された。
「相反する願いを叶えることはしない。
そして私が語りかけているのは、天王寺飛鳥のみ。此度、貪欲なゼクスに興味はない」
「がっかり」
ルルの差し出した短刀が鈍い光を放ち、見たこともない文様が浮かぶ。
神々が用いる《ディンギル文字》で彼女の名が記されているのだが、飛鳥が知る由もない。
「願う者(ヒツ)から叶えし者(キラツ)へ、神の眷属となるがいい」
「いや、遠慮しとくわ」
飛鳥は晴れ晴れとした表情で答えた。
それを見て、フィエリテが得意げな表情で鼻を鳴らす。
「悩みごとは、悩んで悩んで自分で解決するもんやろ?」
「だが、人間の矮小な能力では限界があるはずだ」
「ええって。どうしてもダメな時はみんなに協力を頼むしな!」
「他人と手を組むことと神の力を得ること、いずれも独力ではない。違うか?」
「僕らのこと “哀れな人間” なんちゅう上から目線の奴には、違いも分からんか」
「神を畏れているのだな」
「もう、それでええわ。実際そうなのかもしれんし」
平行線の会話に飛鳥はうんざりしている。
フィエリテとソリトゥスも余計な口出しをしないよう、黙って見守っていた。
「もちろん僕だって神頼みくらいしたことある。
でもな、簡単に叶わないからこそ願うんや。必ず叶うなら願わん。
僕が一方的に得すれば、誰かが損しそうやしね。うまい話には裏があるもんや!」
「理解し難いな。運命を切り開く力が、欲しくはないのか」
「それや」
飛鳥は正面からルルを指さした。
「ほかのみんなは知らんけど、僕は運命とか信じとらん。
自分らが悩んで迷って転びながら歩いてきた道と、その先にあるモンを、たったの2文字で片付けてほしゅうない。
……っちゅうわけで、せっかくのお誘いやけど、お断りや!」
「信念があるのだな。やはり一筋縄ではいかないか。……最後にもう一度問おう。
願え、神に近づきたいと。願うのだ、光の天使。風の天使はすでに先へ進んでいるぞ」
「風の天使……? もしかして……」
「アンタ、さくらちゃんになにしたんや!?」
感情の昂ぶりを目の当たりにし、ソリトゥスが固まる。
飛鳥が怒りを露わにするのはかなり珍しいことだった。
「明らかに眼の色が変わったな。神に挑むつもりか?」
「そっちの出方次第や。僕は戦いを望まん」
「私の拘束を試みておいて、よく言う。
時空を超越した存在である神を捕らえられるはずもないがな」
「なんの話か分からんわ!」
「制御できないどころか、気づいてさえいないのか?
ならば新たな運命を提案しよう。完全なる覚醒を果たすことなく消え去る運命だ」
ルルが短剣で円を描く。
その範囲の空間はぽっかりと切り取られ虚無となった。
「最初からなかったことになるだけだ。怖れることはない」
「どうにもあかん展開やな。
フィエリテはん、ソトゥ子ちゃん、力を貸してくれるか」
「…………」
「…………」
しかし、ふたりの反応はない。
緻密な彫像と化してしまったかのように身動きひとつなく、その瞳は虚空を見つめている。
飛鳥とルル以外の、時が……止まっていた。
「フィエリテはん? ソトゥ子ちゃん?
ふたりしてなに固まっとんの!? 神様が襲ってくるで!?」
先ほどまでの凛々しい表情は消え失せ、飛鳥が情けない声色でフィエリテの肩を揺さぶる。
「フィエリテはああああん!?」
「望まぬ死ならば、抗え。あるいは、願え」
飛鳥の悲痛な叫びに応えるかのようにフィエリテが淡い光を放つ。
光のベールを破り、天使はまばたきひとつ。
「止まった時の中で動けるゼクスがいたとはな」
「神が如何なるものか存じませんが――」
飛鳥の前へ歩み出たフィエリテが結界を巡らせ、冷たい視線をルルへ向けた。
「飛鳥を下僕にしようなど、百年早いというものです」
Illust. 桶谷完
B17 裏切りの連鎖
「私、なにやってるんだろう」
留守番を任された上柚木さくらは、天王寺飛鳥が住まう学生寮のベランダに寄り掛かり、物憂げな溜息をついた。
心配そうに首をかしげる小鳥サイズのフォスフラムが寄り添っている。
「八千代と一緒に家へ帰りたかっただけなのに、気が付けば、飛鳥さんちへ居候。
……ううん、選択は間違ってないはず。終末天使の襲撃に備えなくちゃ。
こんな私でも飛鳥さんやみんなの力になれるんだもん。でも……」
周囲の状況に流されやすい自分の性格に、さくらは何度目かも分からない溜息をついた。
「お父さんお母さん、心配してるだろうな」
「ほんと、悪い子ねぇ」
「え?」
驚いて見上げると、見覚えのない女性がさくらの顔を覗き込んでいた。
彼女の足元にはなにもない。ベランダの向こう側、つまり空中に浮いている。
さくらは反射的にカードデバイスを構えた。
「気をつけてください、さくら。
敵意とは少し違うようですが、得体のしれない異質な雰囲気を感じます」
フォスフラムが緊張した声色で言葉を紡ぐ。
「何者です!」
「神々しく偉大な気配は、隠し切れなかったみたいねぇ」
地味な衣装に杖を携えただけの軽装。
気の強そうな表情が、ふたりを見下ろしている。
言うほど特別な存在に見えない彼女は、誰もが予期せぬ言葉を発した。
「私は神様」
「神、ですって?」
「『高潔』のスドと覚えておいてちょうだい。私たちは親しい仲になるのだからねぇ?」
不穏な空気を察したフォスフラムが、人間の街で暮らすための擬態を解除する。
さくらとスドの間に立ちはだかるように、光り輝く聖獣が降臨した。
「そう構えないでよぉ。危害を加えようってわけじゃないわ。
あなたたちだって騒ぎになるのは嫌なんじゃないの?」
視線を向けると、学生寮前の道路をなにも知らない一般市民が歩いていた。
上空の異変には気づいていない。
「……フォスフラム」
パートナーの求めに応じ、フォスフラムは小鳥姿へ戻った。
「ならば、何用です?」
「願い事を叶えに来てあげたの。
神様は気まぐれでね、たまにそういうこと、したくなるのよぉ」
「なぜ、私たちの元へいらしたのですか?」
「疑り深いのねぇ。質問ばかり」
スドは両手を広げ、大げさに肩をすくめる。
わざとらしい振る舞いがフォスフラムの鼻についた。
「私たちは人間やゼクスが抱く強い望みや願いに敏感なの。
双子の片割れ、上柚木さくら。白の世界のセイクリッドビースト、フォスフラム。
あなたたちは達成困難な欲望を持っているわ。違ったかしらぁ?」
会ったばかりの相手に素性を知られている。
恐るべき事実に、ふたりは緊張を隠せない。
「私はね、頑固者ぞろいのガーディアンを手助けしてあげるのが好きなの。
優しく暖かい風を吹かせると、彼らは次々と心の内を吐き出してくれるわ。
よっぽどストレスがたまってるのねぇ」
スドはペラペラと語り続ける。
「セイクリッドビーストはアヌ様が寵愛しているのだけれど、ほら、あの人多忙だから」
「そちらの事情はどうでもいいです。私たちには神の力など不要。立ち去りなさい!」
フォスフラムが強い口調でスドに言い放った。
さくらもその後ろで、うんうんと首を縦に振っている。
しかし、明確な拒絶の意思表示にも構わず、スドは挑発的なセリフを繰り出した。
その言葉にフォスフラムは絶句することとなる。
「確か、卵ちゃんのほかにも、風の天使がいるわよねぇ?
私も風を操るのが得意だから会ってみたかったのに、残念!
いま、と〜〜〜〜っても、大変なコトになってるみたいなのよぉ」
「……風の天使って、私に終末天使のことを教えてくれた、ミカエルさんだよね?」
さくらの耳打ちに小さく頷き、フォスフラムが苦しげに言葉を紡ぎ出した。
「……貴方はどこまで知っているのです、スド」
「大抵のことは知ってるわよぉ? だって私、神様だもの」
一貫して不遜、そして大胆な姿勢を見せている。
小細工が通用しないと悟ったフォスフラムは、正直に可能性のひとつを口にした。
「神の存在など聞いたことがありません。
ゆえに私は、貴方が終末天使や暗黒騎士の一味ではないかという疑念を抱いています」
「困ったわねぇ。そんなに神様が信じられないなら、特別にサービスしてあげるわ」
スドがさくらに向けて杖をかざす。
フォスフラムが制止する間もなく、さくらを中心に風が渦巻いた。
「きゃ!?」
「さくら!? ……!!」
フォスフラムは眼前で起きている光景に息を呑んだ。
さくらの頭上に光り輝く冠が、背中に純白の羽根が生えようとしている。
それは、天使の象徴――
「この感覚、なに!? 怖い、怖いよ、フォスフラム!!」
「馬鹿な……。こんなに呆気なく……」
やがて風は収まり、さくらは普通の人間の姿に戻った。
「いま、私、どうなったの!?
すごく、くすぐったいような、ええと、その、気持ち良かったような……」
「あなたに眠る天使の力を、目覚める直前まで引き出したわ。
もっとも、すでに光の天使の影響を強く受けていて、楽々だったけれどねぇ」
「飛鳥さんのことまで知っているのですか……」
スドは未知の体験に頬を上気させているさくらに微笑みかけた。
「どう? 神様を信じる気になったかしら?」
「は、はい、すごいです! 神様なんて、八千代が知ったら喜びそう!」
「本物の天使に覚醒できるかどうか。
あとはあなたの気持ち次第、ってところかしら」
「気持ち……かあ」
興奮気味だったさくらは、その言葉にしゅんとなる。
「どんな力があっても、私は八千代の支えになれないかもしれません。
双子の妹なのに、八千代がなにを考えているのか分からないんです……」
「お姉さん、残念だったわねぇ。もうすぐ死んじゃうみたい」
「え……?」
スドがさくらの耳元で囁いた。
唐突すぎる宣告に、さくらの動悸が激しくなる。
近頃ずっと、嫌な予感が脳裏をよぎっていた。
それは吹きすさぶ風が運んでくれた、不吉の報せ。
姉の身に良からぬことが起きる。そんな漠然とした報せ。
「さくらを惑わすのは、やめなさい!」
予期せぬ出来事に言葉を失っていたフォスフラムだったが、
パートナーの動揺を目の当たりにして我に返り、強い口調で叫んだ。
しかし、スドは構わずさくらに囁きかける。
「とても強い相手に無謀な戦いを挑んで、あっけなく殺されるの」
「八千代が……」
「やめろと言っているんです!!」
「知っているのに黙っていることが、誠実な態度とは限らないわよぉ?」
「くっ……」
「フォスフラム、いまの話、本当? いままで、私に黙ってたの?」
さくらの瞳から光が失われていた。
姉の窮地を知らされ、正常な判断力を無くしかけている。
「……以前も言いましたが、姉君は白の世界の歴史に登場しません。
私が知っているのはこれだけです。それ以上でもそれ以下でもありません。
はっきりしたことは分かりませんが、なんらかの事故で生命を落とすのでしょう」
「それがいまなんだね? だったら、すぐ助けに行かなくちゃ!」
「運命はそんなに生易しいものではありません。
深追いすればするほど無力を思い知り、絶望に苛まれることでしょう。
特に……死の運命は、人の努力如きで回避できるものではありません」
「だからって見捨てろって言うの!?
ひどいよフォスフラム、そんなこと言うなんて!」
「さくら、私は……」
白の世界の創世は、仲の良かった兄弟の死別の上に成り立っている。
いずれ白の世界の頂点に立つほどの者でも、運命には抗えなかったのだ。
「人には不可能。けれど、神様ならその限りではないのよねぇ」
絶好のタイミングで挟まれたスドのセリフに、さくらがハッとなる。
「神様! 私、どうすればいいんですか!?」
「簡単なことよ。願えばいいの」
「さくら、耳を貸してはなりません!」
「神様、お願いします! 私に、八千代を救うための力をください!」
「さくらっ!」
「ふふっ。願っちゃったわねぇ?」
口元が妖しく歪むのをフォスフラム見逃さなかった。
疑念は確信へ変わった。“この者は危険だ” と脳が告げている。
しかし、言葉にして警告を発することのないまま、危機感が薄らいでゆく。
フォスフラムの翼に神の刻印が宿っていた。
「風の天使の資質はもう引き出しちゃったから、こんなのはどうかしら?」
再びさくらに杖をかざす、スド。
フォスフラムは黙ってその様子を見守っていた。
「うん? 特に、なにも……」
さくらの瞳から涙がこぼれ落ちる。
「あ、あれ?」
何故だかフォスフラムを見つめているだけで、さくらは胸が締め付ける気がした。
「どうしたのです?」
「……ごめんね、ごめんなさい、フォスフラム」
さくらの変貌に戸惑うフォスフラム。
「さっきは、私が暴走しないよう気を回してくれてたんだね?
なのに私は自分のことばかりで、フォスフラムの言葉に耳を傾けなかった」
記憶と感情が、さくらに流れ込んで来る。
「それに、フォスフラムはもともとミカエルさんに仕えてたんだもの。
心配……だよね? 助けたい……よね? 私が八千代の側へ行きたいように!」
「まさか、私の心が!?」
「親しい者の心が読めるようになったはずよ。風読みに加えて心読み。
これでもう、卵ちゃんの心配事は全部解消されるんじゃないかしらぁ?」
さくらはハンカチで涙を拭うと、スドの手を取った。
「神様ってすごいんですね!」
「フフ。素直な子って大好きよ」
スドは満足げに笑みを返した。
「私、もっと自分の気持ちに素直になります。
そうしたら八千代のことだって、もっと分かってあげられるはずだもの!」
フォスフラムは気付いた。
いつの間にか、神への疑念がほとんど残っていない。
さくらの心を弄んだ神に怒りが湧いて来ない。
フォスフラムは恐れた。
自分が自分でなくなっていく奇妙な感覚を。
さくらと己の身に迫りつつある破滅を……。
「八千代のところへ向かわなくちゃ!
フォスフラムはミカエルさんのところへ!」
「いいえ」
「遠慮しないでいいんだよ? フォスフラムも素直になろうよ!」
「私はミカエル様の御使いですが、さくらの後見人でもあります。
さくらの選択に……従います」
「ありがとう。ふふっ、フォスフラムはいつでも私の味方だね!」
「出発の準備をしていてください、さくら。
飛鳥さんたちを巻き込むわけには参りません。彼らが買い物から戻る前に出ましょう」
「うん、急いで支度するね!」
さくらが部屋に引っ込んだのを見届け、フォスフラムはスドへ向き直った。
「スド、私からも願いがあります」
「風の天使ミカエルを封印から解き放つことかしら。もちろん可能よ」
「少しだけ違います。
果たして貴方に叶えられるか怪しいものですが、言っても構いませんか?」
フォスフラムは残り僅かな敵愾心を振り絞り、スドを挑発した。
「ふぅん? 言ってみなさいよ。なんだって叶えてみせるから」
「ならば、私は神に願います。天空におわす大天使ミカエルに、
逆境を覆す力を授けたまえ! さくらの窮地を救う力を与えたまえ!
……さあ、神が万能ならば叶えてみなさい。貴方にできるものなら、ですが」
「ただ解放するだけでなく、希望を託そうっていうのね? 考えたわねぇ。
でも、残念。そんな都合のいい願い事、叶えてあげるわけないじゃない」
「いいえ。きっとこの願いは叶います。
なぜなら貴方が、ミカエル様に個人的な興味を抱いているからです」
「パートナーが《叶えし者》となった影響は少なくないはずなのに、見上げた根性ね。
言っておくけど、こんな大きな願い事、代償は高くつくわよぉ?
心が壊れてしまうかもしれないわ」
スドはけらけらと楽しげに嗤った。
神が願いを叶える際は《願う者》の魂を削る。
分不相応な願いを叶えようとした者の末路は決まっていた。
――魂の焼失。
「どうなろうと、私の知ったことではないのだけれど」
「ええ、貴方の知ったことではありません。
それにミカエル様やさくらに比べたら、私の心など安いものです」
「いい覚悟ね、取り引きに乗ってあげる。
竜が生み出した人間やゼクスは反吐が出るほど嫌いだけれど、
あなたのことはしばらく忘れないかもねぇ?」
「ミカエル様、申し訳ありません。後を、お願いします……」
スドの杖が煌き、フォスフラムの意識は途切れた。
Illust. にもし/工画堂スタジオ
切り株のテーブルの両側で、ふたりの人物が対面して座っている。
片や、人の姿をした蜂のプラセクト。片や、精悍な顔つきと巻き毛が特徴的な老人。
四皇蟲 隷梏女王ヴェスパローゼと、神のひとり、豪胆の『陽燦』シャマシュである。
双方の傍らには、ヴェスパローゼのパートナーである百目鬼きさら、
そして、やはり神のひとりである、生れ出る『恵愛』イシュタルが控えていた。
最初に口を開いたのはヴェスパローゼだった。
「緑の世界のブラックポイントを元に戻してくれた件はどうも。
さすがは神の御業。素晴らしい奇跡を見せてもらったわ。
ブラックポイントの上に見える山々も、あなた方の仕業なのね?」
「大したことないわ。
赤の世界のゼクスが箱庭遊びの邪魔だった。それだけよ」
「あれは神域の景色じゃな。
いわゆる権威の象徴というやつじゃよ。心配せんでも深い意味などありゃせん」
「へえ、そうなの」
イシュタルとシャマシュが続けざまに返答する。
質問を投げかけた当人であるヴェスパローゼは、淡白な反応で受け流した。
以前、徳叉迦の秘術により位相転換されたブラックポイントは、
ふたりの神によって呆気なく元通りにされてしまった。
北海道にあった赤の世界のブラックポイントはイシュタルが九州南部へ、
宮崎付近にあったブラックポイントはネルガルが東北へ移している。
それぞれの地方に取り残されたゼクスも、
敵対世界のゼクスによって徐々に駆逐されているという。
「それにしても忌々しいのは八大龍王ね。
もっと役に立つと思っていたのだけれど、とんだ厄介者だったわ」
「お互い、身内の行動には難儀するのう。
ワシのところも『恵愛』が好き勝手動くもんじゃから、手を焼いておる」
「放っといてよ。私は『陽燦』サマの部下でも、頼もしい仲間でもないの。
せっかく神域と繋がって大暴れできるんだから、楽しまなくちゃ損よ!」
「ん、なにか言ったか? さっぱり聞いておらんかった」
イシュタルの訴えをシャマシュは聞き流していた。
「これだから年寄りは!
エレシュキガルとまとめて一緒に、呪い死なせてやろうかしら?」
「いしゅたるさま」
緊張感を漂わせ始めたふたりの神を見かねて、
上目遣いのきさらが、おずおずと口を開く。
「けんかだめ」
「……はあ、もう。可愛いわねえ!」
ついさっきまでぷりぷりと怒っていたイシュタルが、
きさらのひとことで、すっかり毒気を抜かれてしまった。
イシュタルはリーファーを始めとする可愛らしい存在に弱い。
それらを愛でることと壊すことに、至上の喜びを感じていた。
「ヴェスパローゼの紹介、ご苦労じゃった。
どこへなりと遊びに行って構わんぞ、『恵愛』」
「くれぐれも私の邪魔はしないでね、『陽燦』サマ?」
イシュタルはくるりと3人に背を向け、立ち去る。
きさらが深々とお辞儀をして、そんな彼女を見送った。
「まるで厄介払いね。彼女がいると、なにか問題でも?」
「ワシが言うのもなんじゃが、『恵愛』……イシュタルは陰険でな。
時間をかけて盤石を期してから一気に崩すやり方にこだわりおる。
せっかちな年寄りには、まどろっこしいのが苦手なんじゃよ」
「不老不死の神に、老人や若者の概念があるのかしら?」
「ほほほ。気分じゃよ気分。……さて」
好々爺を演じていたシャマシュが急に真剣な面持ちとなり、
ヴェスパローゼへ語りかける。
「本題に入ろうかの。おまえの話を聞かせてくれ」
「私たちは大樹ユグドラシルの繁茂を目的としているわ。
人間やゼクスはそのための大切な肥料よ。生死は問わない」
「神の最終目標は竜の創りしものすべての根絶じゃ。
人間やゼクスはもちろんのこと、ユグドラシルといえど例外ではない」
「大樹ユグドラシルに危害を加えようとするのは、見過ごせない。
でも、それ以外の目的はだいたい一緒ということかしら?」
「そのようじゃな」
「…………」
「…………」
沈黙に耐えられなくなったきさらが、
危なっかしい手つきでシャマシュとヴェスパローゼのカップにお茶を注ぐ。
シャマシュは熱いお茶を涼しい顔で一気に飲み干した。
「まあ、なんじゃ。同盟とやらを組んでも構わんぞ。
おまえは我らにゼクスを提供する。ワシはおまえらに情報を提供する」
「話が早くて助かるわ」
「しかし、おまえはユグドラシルの尖兵なのだろう。
竜の意思に背くような行動を取っても良いのか?」
「最終的に大樹ユグドラシルのためになるなら、経過は問わないわ。
結果を出せば、誰も文句は言わないし、言えない。そうでしょ?」
「違いない」
「せいぜい利用し合っていきましょう。
もちろん裏切りも自由よ」
「ならば、近づきの印にワシと契約してみんか?」
「なんでも願いを叶えてくれるのよね」
「見返りに《叶えし者》となった人間やゼクスの、魂の力を糧にするがな。
そして、ある程度《叶えし者》の動向を探れるようにもなる。便利じゃぞ」
「さすがにそれは、私に分が悪いわね。……きさら」
急に話を振られたきさらが、びくっと身をすくませる。
「どうしたの、きさら? 神様にお願いごとを言うの。
いつも言ってるじゃない。強くなりたいのよね?」
きさらは言葉を詰まらせ、もじもじしている。
やがて意を決したように重々しく口を開いた。
「きぃ、もうやった。おねがいかなえてもらった」
きさらが神の刻印をヴェスパローゼに指し示す。
「ほんとね。興味ないから全然気づかなかったわ」
「確かに神と契約を交わしておるようじゃな。だが、ワシは知らんぞ」
「いしゅたるに、あたまよくしてもらった。
もっと、ろぉぜのやくにたちたかったから」
「近頃急に饒舌になったのは、そういうことだったのね」
「ぅぃ」
内緒で叶えた願い事。
きさらはなけなしの知識と経験を頼りに、頑張って考えた。
ただ、ヴェスパローゼにほめてもらいたい、その一心で。
「しかし、よりによってイシュタルか。
下手をすると、この密談も筒抜けということじゃな」
「きさら、あなたは本当に使えない子ね」
「……ぅゅ」
期待は失望へ変わり、幼い少女はうなだれた。
「しかし、妙じゃのう」
「なにがかしら?」
「頻繁にリソースのやり取りを行う人間とゼクスには強いつながりができ、
心を通わせた者同士は、やがて神への依存をも共有するようになる」
それは、愛情、友情、絆と呼ばれるもの。
「だが、ヴェスパローゼ、おまえはどうじゃ。イシュタルの影響が出ておらん」
「当然じゃない」
斬って棄てるようなヴェスパローゼの物言い。
きさらは、さらに深くうなだれた。
「薄情な奴じゃのう。虫が虫たる所以か。その分、信用に足る」
「いいわ、私が願う。妙案を思いついたの」
「聞こう、《願う者》ヴェスパローゼ」
「ある人間を魂ごと根絶してほしいの。できるかしら?」
「承ろう。『陽燦』の名の下に《叶えし者》となれ」
シャマシュの剣からつるが伸び、ヴェスパローゼを取り巻いた。
大樹ユグドラシルを守護する4つの端末、四皇蟲。
人の姿こそ取ってはいるが、それは視覚を惑わす擬態に過ぎない。
高度な知性を伴った本能が、いま、神を利用している。
「さようなら、紅姫」
ヴェスパローゼは天敵の名を告げた。
Illust. 柴乃櫂人
都城出雲が愛用の着流しを脱ぎ、上半身裸となった姿で滝に打たれている。
瞑想をしているようだったが、人の接近に気付き、声をかけた。
「飛鳥君もいかがですか。精神が研ぎ澄まされますよ」
「遠慮しとくわ。痛そうやし」
出雲との勝負に敗れた天王寺飛鳥は身柄を拘束され、関東への移動を余儀なくされていた。
拘束という表現は、実際には少し異なる。
物理的に縛られているわけではない。
「てっきり僕は、簀巻きにされて関東まで引きずられるのかと思うとったわ」
「馬鹿げています。そんな非道な行いをするわけがないでしょう」
「いや、それがつい最近な?」
ごく最近、まさにそのような状態にされた経験を打ち明けようとした飛鳥を、
カードデバイスの中のフィエリテが冷たい声でたしなめる。
『……飛鳥』
「なんでもないです!」
飛鳥が出雲に奪われた自由は、ふたつ。
フィエリテをカードデバイスからアクティベートすること。
兄と連絡を取ること。
「もうひとりのお連れの方には、申し訳ないことをしました」
「いちおう、無事は確認できとる」
「それはなにより」
ここしばらく飛鳥に同行していたソリトゥスは、カードデバイスに閉じ込められた末、
出雲の手で神戸の海に捨てられてしまった。
そのため飛鳥やフィエリテと離れ離れになってしまったのだが、
彼女は自らの能力を用い、夢を通じて無事を伝えてきている。
「機会があれば彼女には謝罪しましょう」
「ソトゥ子ちゃんは許しても、僕はあんたを許さんけどな」
睨みつける飛鳥には視線を合わせず、立ち上がった出雲は流れ落ちる滝から進み出た。
ガーンデーヴァからタオルを受け取ると、飛鳥へ告げる。
「貴方はいざという時の切り札です」
飛鳥が捕らえられてしまったあの日、
出雲は天王寺大和との再戦に際し、飛鳥を人質にすると語った。
「ですが、然るべき場面に遭遇しないようであれば、すぐにでも解放してあげますよ」
「あんたと兄ちゃんの間に何があったんや」
「天王寺大和は私が断罪を遂げるのに立ちはだかる障害です」
「せやかて、兄ちゃんは有名企業の商社マンやで?
もしかしてあんた、ライバル企業の工作員かなんかか!?」
飛鳥は自分の兄が黒崎神門の生命を狙う、
ル・シエルというコードネームを持つ暗殺者であることを知らない。
家族をなによりも大切に想う大和が、真実を伏せているためだ。
「貴方が真実から隔絶されている理由は、容易に想像がつきます。
ならば、第三者の私から伝えるべきではないでしょう」
出雲は神の領域に触れたことにより新たな力と迷わない心を得た。
必要に迫られれば手段を選ばないが、誠実で崇高な精神を失ったわけではない。
ガーンデーヴァが “透き通るような黒” と表現する所以である。
「私が逢いたいのは貴方の兄ではありません。別の男なのです」
神門の罪を問い、断罪する。
そのためにも暗殺者に先を越されるわけにはいかなかった。
「調子狂うなあ……。
あんたが根っからの悪人なら、僕ももっと抵抗するんやけど」
「その発言、反抗の意思表示と受け取っても良いかしら?」
飛鳥のぼやきを聞きつけたガーンデーヴァが、
出雲へ着物を渡しつつ、背中越しに飛鳥を牽制する。
「い、いえ! 滅相もない!」
形の上では軟禁だが、妙な動きを見せた途端、
狙い澄ませたガーンデーヴァの矢が飛んで来ることを、飛鳥は知っていた。
「うぅ、兄ちゃん助けて!」
『……情けない』
ルルと相対した時に一瞬だけ見せた凛々しさは、どこへ消えたのか。
フィエリテが溜息をついた。
――その時。
「ひょわああああああ!?」
とてつもない大音響とともに空を突き抜け、天空から一条の光が墜ちた。
飛鳥の眼前で地面を穿った光はやがて収束し、あるものの形を取る。
「な、なんやこれ。剣……か?」
恐る恐る、大地に突き刺さった剣へ飛鳥が手を伸ばす。
不思議と警戒心は湧いて来なかった。
飛鳥が剣に手を触れた途端、
先程よりもさらに眩い光の奔流が渦巻く。
「わ、わ!?」
「飛鳥君、手を離すのです!」
「せやかて、離れーーーーん!」
……数秒ののち。
光が収まったその場に、飛鳥、出雲、ガーンデーヴァの姿はなかった。
◆ ◆ ◆ ◆
「希望を託そう。君は私と同じ過ちを犯してはならない」
「向かえ。最も逢いたいと願う人物の元へ」
「兄を救うのだ、天王寺飛鳥」
Illust. 碧風羽
「カール・ワイバーンクン、かな?」
どう見ても違和感のある光景だった。
童顔の少女が初老の男性を “クン” 付けで呼んでいる。
当の本人は呼ばれていることに気付いていない。
公園のベンチに積んだ数十冊の書物を交互に見返し、なにやら唸っている。
「カールクンってば! 聞こえないの?」
「おっと、私を呼んでいたのか。済まなかった」
少女の存在に気付いた彼は書物を閉じた。
そして、頭を掻きながらベンチから立ち上がる。
(参ったな……また私のファンか。気分転換に表へ出たのは失敗だったか)
赤髪にピンクのリボン、そしてオレンジ色のワンピース。
自己主張の激しいカラーリングの少女が、気の強そうな視線で彼を見上げている。
(しかも、独自の世界観を構築しているタイプだ。
嫌いじゃないが、関わるとかなりの時間を奪われてしまうぞ)
しばし思案し、彼は申し訳なさそうに答えた。
「悪いが、ここのところゼクスたちの動きが不穏かつ活発になっていてね。
本業にも支障が出ているくらいなんだ。サインはまた今度にしてくれ」
カール・ワイバーンは他世界解釈を専門とする学者である。
本来は北アーカム大学で物理学と量子力学を教える教授だが、
数年前にゼクスが現れて以来、ある調査のため、たびたび訪日している。
日本は5色すべてのブラックポイントを抱える特異な地域だからだ。
「私は昇熱の『壊做』ナナヤ。
神が人間なんかのサインを欲しがると思う? 分かるよね?」
「神?」
(以前、竜の巫女を名乗る少女にも出逢ったが……。
近頃の娘は随分とメルヘンチック・シンキングなのだな。
七尾はこうならないよう、それとなく釘を刺しておかねばなるまい)
余談だが、青の世界のゼクス使い、獅子島・L・七尾の父親であり、
黒の世界のゼクス使い、上柚木綾瀬の母方の親戚に当たる人物でもある。
「赤の世界のブラックポイントから現れたゼクスの中には、
地方伝承や神話に登場する神を名乗っている者がいると聞く。
恐らく彼らの模倣をしているつもりなのだろうが、
メソポタミアの神を名乗るとは、若いのに渋い趣味じゃないか」
ワイバーン教授はナナヤのごっこ遊びに付き合うことにした。
早急に、満足して帰ってもらうためだ。彼なりのファンサービスである。
「神の扱いが軽いのは、どう考えても赤の世界のゼクスのせい。コピーのくせに……。
逆に、神域が閉ざされる前に流布しておいた “竜は悪魔” って噂は、
あまり広まってない。……理不尽!」
「君、なかなか面白いことを言うな。知識も豊富そうだ」
もしかすると他世界解釈に通じるかもしれないナナヤの言葉。
ワイバーン教授に、次第に彼女への興味が湧き始める。
「それで、君が神だとして、私にどのような用件があるのかな?」
「カールクンは《特異点》を探してるよね?」
「最近の論文を読んでくれているのだな。感心感心」
「読むわけない」
「隠すことはないぞ。
しかし、確かに私は学会で異端の存在だからな。恥ずかしがるのも無理はない。
しょうがないな……特別だ。君にサインをくれてやる!」
ワイバーン教授は得意の忍術でなにもない空間からペンと色紙を取り出すと、
目にも留まらぬ早業と美しい筆記体で、フルネームを書き上げた。
SD化させた自分のイラストまで添えて、ナナヤへ差し出す。
「私、いらないって言ったよ? ナメてると消すよ?」
声色を落としたナナヤはワイバーン教授の直筆サイン色紙に手をかざし、
瞬時にして消滅させて見せた。
しかし、相手を恐れさせるはずの行動は、逆効果となった。
「イッツ、アメイジング! 君はクノイチだったのか。
なかなかエクセレントな腕前じゃないか。流派はどこだ?」
もうひとつ余談だが、ワイバーン教授は忍者マニアである。
趣味が高じて自らも忍術を免許皆伝してしまうくらいの。
いつまで経っても進展しない会話に業を煮やしたナナヤは、
単刀直入に本題を切り出した。
「私、カールクンが捜してる《特異点》を知ってるよ」
「……ほう? 興味深いな」
喰いついた。
この人間は私の手に落ちた。
「カールクンが願うなら、名前と居場所を教えてあげる」
「いや、結構だ」
確信を覆され、ナナヤが眉をひそめる。
「なぜ? 学者としてのプライド?」
ナナヤはふと、都城出雲という男を思い出した。
彼も独力で野望を達成することにこだわっていたからだ。
たまにそういうタイプに遭遇する。面倒な輩だった。
「確かにプライドもある。
だが、それ以上に個人からの情報を鵜呑みにするのは危険なんだ。
私の意識が君の挙げる候補者ばかりへ、絞られてしまう。
確証もなく調査範囲を狭めるのは良くない」
「候補じゃなくて、正解を教えてあげるって言ってるんだけど?」
「ハハハ、そいつはいい!
調査に行き詰まった時は、ぜひとも知恵を貸してくれ!」
ワイバーン教授が豪快に笑う。
この方針で攻めるのは困難だとナナヤは判断した。
だが、人間は欲深き生き物である。
生きている限り、願い事は無尽蔵に湧いてくるはずだ。
「……それなら、ほかの願いはどう、カールクン?
どんな願いも叶えてみせるから!」
「そうだな……。君、私の助手にならないか?
なかなか筋が良さそうだし、忍術の心得があるのも高評価だ」
「ジョシュ?」
神は頂点。
中でもナナヤはかなり上位の存在である。
馴染みのない言葉の意味に気付いた彼女は、全身をわななかせた。
「私が……? 人間の……? 下に……?」
「バイト料は弾もう」
「思い上がるな! 消えろっ!!」
ナナヤがワイバーン教授の顔に、手をかざす。
神の御業は、カール・ワイバーンという存在をこの世から消滅させた。
……と思われたが。
「こいつは驚いた! 私の分身どころか、ベンチや書物まで消えてしまったぞ!
反射的に空蝉の術を使ってしまったが、君の忍術に掛かっていたらどうなったのか、
フフッ、それもまた気になるところだな! ……ンンーーーーナナヤ君ッ!!」
ワイバーン教授は見知らぬ流派の忍術に触れ、とても興奮していた。
是が非でも雇われてもらおうと、ナナヤへ呼びかける。
「なあおい、君。……おや?」
気付いた時には、少女は忽然と姿を消していた。
彼は神に見放されたのだ。
Illust. 狗神煌
C17 漆黒の堕界
有名な大学に進学して、有名な企業に就職して、有名人になりたい。
仲の良い弟とふたりで漫才道を極めるのも悪くない。
幼い頃はそんなことを漠然と考えていた。
現実的には志半ばで夢敗れ、平凡なサラリーマンとなり、知らない誰かと結婚して、静かな老後を送るんだろう。
それも悪くない。決して裕福ではなかったが幸せな家庭に育った彼は、そうも考えていた。
個性と言えば、お化けが苦手でミリタリーに憧れているくらいの、ありふれた存在。
普通で良かった。
普通が良かった。
しかし、少年のささやかな希望は、ある日突然、打ち砕かれることとなる。
――父親の急死。交通事故だった。
息を引き取る直前、父親はほかの家族の誰でもなく彼へ遺言を残した。
「これからはおまえが家族を守っていくんだ……」
まだ幼い少年には重すぎる言葉だった。
稼ぎ頭を失った途端に家計は回らなくなり、少年はみすぼらしい格好を学校で馬鹿にされた。
勝手に死んだ父親を恨み、授業をさぼっては、誰にともなく食って掛かった。
唯一心の拠り所となったのは、天真爛漫な弟の存在だけだった。
さらに時が経ち……次に母親が倒れた。
ふたりの息子を身ひとつで養っていた無理が祟ったためだ。
初めて笑顔を失った母親の姿を見た。
初めて笑顔を失った弟の姿を見た。
早朝から深夜まで働き詰め、素行不良の息子の指導で呼び出されてさえ、笑顔を浮かべた母親。
母親に代わり、せめて料理くらいはと具なしのたこ焼きを振るまい、底抜けの人懐っこさで癒やしを与えてくれた弟。
対して、自分は家族のためになにをしてきただろう。
……なにも、していない。
世の中に恨み言を吐くばかりで、家族を省みることをしなかった。
亡き父親の言葉が思い起こされる。
『家族を守れ』
愚行を悔いた青年は数年越しに更生し、なんとか高校を卒業した。
しかし、中学・高校と無駄にした時間は戻らず、知識や技術はない。
粗野な性格も治らず、日雇いの仕事では度々トラブルを起こした。
折りしもそんな頃合いだった。
世界各地へ《ブラックポイント》が開き、未知の生物《ゼクス》が現れたのは。
海外へ渡り、傭兵として生命を燃やす決心を固めた青年の名は、天王寺大和。
守るべきは世界ではなく、大切な家族。
◆ ◆ ◆ ◆
「苦労してるのね。お気の毒……」
大和の深層意識へ潜り込んだ神・エレシュキガルはささやいた。
瀕死の重傷を負った大和は、精神世界でも身じろぎひとつできない。
「傷つけることも傷つけられることも怖いのに……」
大和を挟んで反対側の空間がぼうっと揺らぎ、現れたふたりめのエレシュキガルがささやく。
「戦争で殺した相手の悪夢に悩まされ……」
「足を洗おうとした矢先に弱みを握られ……」
「闇の組織に殺し屋として雇われ……」
「挙句の果てに通り魔に襲われ……」
「パートナーのクレプスも本性を現した……」
「誰もがあなたを利用する……」
「あなたは使い捨ての歯車……」
次々に現れたエレシュキガルが、口々に大和を責め苛んだ。
現実を突きつけられた大和は、やっとのことで言葉を絞り出す。
「……知った風な口を!」
「神は万能。なんだって知ってる……」
「あなたの忠告を聞き入れず、ゼクス使いを続けている弟のことも……」
「黙れッ!」
「宵の魔人クレプスの正体は、終末を迎えた黒の世界、最後のディアボロス……」
「あなたをサタンとして蘇らせることしか考えていない……」
「黒崎神門や都城出雲と刺し違え瀕死となったあなたへ、仮面を被らせる機会を伺った……」
「けれど、あなたはのうのうと生き延び続けた……」
「だから彼女は願いをかけた……」
「“ル・シエルに絶望を与えてほしい” ってね……」
「黙れと言っているんだッ!」
「あなたが聞いたから説明してあげてるのに、不条理ね……」
「そう。この世は不条理で不公平……」
「弟の心は離れゆく……」
「ならば見限ればいい……」
「すべてを……」
「かわいそう」
「カワイソウ」
「嗚呼、可哀想」
「Merde!」
慟哭をせせら微笑うエレシュキガルたちはひとつになり、悔し涙を流す大和の顔を覗き込む。
「もうすぐあなたは死ぬ。取るに足らない人間の生命、わたしはそれでも構わない。
いずれにしても神が人類を滅ぼすけれど、あなたが欲望をさらけ出し “叶えし者” となるなら話は別。
復讐したい相手はいない? クレプス? さっきの通り魔? それとも……」
「俺は弟が、家族さえ無事なら、安らかに生命の幕引きを受け入れただろう。
クレプスの思惑に従ってやる義理もない。
……だが、神が人類を滅ぼそうとしているのは聞き捨てならん」
「意外……。あなたにも正義感なんていう陳腐な心があるのね」
「違うな。他人がどうなろうと知ったことではない。
だが、あいつは違うんだ。飛鳥は必ず貴様らに抗うだろう。そんな弟を俺が置いていけると思うか?」
「神に歯向かうのね……」
「早とちりするな」
「ならば聞かせて。天王寺大和、あなたの願いは……?」
これまで微動だにできなかった大和が、不意に上体を起こす。
その口元に鋭い牙が備わっていることに気付き、エレシュキガルの反応が鈍った。
「ぎゃああああァァァァ!!」
「俺は家族の幸せだけを考えて生きてきた。些細な願いだ。なぜ神は、愚かな人類はそれさえ阻む!
ならば俺はあいつを守るため、無様に生き延びよう。人であることを棄ててでも!」
刹那の動きでエレシュキガルの右腕を食いちぎった大和の顔を、どこからともなく出現した神祖の憤怒の仮面が覆う。
「我が名はサタン。神に歯向かうのではない。
すべてを滅してくれよう。世界も、神も、俺自身も……ウゥ……」
その瞳からは流れ落ちる涙は、血の色に染まっていた。
「弟も……だ…………」
Illust. 吟
「ル・シ……エル? うそ、よね?」
上柚木八千代と上柚木綾瀬が駆けつけた時、天王寺大和はすでに血の海に沈んでいた。
クレプスが側に佇んでいるほかは誰もいない。
「どうして、動かないの?」
八千代が大和の胸にすがりつく。
どんなに揺り動かしても、反応はなかった。
血に塗れた両手を眺め、荒い息でかすれた声を漏らす。
「どうして、こん……な……血…………」
「八千代、気をしっかり! 可哀想だけれど、彼はもう……」
「あんたたちゼクスでしょ!? 体力が回復する魔法みたいなの使えないの!?」
「ご、ごめんよ。僕だってなんとかしたいんだ! でも、うぅ、ル・シエルぅ……」
「……ハァ。厄介なのが来たわね」
溜息を吐き出し、クレプスが毒づいた。
なぜこの人は平然としているの?
重傷のル・シエルに応急処置を施そうともしないで?
八千代は疑念を口にした。
「クレプスさん、まさか……」
「どうかしらね」
釈明もせず、はぐらかす。
小馬鹿にした態度に、ついに怒りが爆発した。
「……っ! あんった!」
「落ち着いて、八千代!」
アルモタヘルがくちばしで八千代の襟首をはみ、クレプスに掴みかかろうとするのを押し留める。
「どうして守らないの!? ル・シエルは大切なパートナーじゃないの!?
あんただけ無傷で……なにやってるの!?」
「少なくとも殺ったのはソイツじゃねェな。見ろよ、その兄ちゃんの屍……」
ズィーガーが口にした不穏な言葉に八千代が身をすくませる。
デリカシーのない獣の後ろ足を綾瀬が踏みつけた。
「ッてェ! ……ったく、面倒くせェなァ。
モタ公なら分かンだろ。その兄ちゃんの身体に死霊の残りカスがまとわりついてンのがよ」
「ほんとだ! ノスフェラトゥの仕業かな。
ということは……クレプスさんはディアボロスだから、犯人じゃないってことだよね?」
アルモタヘルの問いかけにクレプスは答えなかった。
代わりに綾瀬が意見を述べる。
「……もしかして、さっきすれ違った男が?」
「ゼクス使いだったンだろうな。血のニオイがしてたぜ」
ふたりと2匹は数刻前、黒いコートに身を包んだ大柄の中年男とすれ違っている。
いま思えば、現場から立ち去った直後のようにも考えられた。
「犯人探しは後だ。覚悟を決めな、嬢ちゃん。
まだ息があるうちに別れの言葉をかけてやるンだな。
俺様はどうだっていいが、大事なンだろ? そういうのがよ」
「…………」
さんざん喚いてみせても、八千代には最初から分かっていた。
アルモタヘルの時のような奇跡は起きない。
それほどの、絶望的なまでの失血。
世話になった師匠へ感謝の言葉をかけようと、八千代はその手を取った。
不思議と涙は出ない。まだ現実を受け入れられていないのかもしれない。
不意に大和が手にしていた “なにか” が転がり落ちた。
「なに、これ? …………!?」
視線を向けた、ただそれだけで八千代の背筋が凍りついた。
仮面が禍々しい気を放っている。
そして、伸ばしかけた彼女の手は乱暴に払い除けられた。
呆気にとられて見上げる八千代へ、クレプスが冷淡に告げる。
「貴方が触れていいものではないわ。本当に鬱陶しい子。
ル・シエルもどうしてこんな役立たずを気にかけるのかしら」
「な、なによ。わたしやアルモタヘルだって強く……!」
「だったら聞くわ。貴方はなんのためにゼクス使いをしているの? 見栄? 虚勢?
生命の奪い合いをしている自覚はあるの? 貴方が立っているのはそういう場所よ」
クレプスの指摘に八千代はなにも言い返せなかった。
「どこまでも愚かなのね。だから私は貴方が嫌いなのよ」
なおも八千代を叩こうとしたクレプスを綾瀬が制止する。
同時にアルモタヘルが翼を広げ、八千代をかばった。
「これ以上八千代をいじめるなら承知しないからね!」
「クレプスさんだったかしら。私は上柚木綾瀬、ひとつ訊きたいことがあるの。
それ、神祖の仮面よね。現物を見るのは2回目かしら。だから私には分かる」
綾瀬は両親の死のきっかけとなった神祖の仮面を憎んでいる。
目の前にあるものは、7枚のうちの1枚に間違いなかった。
「だとしたら?」
「破壊するわ」
その言葉に鉄面皮のクレプスが眉を潜めた。
別離の出来事が昨日のことのように思い返される。
「かつてこの俺と唯一渡り合い、壮絶な最期を遂げた男がいた」
「ヤツから奪った能力……よもや今際の際に使う羽目になるとはな」
「俺の消滅をきっかけに、おまえは時を越えるだろう」
「生きろ、クレプス。誇りを胸に……」
「私が辿り着いたのは “神祖の七大罪が姿をくらませた” 世界だった」
なぜいなくなったのか、誰かに殺されたのか、行方を知る者はいない。
当然、神祖の七大罪のひとりであるサタンの姿はなかった。
「突き抜けた実力者や統率者はなく、程度の低い殺し合いに明け暮れる不毛な世界だった」
「クレプスさん、なにを言ってるの?」
うわ言を呟くクレプスを、アルモタヘルが怪訝そうに見つめる。
構わず彼女は独白を続けた。
「……気の遠くなるような時間が過ぎ、ブラックポイントが開いた。
私は、並行過去世界に天王寺大和という男が存在することを知った」
クレプスの目の端に涙が浮かぶ。
「アトラクナクアに潜り込み……百目鬼財団へ擦り寄り……ようやくここまでこぎつけた。
その仮面は私とあの人の絆。……邪魔をしないで!」
クレプスが万感の想いを爆発させた、その時。
「う、ウゥ……」
「ル・シエル!」
これまで微動だにしなかった大和が身じろぎ、八千代が歓喜の声を上げる。
人知れずクレプスも微笑を浮かべていた。
「エレシュキガルがやってくれたようね」
クレプスの太ももに顕現していた神の紋章が消え、新たな紋章が翼に刻まれる。
時が、満ちたのだ。
「病院に連れて行こう! はやく僕の背中に乗せて!
あああ、僕は人を乗せて空を飛べないんだった!」
「ズィーガー、お願い」
「俺様は救急車じゃねェよ! ……ったく、しょうがねェなあ。早く乗せろ!」
「無駄よ、もう遅い」
ぴちゃっ。
信じられない光景に誰もが絶句した。
血まみれの大和が独力で立ち上がったのだ。
いつの間にかかぶっている仮面に隠れ、その表情は読み取れない。
「無理しないで、ル・シエル! 立てるような傷じゃ……きゃ!」
駆け寄った八千代は乱暴に払い除けられた。
しりもちをついた彼女に目もくれず、大和がクレプスに訊く。
「神は喰らった。だが、人を棄てるには血が足りない。……いいんだな?」
「愚問ね。なぜなら私はこの瞬間のために生き延びたのだから」
「おまえがパートナーで良かったと、初めて思ったよ」
……そして。
ふたつの供物を糧にして――
◆ ◆ ◆ ◆
「待って、ル・シエル!」
「俺はすべてを消し去る! 等しく滅びをもたらすッ!
我が名はサタン! 神を! 世界を! 生あるものを!
無に帰すまで! 怒りが収まることはなァァァァいッ!!」
異形となった大和は漆黒の翼を広げ、空の彼方へ飛び去った。
「ル・シエルぅーーーー!」
「ケッ。驚きの展開じゃねェか。
てめェらこの期に及んで “殺さないで!” とか言わねェよなァ?」
「ズィーガー……あなたねえっ!」
「エンジェルキラー様が、今更いい子ちゃんぶる気かァ?
……ま、俺様の次の標的は神ヤロウってことに決めてるンだがな!」
神の出現は生きとし生けるものすべてに影響を与えた。
運命の歯車は歪められ、軋み音を放っている。
それは、ギルガメシュが5匹の邪竜を解き放つ、わずか1時間前の出来事。
Illust. 桐島サトシ
B18 覚醒する希望
ドォォォォン!!
それは、剣淵相馬や娑迦羅らと連携し、一帯の森を調査していた時のことだった。
大地を揺るがす地鳴りに怯え、鳥たちが一斉に飛び立つ。
「なんでござるか、この地鳴りは!」
「森の中じゃ、なにが起きてるのか分かんない! また神絡み!?」
少し前から、緑の世界の住人たちの間で異変が起きていた。
大人しかった者が急に暴れ出す、ふらっと姿を消した者がいる、貴重な自然の恵みが荒らされた、などである。
様子の変わった者たちは、口々に神の存在をほのめかしているという。
ゴゴゴゴ……。
「止まっ……た?」
地鳴りが収まったのを確認し、青葉千歳と龍膽が安堵の息を吐く。
直後、ふたりに話しかける者がいた。
「おい」
不遜で不躾な声色とは裏腹に、清楚な姿の女性だった。
緑色を基調とした巫女服を纏い、どことなく浮世離れした雰囲気を感じさせる。
「人間やゼクスにはあらず。油断は禁物でござるよ」
「まさか、また神?」
千歳たちの疑念に、巫女服の女性は明らかに不服そうな表情を浮かべた。
「神と見紛うなど無礼千万。
我が名は竜の巫女クシュル、竜の意思を伝えし者だ!
ゼクス使いの青葉千歳にホウライの龍膽、話がある」
クシュルと名乗った女性は高らかに宣言し、胸を反らせた。
「千歳殿や拙者を知っているのでござるか?」
「会ったことあるっけ?」
「竜の巫女は滅多にその姿を晒さぬ。こうして対面するのは初めてだ」
クシュルは数日前、神の襲撃を受けた千歳に竜の加護を与えた。
始まりの竜が千歳を失ってはならないと告げたからである。
以来、千歳は神からの遠隔的介入を遮断している状態となった。
ヴェスパローゼの願いを聞き届けた神・シャマシュへの対抗策である。
始まりの竜の存在を含む詳細を伏せつつ、クシュルは経緯を説明した。
「あの時に湧き上がってきた力は、そういうことか……。ありがとう」
「摩訶不思議な気配が千歳殿を通じ、いまも拙者に流れ込んで来るでござるよ」
「全一の理により、いずれ貴様も大樹とひとつになる。助ける義理はなかった」
「ゼンイツ?」
聞き慣れない言葉に千歳が首をひねる。
「いずれすべてがひとつにまとまる、という考え方でござるよ。
拙者には受け入れ難いでござるが、少なからず支持者はいるでござる」
龍膽の説明に千歳の首はますます傾いた。
そんなふたりを見ながら、クシュルが思惑を巡らせる。
(青葉千歳、貴様の魂の消滅を神に願った連中は、我らと志を同じくする者。
だがしかし、始まりの竜は祝福を与えてまで貴様を生かそうとする。真意が汲めぬ)
「助ける義理がないなら、どうして助けてくれたのさ」
「……竜は神と対立している。敵の敵は味方。そう思っておけばいい」
「あーもう、神ってなんなんだよ!
近頃、集落の様子がおかしいのも、神がなんかしてるせいなんだよね?」
千歳の問いにクシュルが頷く。
「いまはまだ脅威ではない。準備段階なのだろうな」
そして、彼女は衝撃的な事実を告げた。
「神はいずれ人類を滅ぼしにかかるはずだ」
「はあ!? それが神のすること!?」
「知ったことか」
「裏でコソコソ腹立つなあ」
「同士討ちを誘うなど、やり口も美しくない。恥を知れ!」
「……ぷっ」
「なんだ貴様? 竜の巫女を笑うとは痴れ者め!」
「いや、ごめんごめん」
この人、偉そうなくせに人間臭くて、意外と気が合うかも。どことなく可愛いし。
千歳は率直な感想をぐっと喉の奥へ呑み込んだ。
「して、クシュル殿は何用で参ったのでござるか?」
「準備段階と言ったが、神の中にもせっかちな奴がいるようでな。
竜でありながら神におもねる、忌々しい邪竜ニーズホッグを差し向けてきたのだ」
「さては先刻の地鳴りの正体でござるか!?」
「うむ。いまなら被害を最小限に留められるであろう」
「邪竜……? ドラゴンか!
へへっ……。思い出しただけでもゾッとするなあ」
赤の世界のギガンティック最強種に《暁十天》という存在がある。
その風貌はファンタジーのストーリーに出てくるドラゴンのようであった。
千歳と龍膽はそんな暁十天が吐きかけた灼熱のブレスに巻かれ、返り討ちに遭った経験を持つ。
「おしっ!」
威勢良く右の拳を左の手の平で受け止めた千歳は、不敵な笑みを浮かべた。
「龍膽、もいっちょいってみるか! ドラゴン討伐にさ!!」
「拙者も新たな得物の切れ味を、今一度試してみたかったところでござるよ」
龍膽もまた千歳に呼応するように笑みを浮かべ、新たに授けられた刀を引き抜く。
陽の光を受け、曲線を帯びた刀身が眩く輝いていた。
「言っておくが、邪竜は貴様らが想像している赤の世界ごときの竜より格上だぞ?」
「上等だね! なにが人類滅亡! 上から目線の野郎は、ブッ飛ばす!!」
「気が合うな、小娘」
Illust. 堀愛里
治安維持部隊。
その任務は青の世界の平和を乱すものを根絶することである。
アドミニストレータ ベガがその全権を握り、主力部隊はオリジナルXIIIが指揮を執っていた。
「強すぎる……」
「なんですか、こいつら。これが神の力ですか?
蓄積されたデータだけじゃ動きを予測できないです」
オリジナルXIII Type.II および Type.IV が指揮する《ジズ》は、治安維持部隊の中でも空中戦・対空戦に秀でた者たちが所属している。
そんな彼女たちが、飛行タイプのバトルドレス、キラーマシーン、メタルフォートレスの混成軍を相手に翻弄されていた。
ほとんど統制の取れていない相手であるにも関わらず、である。
「援軍の要請を提案するです、タイプツー」
「……地上ではバハムートも劣勢。
リヴァイアサンに至ってはディンギル軍、再蜂起したマーメイドたちと三つ巴の混戦になっていると聞くわ。
はっきり言って援軍は期待できないわね」
「では、効果があるかどうかは分かりませんが、敵の司令塔を叩くです」
「捕縛を断念し、抹消。それしかないか。
最悪の場合の判断は任せると、ベガ様は仰っていたものね」
不意に、タイプツーの肩になにかが舞い落ちて来た。
見上げれば、花びらのような灰色の物体が空から降って来ている。
「雪にしては冷たくないわね」
「灰のようです。周辺に火山の噴火は認められないですけど」
「ヴアアアアァァァァッ!!」
突如、奇声を発したディンギル軍のバトルドレスが、滅茶苦茶な砲撃を辺り構わず放ち始めた。
すぐに治安維持部隊の総攻撃を受ける結果となり、件のバトルドレスは黒い物体となり果て、地上へ墜ちてゆく。
しかしながら、治安維持部隊側の被害も甚大だった。
見回せば、同様の光景があちこちで起きている。
灰を浴びた神の使徒たちはその身体を徐々に黒く染め、理性を失っていた。
「ただの灰じゃないわ」
「灰を浴びた敵の戦闘力が増しているです。
ただし、完全に黒くなった者からは生命反応が消失……ひゃう!」
「タイプフォー!」
タイプフォーの飛行ユニットが黒煙を上げていた。
「ビットシールドの展開が間に合わなかったです。
いったいどこから? 私が敵の狙撃を察知できないなんて……」
「戦闘続行は可能?」
「あまり長くは飛べないかもです」
「得体の知れない敵と闇雲に交戦するのは危険か。
……この拠点にはさほどの価値もない。放棄しましょう」
作戦の変更を決断したタイプツーは、通信回線をオンにした。
『ツー・スリー、聞こえる? 現在の状況を教えて』
『各務原あづみと接触。抵抗の意思を示しています』
『私たちは撤退するわ。各務原あづみの奪還も中止。
ただちにオペレーションオメガに移ってちょうだい』
『……承知しました』
タイプツーとタイプフォーは治安維持部隊を率い、戦場を離脱した。
「さようなら、ツー・スリー。また会いましょう」
リゲルに与えられた《オペレーションオメガ》。
その内容は、各務原あづみを巻き添えにして自爆することだった。
◆ ◆ ◆ ◆
「ギルガメシュ……神域の邪竜を解き放ち、なにを目論んでいたのかと思えば、これが狙いでしたか。
半神の分際で勝手な真似をしたものです。いえ、半神だからこそと言うべきでしょうか」
神のひとり、澄み渡る『王威』マルドゥクが黒く染まり動かなくなったメタルフォートレスの頭頂から、眼下の光景を見下ろしている。
「邪竜は竜でありながら神の力を強く宿し、魂を焼失させることもない特異な存在です。
やつらに滅びが訪れればその骸は燃え盛り、神の力を宿した死灰が無差別に降りかかることでしょう。
ギルガメシュが死灰を浴びれば、真なる神へ近づくかもしれません」
「しかし、しょせんは脆弱な人類である “叶えし者” が死灰を浴びれば、ただいたずらに魂の焼失へ近づくのみ」
「さようなら “叶えし者” 各務原あづみ。
あなたの嘆きの声は、とても心地よいものでした。
最期のひと押しをギルガメシュに横取りされたことだけが、残念でなりません」
◆ ◆ ◆ ◆
「そこまでよ、あづみ」
「……リゲル?」
降りしきる死灰が、景色を灰色に染めてゆく。
聞き覚えのある声に少女・あづみは歩みを止め、振り向いた。
しかし、すぐさま視線をそらす。
リゲルもまた自然に紡がれた自分らしくない口調に疑問を覚えていた。
「そこまでです……各務原あづみ」
「痛い……苦しいよ……。はやく……消えて!
わたしの前からなくなって! ああああっ!」
「各務原あづみ、抵抗をやめて兵を退かせなさい」
「憎い……憎いの。青の世界のなにもかもが憎い!
わたしから……すべて奪った……青の世界が憎い!
だからすべて壊すの! 青の世界の未来をつぶすの!」
あづみは虚ろな瞳でリゲルに訴えた。
あちこちに傷を負い、衣服は返り血と機械油に塗れている。
病という名のナノマシンが身体を蝕み、髪は青を通り越して白くなっていた。
リゲルもまた虚ろな瞳と機械的な口調で、あづみの説得を試みる。
「大人しく投降してください。これが最後の勧告です。
病を抱えた身体でそれ以上の無理は、あなたの生命に関わります」
「この痛みがある限り……わたしは青の世界への恨みを忘れない。
だから……神様にも病気の治療を願わなかった……。
その代わり、復讐のための力をもらったの! ……うぅっ」
ふらついたあづみをとっさに支えたリゲルは、あづみの足先が黒く変容していることに気付く。
しかし、強く拒絶され、突き飛ばされてしまった。あづみもまた尻もちをつく。
「触らないで!!」
彼女の叫びを耳にしたリゲルは、急速に力が失われていくのを感じた。
サイボーグの彼女は間違いなく人間であるが、身体のパーツの多くを機械に置き換えている。
そのいくつかが火花を放ち、ショートしていた。
彼女の嘆きは特殊な音波となり、あらゆる機械を停止させる。
神・マルドゥクに与えられた “叶えし者” あづみの能力は、その願いを反映し、対青の世界のゼクス向けに特化したものだった。
しかし、その強大な能力も彼女自身の終焉が近づき、弱まっている。
「ぜんぶ壊さなくちゃいけないのに……。
身体が言うこときかない……くやしいな……」
力なく仰向けに倒れたあづみに、死灰が降り積もる。
その身体は、すでに膝の辺りまで黒に染まっていた。
「どこか行ってよ……」
拒絶されるのも構わず、リゲルはあづみに降り積もる死灰を払いのけると、その側に座った。
「なにしてるの……?」
「この灰はあなたに悪影響を及ぼします」
「近くにいたら、神様にもらった力で……リゲルも動けなくなるだけだよ。
……みんなみたいにね」
すでに周囲に動く者はなかった。
あづみの影響で沈黙した治安維持部隊の機械兵、あるいは死灰に蝕まれた者が佇んでいるのみである。
「わたしのことは放っておいて。もう……疲れちゃった」
リゲルには知る由もなかったが、神の影響を受けすぎて深度Vに達した者は魂を焼失させる。
その身体は黒い彫像と化し、いつしか塵となり、跡形もなく消え去るのだ。
記憶を消され、感情を封印され、あづみを単なる反逆者としか認識していないリゲルは、自分の行動が理解できなかった。
「私はなぜ、命令を無視して、彼女の身を案じているのでしょう」
「それが、絆と呼ばれるものです」
リゲルが振り向くと、灰色の空間を歩いて来る者がいた。
その生命を賭してアドミニストレータ ポラリスが送った使者、オリジナルXIII Type.XI である。
「絆」
「探しましたよ、ツー・スリー」
「叛乱分子のタイプイレブンが私に何用ですか?」
「あなたに問います。
いま、あなたはどうしたいですか?」
「……救いたい。あづみを助けたい」
あまりにも漠然とした質問だったにも関わらず、その答えはすんなり口を突いて出て来た。
「良い答えです」
イレブンがリゲルの頭に触れた。
立場的には敵対する者同士にも関わらず、リゲルは彼女のなすがままにされている。
感情制御回路を解除するための手順は、主であるポラリスから教わっていた。
やがて、虚ろだったリゲルの瞳に光が戻り、頬を涙が伝う。
「そしてこれが、あなたの記憶です。受け取ってください」
イレブンの手の平に浮かぶ幾何学模様の光体。
それが胸の中に吸い込まれていくと、リゲルの中に暖かい気持ちが蘇ってゆく。
途端に、すぐ側で横たわる少女への気持ちが爆発した。
「あづみ! あづみ!? しっかりして! 私よ、リゲル! ねえ、返事して!!」
「リゲル……どこ……? へんなの。なにも見えないや」
「私はここよ。私の声は聞こえる?」
「違うよ。リゲルはもっと機械的で無口だよ?」
「そうね。でも、それはあづみの悪夢なの。もう終わらせよう」
「偽者がリゲルのふりしないで! リゲルはもう……いないの。
わたしのせいで、処分されちゃったから……」
神にその魂を穢されたあづみは、目の前の現実を受け入れることはできなかった。
あづみの嘆きが、リゲルの機械の身体をなおも崩壊させてゆく。
「もういい。もういいの、あづみ。いまはおやすみ」
リゲルが優しく、あづみのまぶたを閉じさせる。
そして、強い意志を込め、大切なパートナーへ誓った。
「あなたがなんと言おうと、私はあなたを二度と離さない」
一部始終を無言で見守っていたイレブンが、微笑みとともに口を開く。
「本来ならば各務原あづみも、神に与するゼクスたち同様に黒い彫像と化していてもおかしくありません。
ですが、分かたれてもなお奥底で繋がっているふたつの心が、症状の進行を留めているのでしょう」
イレブンはきびすを返し、もと来た方向へ歩き出した。
「私にはほかに成さねばならないことがあります。助力できるのはここまでです」
「十分よ。恩に着るわ」
「各務原あづみを救いたいならば、パートナーであるあなたが神へ立ち向かうしかありません。
ツー・スリー……いいえ、リゲル。悪夢の連鎖を断ち切るのです。あなたの、その心で!」
◆ ◆ ◆ ◆
あづみの身体は胸の辺りまで黒く変容している。
青の世界への怒りが、あづみをひとりにさせた己への怒りが、そして、あづみを死へ至らしめようとしている神への怒りが、とめどなく湧いてくる。
リゲルは空を振り返り、叫んだ。
「私は神を、許しはしない!」
「ならばどうしますか?」
視線の先では蒼い鎧に身を包んだ男が下卑た笑みを浮かべ、ふたりを見下ろしている。
あづみを堕落させた神だと直感的に察知したリゲルが、異常をきたす機械の身体をものともせず、飛翔した。
胸元に刻まれていた神の紋章を覆い隠すように、竜の紋章が浮かぶ。
「貴様は、私が倒す!」
Illust. 桶谷完
黒崎神門と都城出雲を追う倉敷世羅と蝶ヶ崎ほのめは、超特急で関東へ到達した。
連続飛行で疲労気味のオリハルコンティラノをカードデバイスへ戻し、世羅が諸手を挙げる。
「ついたー! ティラノはや−い!」
「アタシとしてはあんな乗り心地の悪い空の旅は、二度と御免被りたいものですの……おえっぷ」
「散らかってるけど、うちの近くとそんなに景色変わんないね。ちょーこーそービルもない。ほんとにここ東京?」
「黒の世界のブラックポイントの外郭にある、奥多摩って地域ですの」
以前は街だったようだが、人の気配はない。
建物は破壊され、信号は止まり、放置された車には埃が積もっている。
住人たちはブラックポイントが出現後程なくしてゼクスの被害に遭ったか、より安全な地域へ避難していた。
かくいう世羅も、そうして宮崎へ疎開した過去を持つ。
「ですのですの! 前にせらやせんとくんが住んでた埼玉に行きたい!」
「観光は後回しですわ」
「えー」
やや遅れて迦陵頻伽が空から舞い降りて来た。
「で、どうやって、あいつらを探すし?」
「どうとでもなりますの。特に都城出雲、アイツは無駄に目立ちますから目撃情報があれば一発。
なければブラックポイント沿いに少しずつ移動するまでですわ」
「うーん……」
ほのめの作戦を聞いた迦陵頻伽は、腕を組んで不満の意を示した。
「あんまり嗅ぎまわってたら、黒の世界のゼクスに怪しまれそうだし」
「どうせ黒の世界のゼクスなんて好戦的な輩ばかりですの。放っといても襲ってきますの」
ふたりの脳裏にアルモタヘルとソリトゥスの姿が思い浮かぶ。
いずれも過去に出逢った黒の世界のゼクスだが、すぐさま例外的な個体だと、それぞれ結論づけた。
「細かいこと気にしてたらキリがありませんわ」
「あたしは無駄な戦いを避けたいって言ってるんだけど?」
「いざとなったらアンタの得意技《スタイリッシュ頭突き》で一網打尽ですの!」
「得意でもなんでもないし! あほのめはあたしの貴重な脳細胞をなんだと思ってるし!
あたしなんかよりよっぽど好戦的な子が隣にいるのに!」
「お子様に戦闘行為を要求するなんて、良識ある大人としてはできませんの」
「はあ? あんたが良識ある大人? 笑わせるし! 世羅もなんか言ってやってよ!」
ほのめの身勝手なリクエストに腹をたてた迦陵頻伽はまくしたて、世羅の意見を求めた。
そこにはふたりの世羅がいた。
「うん?」
「はい?」
ほのめと迦陵頻伽は一瞬凍りついたのち、絶叫した。
「ええええええええ!?」
◆ ◆ ◆ ◆
「おまえは……都城!」
「黒崎さん、どうして?」
天王寺飛鳥が天空から降ってきた剣に触れた直後、出雲は別の場所に転移していた。
目の前で、探し求めた男・神門が訝しげな視線を投げかけてきている。
傍らには彼の相棒であるアレキサンダーも不動の構えで佇んでいた。
「それは俺の台詞だ。俺にしてみれば、おまえが突然現れただけなのだからな」
「ガーンデーヴァ、飛鳥君は?」
出雲のふとした疑問にパートナーゼクスが答える。
「いないわ。あの光の作用で別々の場所に飛ばされたようね。
彼は彼でお兄さんに会いたがっていたようだから、あの暗殺者のところかしら?
単なる予想に過ぎないけれど」
「……まあ、いいでしょう。これも神のお導きです」
ガーンデーヴァの推察に耳を傾けていた出雲は、神門に向き直った。
「自衛隊北九州方面隊副司令官として、最高司令官の黒崎さんへ確認したいことがあります。
あなたはなぜ首都奪還を目指しているのですか?」
「もちろん平和のためだ……と言いたいところだが、違う。その様子だと感づいているのだろう?」
斜に構えていた神門もまた、出雲を真正面から見据えた。
「いかにも動機は妹の救出。すでに生命を落としているだろうが、それでも構わん。
しかし、捜索のためには首都奪還という過程は欠かせん、ということだ。なにも問題あるまい?」
「そのように極めて個人的であり、かつ、不確かな最終目標のため……赤の世界の同胞たちを踏み台にして……ここまで来たというのですか?」
「得てして戦争とはそういうものだ。勝てば英雄、負ければ戦犯。決めるのは俺たちじゃない」
「戦争を逃げ口上にしないでください!」
想定通りの返答に出雲は身体を震わせ、人差し指を突きつけた。
「ならば! なぜ! 私に打ち明けてくださらなかったのです!?」
「……どうやら俺は自分で思っていたほど、孤独じゃなかったらしい。腐るな出雲。俺を信じてみろ!」
神門に心酔していた頃ならば、その言葉に耳を傾けたかもしれない。
しかし、いまの出雲に迷いはない。あくまで “最終確認” をしただけだった。
「……気安く名前で呼ばないでいただきたい。あなたの甘言を聞かされるのは、もううんざりです」
神門は出雲の様子が普段と異なることに気付いた。
小手先の策が通用しない相手となっていることを悟り、一歩下がる。
「貴方を断罪させていただきます。ガーンデーヴァ、力を貸してください」
「ここまで長かったわね」
ガーンデーヴァが弓を構えた。
創星六華閃の肩書きを持つ彼女による、研ぎ澄まされた最高峰の業物である。
「やむを得まい。失うには惜しい男だが……アレキサンダー、やれ」
「神の気をまとっているようだな。面白い!」
出雲が抜いた刀もまた、不思議な淡い光を放っていた。
ギルガメシュとの邂逅により、神への興味を示していたアレキサンダーがニヤリと笑う。
「我が刀は断罪の刃。あらゆるものを両断します。
名のある英雄殿とて、受け止めようなどとは思わぬことです」
「余はあらゆるものを貫く矛にして、覇道を照らす軍師の不破なる盾ぞ。
その挑戦、受けて立とう!」
◆ ◆ ◆ ◆
「アタシ、視力は悪くないはずですわ。
いちおう聞きますの。倉敷世羅、アンタ双子だったんですの?」
ほのめは度の入っていないモノクルを外し、ふたりの少女を交互に見比べた。
服装こそ異なっているが、ほとんど同じ顔かたちと背格好をしている。
「思い出した! そういえばみかにいに聞いたことある!
みかにいには妹がいて、えーとえっと……名前なんだっけ」
「私は春日。黒崎春日です。初めまして」
三つ編みを胸の前に垂らした少女はうやうやしく頭を下げ、名乗った。
「そう、それ! せらの名前は倉敷世羅! よろしく!
うわーすごいすごい! ほんとにせらそっくりだった!」
興奮して頬を上気させた世羅が、自分と瓜ふたつの少女の手を取り、ぶんぶん振り回す。
「アタシは蝶ヶ崎ほのめ、こっちのむすっとしてるのは迦陵頻伽ですの。ほら、あいさつ!」
「……こんにちは」
「まさか神門を探していて、その妹に出会うなんて思いませんでしたわ!」
「私も驚きました。こんなにも私にそっくりな子がいて、しかも、みか兄様をご存知だなんて」
思わぬ出会いに盛り上がるほのめと世羅をよそに、迦陵頻伽だけは冷静に成り行きを見守っている。
「えへへ、嬉しいな! ……あれ?」
世羅はふと気付いた。
握った春日の手がべっとり濡れていることに――
「なんだろ」
「血です」
「えっ!?」
「あんたやっぱり!」
不穏な言葉を受け、警戒していた迦陵頻伽が殺気立つ。
春日はふたたび頭を下げた。
「世羅ちゃんごめんなさい!
さっき転んだ拍子にどこかを切ったみたいです。他人の血なんて気持ち悪いですよね?」
「びっくりしたー。でも、気にしないで! 洗えばいいから!」
「怪我も大したことないと思いますので、お構いなく」
胸をなでおろす世羅に、春日はにっこり微笑んだ。
「どうしたんですの、びんが? さっきは声を荒立てたりして」
「……なんでもない」
「みなさんは、みか兄様を探しているんですか? 実は私もなんです」
「だったら一緒に探そ!」
「いえ、手分けした方が早いでしょう。私はこちらを探しますので、みなさんはあちらをお願いします」
「待って! 春日ちゃんひとりじゃ危ないよ!?」
「大丈夫です。これまでだって、ひとりだったんですから」
「……えっ?」
ひとことだけ声色を変え、春日は言葉を紡いだ。
えも言われぬ昏い迫力を感じ、世羅が伸ばしかけた手を引っ込める。
「ひとり……ですの?」
ほのめも春日の様子に “違和感” を覚えていた。
「はい。ずっとひとり、たったひとり、です」
やがて、春日は背中を向けると歩き出し、物陰へ消えた。
現れた時と同様に足音も立てず――
誰も、その背中に声をかけることはできなかった。
倉敷世羅と蝶ヶ崎ほのめが黒崎春日と邂逅した数時間前に、時は遡る。
「GRRR....」
「自分で羽ばたかずに飛ぶのなんて、初めて! 快適すぎるし!」
「どこが……。この乗り心地の悪さは如何ともし難いですの」
世羅とほのめをその背に乗せ、オリハルコンティラノが空をゆく。
背にしがみつく迦陵頻伽もご機嫌だ。
「なごやも通り過ぎちゃった! ティラノはやーい!」
「うわっと! いつの間に!?」
本来なら他世界のゼクスが上空を通過しようものなら、青の世界は黙っていない。
しかし、治安維持部隊の大半は、神が引き起こした混乱やマーメイドの再蜂起鎮圧に人手を割かれている。
特に空の治安維持部隊《ジズ》は各務原あづみの暴走により大打撃を被っていた。
無論、世羅やほのめがそんな事情を知る由もない。
「みんな油断しすぎ! 青の世界のやつらに見つかったらどうするし!」
「アンタだってはしゃいでたくせに、よく言いますの」
「せらたち捕まったことあるよ?」
「……おぇっぷ。ちょっとしゃべっただけで、また……気持ち悪くなってきましたの。
だからと言ってこんな上空で粗相をしては、地上にお住まいの皆さんに申し訳が……」
「だめだこのふたり。あたしがしっかりしないと……」
青い顔で寝転がるほのめと不祥事を危機感もなく報告する世羅に情けなくなり、迦陵頻伽はがっくりうなだれた。
「捕まったからシシシシマと知り合えたし、お母さんと会えたんだもん。
どうせなら、せんとくんにも会いたかったなあ」
「その、なんとかさんたちは世羅の友達?」
「うん! 懐かしいなあ。みんなに、また、会いたい」
世羅の言葉を受け、迦陵頻伽も親友の姿を思い浮かべた。
赤の世界で、最後に共命之鳥とおしゃべりしたのはいつだったろう。
あの頃は世界が終焉を迎える実感などなく、いつも側には “ママ” がいた。
幸せな時間は二度と戻らない。
諸悪の根源を取り除き、誰も救われない未来を決して迎えさせない。
そのために彼女は現代を訪れたのである。
「ふたりの勇者へ試練を与えます」
「誰!?」
空気を読まず語りかける声に、迦陵頻伽が身構える。
風を切り裂いて翔ぶオリハルコンティラノの背で、世羅とほのめに話しかける者がいた。
着崩したような巫女服を着た女性が、尻尾のトゲの上で直立している。
「……アンタ、いつかの。赤の竜の巫女メイラルだっけ?」
「はい。無策の勇者、蝶ヶ崎ほのめ」
「貶されてるのか褒められてるのか、分かりませんの……」
赤の竜の巫女メイラルは、ほのめをゼクス使いの道へ誘った人物である。
そのため声を聞いた時から警戒心はなかった。
「あー……あほのめをゼクス使いにしちゃった人か」
パートナーの様子を見て、迦陵頻伽も緊張を解いた。
「竜と神の威信を賭けた闘争に、お力添えを!」
「竜! ドラゴン!?」
初対面の相手にきょとんとしていた世羅が過剰反応を示す。
「人間、ゼクス、すべての人類のルーツは、始まりの竜にあり。
私は竜の巫女として、竜の仇敵である神に挑む人類を捜し求めていました」
「せっかくの恩人の頼みですけど、あいにくアタシたちは急いでますの」
ティラノ酔いのほのめが弱々しく起き上がり、メイラルに告げた。
一刻も早く黒崎神門や都城出雲に追い付かねばならない。
出雲は神門に対し、なにをしでかすか分からない危うさがあった。
神門の身になにかあっては “ライバルを超える” という宿願が果たせなくなってしまう。
しかし、ほのめの思惑は瞳を輝かせる世羅に阻まれた。
「よくわかんないけど、いいよ!」
「倉敷世羅! いまアタシが話してるとこですの!」
「せらは竜の味方。だって、カッコイイもん! それに、カワイイ!」
一般的な少女と感性のずれている世羅がもっとも高い評価を付ける生物……それは、ドラゴン。
パーツをもいで愛娘であるティラノにくっつけたいと、彼女はずっと考えていた。
竜と知り合いになれば、ひとつやふたつ分けてもらえるはずである。
無垢ゆえの打算がそこにはあった。
「さすがです。不退の勇者、倉敷世羅。決まりですね、時間は取らせません。
貴方のゼクスが竜の姿に近づきつつあるのは、おそらく始まりの竜の導きなのでしょう」
「ああもうっ! 勝手に話を進めないでくださいの!
……さっきも言ってたけど、始まりの竜ってなんなんですの?」
「神と竜の戦いって、いったいなにが起きてるし?」
状況がつかみきれず、ほのめや迦陵頻伽が首をかしげる。
「始まりの竜は万物の始祖にして偉大なる存在です。
いまは一刻を争う場面ですので、これ以上はご容赦ください。
選ばれし勇者には後ほど竜脈にて試練の詳細を説明します。ともに参りましょう!」
突如、世羅とメイラルが消えた。
続いてオリハルコンティラノの巨体も瞬時に消え失せる。
「へ?」
ほのめは悲痛な叫びをあげながら、1000メートルの高さを墜ちていった。
「あーーーーーーーーーー!?」
「ほのめ!?」
◆ ◆ ◆ ◆
「邪竜バハムートの討伐は、勇者の働きに期待しましょう。……さて」
世羅を竜脈から神域へ送り届けたメイラルは、背後に立つ無愛想な男を振り向いた。
「用件は邪竜の討伐阻止ですか?」
「あんなもの、貴様らの好きにしろ。
神の贋作を持て囃しては喜んでいる竜の巫女とやらを、ひと目見ておきたくてな」
神の言語が刻まれた鎧を纏った赤髪の剣士が、メイラルを挑発する。
「竜にしても、それこそ貴様らが邪竜と呼ぶエルダードラゴンの模倣に過ぎん。
なにもかもが偽物、贋作、紛い物。それが真実だといい加減に認めるのだな。
神域に棲まう神こそが万物の始祖であると!」
「戯言に耳を貸す道理はありません。
しかし、気高き勇者を贋作呼ばわりした挙句、竜の模倣ですか……。
その愚行、万死に値します! 我が名はメイラル、貴殿も名乗られよ!」
「不死身の肉体を持つ神を相手に “万死” とはな」
男が背の大剣を抜き、その切っ先をメイラルに突きつけた。
「俺はイガリマ。強者も弱者もこの剣で平伏させるのみ。
竜脈に引っ込んでないで降りて来い。胸を貸してやる」
「あいにく我が身は神域へ立ち入ることができません。
ですが、貴方も竜脈へ入れませんね?」
「つくづく神と竜は水と油だな」
「ならば代わりに我が朋友が相手になりましょう。
眠りを知らぬ赤竜よ! 戦禍をもたらす暴竜よ! 来たれロードクリムゾン!!」
メイラルが掲げたカードデバイスから焔をまとった人型の竜が顕現した。
神域へ降り立ったロードクリムゾンが灼炎の剣を抜く。
「竜にしては悪くない趣味だ」
「神が不死かどうか試してみますか。まずはイガリマ、貴方からです」
Illust. 竜徹
C18 導きの巫女
純白の羽根を撒き散らしながら、天使が空を翔ける。
天使の名は上柚木さくら。
風を切って大空を舞う姿は神々しくもあり、どこか心もとない。
事実、たまに失速しては、墜落しかけている。
「さくら、飛べるようになって気分が高揚するのは分かりますが、落ち着いてください。
姿こそエンジェルそのものですが、貴方はおそらく人間の領域を出ていない。
無茶をするものではありません」
後方を追従するように飛ぶ巨鳥がさくらへ声をかける。
彼女のパートナーゼクス、フォスフラムである。
「フォスフラムが私を心配してくれる気持ちが、いっぱい届いてくるよ!」
さくらは神スドの《叶えし者》となった。
それにより、ふたつの能力に目覚めている。
ひとつは、エンジェルへ昇華する素質を引き出されたこと。
ひとつは、読心の異能力《光風霽月》を得たこと。
「分かっているなら、冷や冷やさせないでください」
フォスフラムもまた、《叶えし者》となった。
が、その証である神の刻印は、すでに翼から消え失せている。
願いの内容は、終末天使に封印され時空の狭間を彷徨う、四大天使ミカエルの解放。
ところが、四大天使ウリエルでさえ手を出せなかった《罪深き天使の牢獄》への干渉はスドの手にあまり、最終的に最高位の神のひとりであるアヌが願いの成就を執行している。
最高位の神を動かすほどの願い。
その代償は高く、本来であればフォスフラムは《深度V》となり魂の焼失を免れなかった。
しかし、復活したミカエルにより即座に四大天使直々の加護が与えられ、事なきを得たのである。
こうなることを知ってか知らずか。
まさしくすべては、神のみぞ知る。
「さくらは何故、従わなかったのですか」
ミカエルはフォスフラムと同様に神の影響下から逃がすべく、さくらにも働きかけた。
訊いてはみたものの、フォスフラムはその理由に見当がついている。
「ミカエル様の加護を受けたら、《光風霽月》がなくなっちゃう。
八千代の気持ちを確かめもせずに手放すなんて、もったいないよ。
私を新たなステージへ引き上げてくれたスドさんの好意も裏切れない」
「……くれぐれも力に溺れることだけはなきよう、ご留意ください」
「大丈夫。あんまり私が無茶をするようなら、きっとフォスフラムが止めてくれるから」
「耳が痛いですね。私が不甲斐ないばかりに、貴方は神の力を借りたのですから」
「あはっ、風が気持ちいいね♪」
さくらはジェットコースターのように空中でループ回転しながら、楽しげに言った。
みるみるうちに飛行能力が上達してゆく。
「さすがはミカエル様へ昇華する運命を持つ者です。順応が早い」
「よーし、飛ばすよ。風が教えてくれるの。八千代が近くにいるって!」
「そして、危うい……」
みるみる小さくなるさくらの影を見失わないよう、フォスフラムもひときわ大きく翼を羽ばたかせた。
彼女に心を読み取られない程度の距離を開け、物思いにふける。
「……私の願いは、いわば無償で叶えられた。
ミカエル様ほどの実力者でも、たかがゼクスに過ぎないということでしょうか。
忌々しい、神め……」
刹那。
フォスフラムの身体を電撃のような衝撃が貫いた。
「……いま、なぜ私は神を呪うような考えに至ったのでしょう?
さくらを支える者として、こんなことではいけません。しっかりしなくては!」
ふたりはパートナー。心と心がつながっている。
さくらの神への信心が影響し、フォスフラムの猜疑心はたちまち薄れてしまったのである。
一心同体であるがゆえの、神憑りの罠であった。
フォスフラムの翼に、ふたたび神の刻印が浮かぶ。
「上柚木八千代……白の世界の歴史に登場しない、さくらの姉君。
いずれ訪れるであろうふたりの再会が、災禍を引き起こさぬよう祈るばかりです」
◆ ◆ ◆ ◆
「空から見る黒の世界のブラックポイントは、すごく大きいね」
途方もなく巨大なドーム状の黒い球体が大地を包み込んでいる。
ゼクス出現後も千葉の実家で生活していたさくらにとって、黒の世界のブラックポイントは珍しいものではない。
しかし、見上げる存在が見下ろす存在となっただけで、景色は大きく変わった。
「私たちは白の世界のリソースで活動しています。
どんな悪影響があるともしれませんので、近づき過ぎないようにしましょう」
「ひとまず地上へ降りてみよっか」
雲間を抜け、ゆっくり降下を始めると、山間に築かれた街が眼下に見えてきた。
しかし、生活感はなく、さながらゴーストタウンのようである。
「みんなどこかへ避難しちゃったみたいだね」
「いえ、あそこに誰かいます」
フォスフラムが首を巡らせた先に、3つの人影。
ふたりいる子供の片方が、唯一の大人となにやら口論を繰り広げている。
もうひとりの子供は打ち捨てられたトラックの荷台に座り、足をバタバタさせていた。
「お姉さんと妹さんかな? いいなあ、とても仲良さそう」
「それはどうでしょう」
「八千代のこと尋ねてみようかな」
地上へ降り立とうとしたさくらの前へ翼を広げ、フォスフラムが制止する。
きょとんとするさくらの耳元で、フォスフラムは囁いた。
「ひとり、ゼクスがいます」
カードデバイスを取り出したさくらが、眼下の3人をスキャンする。
フォスフラムの言う通り、強いリソース反応を示す者がいた。
「えーと……赤?」
「なぜ、このような場所に?」
その時、3人のうちのひとりが振り返った。
上空の気配を察知したのである。
「いけません! 気付かれました!」
動きを見せるまで気づかなかったが、少女は背中に小さな羽根を生やしていた。
明らかに人間ではない。赤の世界のゼクスである。
地を蹴って宙へ飛び上がった少女の小さな口が、大きく開かれた。
「私たちに敵意はありません!」
両手を広げ無抵抗を示したさくらが地上へ降りる。
一陣の風が両者の間を吹き抜けた。
「さくら! 無用な接触は避けるべきです!」
「私たちから心を開かないと、なにも始まらないよ?」
「それは……そうかもしれませんが……」
納得しかねる様子のフォスフラムが、さくらに続いて舞い降りる。
地上にいたのは、倉敷世羅、蝶ヶ崎ほのめ、迦陵頻伽の3名。
巨大生物の降臨に興奮した世羅がフォスフラムに突撃した。
「大きなトリさんだ! カワイイ!」
しかし、その身体をすり抜けてしまった。
精神体であるセイクリッドビーストは、心を許した相手にしか身体を触れさせないのである。
「うー。つまんないのー」
「そちらは頭に輪っか、背中に翼。うわさに聞く、白の世界のエンジェルですの?」
「まったく……。次から次へ、お客さんがやってくるし」
超音波をお見舞いしようと身構えていた迦陵頻伽は相手の無抵抗を認め、気まずそうに口を閉じた。
「私の名前は上柚木さくら。
いまは神様の御力で天使様のような姿になっています」
「神様ぁ?」
ほのめにとっての神は、わずか数時間前に赤の竜の巫女メイラルから聞かされたばかりの、眉唾の存在に過ぎない。
世羅は神の味方をする邪竜をやっつけて来たと言うが、いまいち実感のない話であった。
「めーらるんるんが言ってたよ。
かみさまはドラゴンとにんげんの敵なんだって」
「誤解です。とてもいい人たちですよ? 神様は」
「そうなんだ!」
「そうなんです!」
共感を得たさくらと世羅はにっこり笑い合った。
「でも、かみさまよりドラゴンの方が絶対カッコイイ!」
「確かにドラゴンは格好いいですよね!
私も数多のファンタジー小説を読んでは胸踊らせ……っと!
いまはそんな場合じゃありませんでした。人を、捜しているんです」
「せらたちも、みかにい探してる!」
「世羅! あまり不用意な発言すんなし!」
「でしたら、そちらの事情には深入りしません。
私の尋ね人に心あたりがあるか教えていただければ、それで結構です」
「それくらい構いませんの」
さくらは手荷物からスマートフォンを取り出した。
慣れた手つきで操作し、表示された画面を3人へ向ける。
そこには、双子姉妹の在りし日の姿が映し出されていた。
「んー? んんー? この顔どこかで……。
ああああっ! びんがびんが、見てくださいの!」
ほのめの叫び声に驚き、興味なさげにしていた迦陵頻伽が画面を覗き込む。
彼女もまた驚きの声をあげた。
「あーっ! こいつあの時の!」
「せらにも! せらにも見せて!」
頭上で繰り広げられる会話に好奇心をくすぐられた世羅が、ほのめからスマートフォンをひったくる。
当然のように小さな爆発音があり、黒煙が立ち上った。
「……こわれた。画面真っ黒……」
世羅の特異体質を知っていたほのめと迦陵頻伽が頭を抱える。
予期せぬトラブルに呆気にとられるさくらへ、世羅が深々と頭を下げた。
「ごめんなさい」
「あー……まあ、いいですよ。
たまにしか使ってませんでしたから。それより――」
黒煙を吹くスマートフォンをのせた世羅の手が、血に塗れている。
いまの爆発でできた怪我ではない証拠に、すでに乾いていた。
ひとつの “可能性” がさくらの脳裏をたちまち侵食してゆく。
「その血はどうしたんですか?」
世羅の返答を待たずに、さくらは続けた。
「まさか、八千代を手にかけては……いませんか?」
「せら、しらないよ?」
さくらがまとった鬼気迫る気配に空気が凍りつく。
ほのめは変わらずあっけらかんとしている世羅をかばい、前へ進み出た。
「ついさっきまで一緒にいた子が怪我してたんですの。
アンタが探してるのとは、まったく別の子ですわ」
「八千代さん? ……に会ったのは、あたしとほのめだけ」
「八千代は双子の姉です。
過去になにがあったのか、詳しく教えていただけますか? 教えていただけますよね?」
「なにを隠そう、ゼクス使いとしての駆け出しの頃に、熱いバトルを交わした仲ですの!」
冷たい声色のさくらの詰問に対し、ほのめは努めて明るい声色で返答した。
返答如何でなにをしでかすか分からない、得体の知れぬ恐ろしさを感じ取ったからである。
「そうそう! あたしと相手のゼクスが戦ったけど、少なくとも八千代さんに怪我はさせてないし!」
ほのめの意図を察し、迦陵頻伽が追従する。
「……つまり、八千代の敵ですね? フォスフラム、この人たちを懲らしめるよ」
「違う違う! 違いますの! とっくに仲直りしましたの!」
「心を読めないのが、もどかしい……。でしたらその後、八千代はどこへ?」
「さすがに知りませんの。もう何ヶ月も前の話ですから。
そもそも、アタシたちはアンタのお姉さんにこっぴどくやられた側ですのよ?」
「おふたりは敗けたのですか?」
「恥ずかしながら、ね。アンタのお姉さんが最強ですの!
ああっ、まさかアタシたちが手も足も出ないなんて、思いもよりませんでしたわ〜〜〜〜!」
「私が手伝うまでもなく……八千代が勝った。
私の知らないところで……八千代が変わってる……。
なんだかさみしいな……」
さくらは明らかに落ち込んでしまった。
大好きな姉をほめれば喜ぶはずという予測が外れ、ほのめが首を捻る。
やがて、さくらは最初の笑顔を取り戻すと3人へ告げた。
「ありがとうございました。お互い、探し人が見つかるといいですね」
「お手間を取らせました」
背を向けたさくらは現れた時とは異なり、とぼとぼと歩いて立ち去った。
小鳥の姿となったフォスフラムが、さくらの肩に留まり、頬へ寄り添っている。
「ハァ……。こっちまで滅入ってくるし」
迦陵頻伽が溜息とともに愚痴を吐き出す。
春日とさくら、ふたりともどこかおかしかった。
「……世羅、びんが。アタシとひとつだけ約束してくださいの」
神の影響を受けた者を目の当たりにしたほのめは、おおよその事情を悟った。
その姿が見えなくなったところで、ふたりの仲間へ告げる。
「神や竜と遭遇したら、まず、アタシに知らせること」
「えー。めんどくさい……」
「必ずですの!」
それは、子供を守る大人としての、責任感の現れだった。
◆ ◆ ◆ ◆
一方その頃。
八千代は竜の巫女と邂逅していた。
「妾は竜の巫女。五つの世界に与する者へ加護を与える」
「竜の巫女? 前に会った人と違うけど……」
「特異点に影響与えし者。
未来を超えるべき刻が迫っておる。覚醒せよ」
「覚醒……」
「僕らはこれまでふたりきりで、どんなピンチも乗り越えて来たんだ!
……そりゃあ、たまには誰かに助けてもらったこともあったけどさ……。
でも、僕たちは僕たちの努力だけで強くなる。そうだよね、八千代?」
「少し、考えさせて」
「八千代!?」
Illust. 真時未砂
竜脈――
竜に与する存在のみ到達を許される竜の通り道である。
其処に、決して相容れることのない6人の少女が顔を並べていた。
竜の巫女――
世界の監視者である《始まりの竜》の意思を伝えし者である。
未来の可能性が5つに分岐したことで、新たに5体の《始まりの竜》と5人の巫女が発生した。
これは “唯一無二の存在” が6体6人存在する異常事態であることを示している。
白の竜の巫女ニノの呼びかけに応じ、すべての竜の巫女が竜脈へ集った。
なにゆえか?
それぞれの未来(ディストピア)を実現へ導くため。
あるいは、新たなる未来(ユートピア)を拓くためである。
「ごきげんよう、竜の雌豚様方」
暴走した死の概念が支配する、黒の世界へ誘う者。
黒の竜の巫女バラハラは、スカートの裾をつまみ会釈した。
「破神の名目など掲げ、汝らと肩を並べる日が来ようとはな」
植物がすべてを呑み込もうとしている、緑の世界へ誘う者。
緑の竜の巫女クシュルは、居丈高にふんぞり返った。
「共通の敵を得て一時的に共闘関係を結ぶ……戦記物の定番ですね。
いまこの瞬間だけは、肉体の進化を棄てた機械兵さえ容認します」
強者を生み出すため戦乱に明け暮れる、赤の世界へ誘う者。
赤の竜の巫女メイラルが、仮初めの戦友を一瞥した。
「教えてもらうよ、精神……心の力というものを。
物質と情報、すべてのデータ化こそがファイナルフォームというファクトに、変わりはないけれどね」
機械とデータが人類を管理する、青の世界へ誘う者。
青の竜の巫女ユイは、視線を合わせようともしない。
「りゅうのみこみんななかよくするのー。ことほぐー」
精神の強さに応じた絶対的階級社会、白の世界へ誘う者。
白の竜の巫女ニノは、意味もなくクルクル回っている。
「ああ……凄い溢れています。巫女の祈りに不可能はありません。
全一の理念でともに混沌から破滅へ……アァン……」
「よくわからないくろのせかいもうべなうー。
ぼくもがんばってべんきょうするのー。ああんー」
「恥を知れ! 我ら総てだ!
恥晒しついでに個の強さと闘争心で、私を感嘆させてみよ」
ふと、ニノの回転が止まった。
いつも天真爛漫な笑顔が曇っている。
「しろのせかいがきえちゃうのー……てんしさまがー……」
真意が語られることはなかった。
しかし、竜の巫女たちはおおよその事情を察した。
白の世界の礎に、なんらかの動きがあったのだろうと。
共通の敵の出現はきっかけとなった。
だが、想い描くは神の打倒の先の先。
勝ち取るべき未来――
竜の巫女の手が差し伸べられた。
「汝、この世界を護ってはくれまいか?」
Illust. にもし/工画堂スタジオ
B19 覇神を穿つ者
切り株テーブルを挟み、ふたりの女性が臨時のティータイムを楽しんでいる。
かたや、大樹ユグドラシルの端末たる四皇蟲・ヴェスパローゼ。
かたや、高位の神・イシュタルである。
以前にも行われた密会と異なり、百目鬼きさらの姿はない。
「シャマシュが紅姫の魂根絶に関する契約を破棄してきたわ」
「あら、お気の毒」
「ご丁寧に私を眷属から外してね」
「『陽燦』は気分屋だから。
焼失させるにはまだ惜しい、とでも感じたんじゃないかしら」
「人間に情が移るなんてこと、あるの?」
「情というよりは愛着ね。好物を最後までとっておくことってない?」
「いいえ。特には」
「つまらないこと。
……ま、あんな年寄りのことはどうでもいいのよ。本題に入るわ」
「貴方のお仲間の誰かさんが先走って、予定が狂った件かしら」
「神に仲間意識なんてない。好き勝手やるだけ。
でも、半神だからって野放しにしておくべきじゃなかったかも。ごめんなさいね?」
「そうよ。人間やゼクスはユグドラシルの糧となるのに」
イシュタルの謝罪は上辺だけのものだった。
対するヴェスパローゼは文句こそ吐き出したものの、気にした様子もなく次の話題を切り出した。
「貴方、緑の世界の正史は知ってる?」
「誰に聞いているの? 私が創ったシナリオよ」
「あら、初耳」
イシュタルは空間に大きな樹木の映像を投影した。
緑の世界全域へ影響を及ぼす、大樹ユグドラシルである。
「ユグドラシルを繁茂させて人竜の世界を滅ぼす。それが私のシナリオ」
「ユグドラシルを繁茂させて植物の世界を繁栄させる。それが大樹の意思。
……悪いけど、貴方が描いた筋書きは修正させてもらうわ」
「いずれにしても、まだ人類に滅んでもらっては困る、ということね。
OK。ライバルに差をつけるまでは懇意にいきましょう」
「ライバル? ほかの世界を攻略している神のことかしら。
相変わらずのゲーム感覚、いい気なものね。こっちはいつだって真剣なのに」
「お生憎様。お陰様でいい暇つぶしになっているわ」
イシュタルが心底楽しそうに笑う。
一方、ヴェスパローゼは腕を組んで思案していた。
「さて、どうしたものかしら。
竜の巫女が人類の危機を打破できなかった場合、正史をなぞるどころじゃなくなるわね。
かといって、ギルガメシュ討伐に手を貸すなんて面倒で考えたくもない」
「正史って次はどうなるんだっけ?」
「貴方が考えたシナリオじゃなかったの?」
「細かい部分はどうでもいいから忘れたわ」
「大人になったきさらが一族の財産を使って、リンドヴルム協会って組織を擁立するの。
ただ、いまのあの子が人類の醜さに絶望するまでには、もうしばらく時間が必要ね」
「だったら、別の誰かをユグドラシルにすればいい」
「……へえ、いいわねそれ。考えたこともなかった。
きさらはまだ使い道があるし、ほかの誰かを大樹ユグドラシルにする方が効率的、か。
適合者を見つけるのは、それはそれで骨が折れそうだけれど」
「さっきからそこで息を殺して様子を伺っている坊やなんて、どう?」
「!!」
ヴェスパローゼの背後。
何者かが息を呑み、立ち去る気配があった。
「樹人化の核を唯一受け入れた人間……可能性は高そうね。
いずれ敵となるだろう芽を摘んでしまう意味でも、悪くない。俄然興味が湧いてきたわ」
「緑の世界の歴史を前倒しで始めるのが、最善の選択になりそうね。
あーあ、もっとじっくり遊びたかったのに!」
「私は緑の世界からユグドラシルの種を採取してくる。しばらく留守にするからよろしく」
「きさらちゃんの相手は私がしておくわ。あの子、可愛いんだもの」
「だったら、あなたがママになればいい」
「無理よ。きさらちゃんを見てると、脅したくなっちゃうんだもの。
いまだって、密会の場から追い出されたこと、うずくまって怯えてる。
もう用済みになっちゃったんじゃないかって」
「きさらの動向を監視しているの? 悪趣味ね」
「あなたに言われたくないわ」
ふたりの悪女はそれぞれの行動を開始した。
信用出来ない相手こそ、もっとも信用できるのである。
Illust. 柴乃櫂人
「ありがとな」
「仕方なくよ。怪我人を放っておけるわけない」
四大天使ウリエルの剣を授かり、天王寺飛鳥は一時的に天使の姿となった。
しかし、変わり果てた兄・天王寺大和に襲われ、地上へ墜とされた。
そこを通りがかった上柚木八千代に救助されたのである。
己の身に起きた変化や絶望的な状況に翻弄され、圧倒的な破壊の前になすすべもなく力を使い果たした飛鳥は、すでに普通の人間の姿へ戻っていた。
「でもって、ごめんな」
「なにが?」
「急いでたんやろ」
「ル・シエルの痕跡はここで途絶えたわ。
……どうせわたしたちじゃ追いつけなかっただろうし、MSKで作戦を練り直すから、いい」
「MSK?」
「わたしの詮索をする余裕があるなら、さっさと立ち上がって病院でも行ってほしいんだけど」
「ああ、それな」
飛鳥はこともなげに立ち上がった。
不器用に巻かれた血まみれの包帯を取り去ると、傷のあった個所を八千代に指し示す。
「怪我はだいたい治っとる。
ははっ、八千代ちゃんが一生懸命に看病してくれたおかげやね!」
「はあ? なに馬鹿なこと言ってんの。
やせ我慢しなくていいわよ。あんな大怪我、すぐに治るわけ、な……い……」
ため息をつきながら、八千代が飛鳥の身体をあちこち指でつつく。
哀れみの表情は徐々に焦りの表情へと変わっていった。
「いたた! 痛い、痛い! そんな激しくせんといて! まだ完治したわけやのうて!」
「……あんた、何者なの?」
「僕は天王寺飛鳥、見ての通りのイケメンや! それよりな。
さっき言うとったル・シエルって人、たぶん、僕の兄ちゃんやと思う」
驚いたり呆れたりと、ころころと変化していた八千代の表情が凍りつく。
あまりにも唐突にもたらされた情報だった。
「ル・シエルが兄……ってことは! あんた、ル・シエルの弟!?
2月14日生まれの16歳水瓶座高校2年生身長175センチ得意料理たこ焼きギャグの持ちネタ100万個の!?」
「兄ちゃんに何度も聞かされたんは分かるけど、知られ過ぎてて正直引くわ……」
「わ、わたしだってドン引きしてるんだからね!?
あんた、年下で胸の大きな女の子が大好きって言い回ってるんでしょ?
最低! 最悪! お好みに添えないわたしなんかの看病で悪うございましたーーーー!」
「んなこと自分から言いふらすわけあるかーい!
……って、八千代ちゃん。僕らどこかで会うたことあらへん?」
「それってナンパ? 手当たり次第? はっきり言って気持ち悪いんだけど……」
「ちゃうわ! 歩く品行不正の僕が、そんな軽薄な男に見えるんか!?」
「うん」
「あちゃー。勘弁してぇなー。かなわんわー」
きっかけは他愛ない会話。
事件以来、ずっと気を張り詰めていた八千代が笑顔を取り戻した。
「ふふっ。ル・シエルに聞いていた通りだった」
尊敬する人物の弟。
それだけなら、人見知りの八千代が気を許すには不十分である。
しかし、飛鳥には誰かれ構わず相手の警戒を解いてしまう、底抜けの明るさがあった。
「兄弟で闇と光、か……。
流石ね。格の違いを見せつけられた思いよ」
「なに感心しとるのか知らんけど、兄ちゃん、黒マント羽織って怖い顔しとらんかったか?」
「……うん」
八千代の表情が翳る。
いよいよサタンの話題へ移り、あの時の恐怖と喪失感に身体をすくませた。
「子供の頃からしょっちゅう悪魔の真似事しとったけど、現実にしてしまうなんてな。
さすがは兄ちゃんというか……。僕も人のこと言えんけどな。はは……」
天使化した姿を見ていない八千代が、飛鳥の意味深な台詞に首を傾げる。
「とにかく、あれは兄ちゃんであって兄ちゃんやない。それだけは分かってほしい」
「もちろんよ。あんなのル・シエルじゃない! 絶対にッ!」
「あー……なんとなくそんな気がしとったけど、その口ぶりでピンときたわ。
八千代ちゃん、フルネームは上柚木八千代ちゃうか?
上柚木綾瀬ちゃんのイトコで、14歳の」
「どうして知ってるの!?」
瞬時に飛鳥と距離を取った八千代が、じりじりと後ずさる。
「雰囲気が綾瀬ちゃんに似とるし、名前や特徴はさくらちゃんに聞いとった通りやしな」
「うかつだったわ、こんな変態に素性を知られるなんて。名乗るんじゃなかった」
「変態言うな! 年上を敬おうって気持ちはないんかーい!?」
「だったらル・シエルみたいに大人の魅力を身につければ?
さくらもさくらよ。人のこと、ペラペラしゃべってくれちゃって!
……ずっと逃げてたけど、そろそろ文句のひとつでも言ってやろうかしら」
最後のひとことは、自信のない消え入りそうな声。
けれど、喧嘩別れした双子姉妹は必ず仲直りできる。飛鳥は確信した。
「なによ、ニヤニヤして。心の底から気持ち悪い……」
「こっちの兄弟喧嘩もなんとかせなあかんな」
急に真剣な面持ちとなり、飛鳥は八千代へ訊いた。
「僕は兄ちゃんを捜すけど、八千代ちゃん、どないする?
僕としてはできれば、女の子を危険な目に遭わせたくないんやけど」
「バカにしないで!」
「言うと思うたわ。そんならそんでええ。
いまから僕らは仲間ってことになるな。助け合っていこか!」
「ナカマ?」
常に他者との距離を置いてきた八千代にとって、あまりにも耳慣れない言葉だった。
「……もしかして、目的を共有する関係っていう意味の、あの、仲間!?」
「せ、せやね。やけに鬼気迫る雰囲気やけど、どしたん?」
「下僕でも眷属でも契約でもなく、仲間。えへへ……」
「八千代ちゃーん?」
「いいわ! あなたを哀れんで仲間になってあげる!
このわたしが仲間になるんだから感謝しなさいよね! くれぐれも足を引っ張らないように!」
「あっれー。どうして上から目線されとるんやろ? 慣れとるから構わんけどな!」
飛鳥が差し伸べた手を八千代は握り返した。
兄を、師匠を救うための戦いが、ここから始まる。
「その前にお客さんみたいやね」
どこにでもいる。
どこにもいない。
その姿は、ゆめうつつ。
いつからそこにいたのか、巫女服姿の少女が佇んでいた。
「いっちゃん最初にカードデバイスをもろうて以来か。
僕のあの変化には意味があるんやな、竜の巫女はん?」
「竜の息吹を与え、素質を覚醒させた。お主の身に危急が迫っていたのでな」
「空から降ってきた剣の影響や思うとったけど、それだけじゃなかったんか」
「天王寺飛鳥、特異点と呼ばれし者よ。人竜の窮地を救うのじゃ」
「人竜の窮地? 特異点?」
「ほどなく混沌の神が降臨しよう。
彼奴を止めねば、人類は滅ぶ運命じゃ」
「なんやて!?」
「上柚木八千代」
竜の巫女は八千代へ顔を向けた。
「……答えは出てる。
わたしに、わたしたちへ、力をちょうだい」
◆ ◆ ◆ ◆
飛鳥と八千代は竜脈を通り、決戦の地を訪れた。
竜の巫女からは、戦力が整うまで待機するよう告げられている。
戦力がなにを差す言葉なのか知らされないまま、ふたりは不安な夜を迎えた。
こんな時に、大好きな八千代の隣にいるのは自分じゃない。
アルモタヘルは自己嫌悪に苛まれ、頭を垂れた。
「元気がありませんね、災禍の顕現者」
「フィエリテさん……普通に呼んでよ」
溜息をつきながら、アルモタヘルがフィエリテに悩みを打ち明ける。
「僕ね、分からないんだ。
どうして八千代は竜の巫女から不思議な力を受け取ったんだろう」
彼の姿は以前と比べ逞しく変貌していたが、気弱な本性は変わらずだった。
「私たちに必要な力だと思いますが?」
「でも、僕たちはずっとふたりで頑張ってきたんだ。それなのに……。
僕のこと信じられなくなったのかな」
「心配して損しました」
「ひどい!」
「正解を教えましょうか?」
「フィエリテさんは分かるの? ま、待って、少し考える!」
夜空の彼方へ逃げ去る黒鳥の背中へ、天使は囁いた。
「貴方が大切なんですよ、アルモタヘル。
彼女が守り通した信念を曲げるほどに」
Illust. 百舌鳥/工画堂スタジオ
黒崎神門と都城出雲。
自衛隊北九州方面隊の最高責任者と、最高責任者代理である。
かつての同朋は、いま、袂を分かとうとしていた。
アレキサンダーとガーンデーヴァが武器を構え、間合いを測る。
これがゼクス同士の戦いであれば、弓と剣で、出雲側にいくぶん分が悪い。
しかしながら、出雲の刀は神・ナナヤの恩恵を受けし《断罪ノ刃》。
あらゆるものを両断する切れ味を持つ。
雌雄を決するはずの戦い。
その幕切れは……あまりにもあっけないものだった。
「都城?」
反射的に神門の前へ躍り出た出雲の腹に、風穴が開いている。
「都城!」
「黒崎さんを、断罪するのは……私……で、す…………」
力なく神門へしなだれかかるように崩れ落ちる出雲。
その背の向こう側に、返り血を浴びて紅に染まる者があった。
「人の温もりを感じます。神様の隠し味が絶妙です」
出雲の身体を貫いた手の甲を舐め言葉を紡いだ少女は、倉敷世羅に瓜ふたつ。
神門には、その口調と姿形を併せ持つ人物に心当たりがあった。
「崇高なる死闘を邪魔立てするとは許せぬ! 覚悟はできておろうな!?」
すぐ側にいるアレキサンダーの激昂すら耳に入らない。
吐息は乱れ、胸の鼓動は脳幹まで響いた。
神門は出雲を腕に抱いたまま、かすれる声を絞り出す。
「春日? おまえ、ほんとうに、春日なのか?」
「おかしなことを言います。ほかに誰がいるのです?
まさか世羅ちゃんと見分けがつかないとでも言うのですか?
春日はショックです」
「……ッ」
「いけません黒崎さん! 離れてください! 貴方の妹さんは、もう……すでに……」
出雲は春日の魔性にいち早く気付いていた。
そして、聞く耳を貸さなかった神門をかばう形で……殺された。
「お久しぶりです、みか兄様」
ブラックポイントの出現に巻き込まれ、死んでしまったと考えていた妹が目の前にいる。
叩き込んだ知識で、未知の世界の技術で、復活させたいと考えていた妹が目の前にいる。
しかし、現実を受け入れることができない。
「私を待たせ過ぎた罰として、みか兄様のすべてを没収します。敵も味方も、知識も生命も」
想定していた形とは異なるが、生きているなら良いのではなかろうか。
多少概念が異なるだけで、ずっと実現を夢見ていたクローン春日と大差ないではないか。
考えがまとまらない。
疑問を口にするのがやっとだった。
「おまえ、どうしてしまったんだ……?」
「みか兄様、知っていますか?」
春日がディアボロスの仮面を外し、柔和な笑みを浮かべる。
時間が止まったかのように、その顔つきは記憶の中の妹そのままだった。
「仮面をかぶっただけでは、まだ、ディアボロスの能力を備えた人間に過ぎません。
ですが、仮面に欲望を掻き立てられます。人の血を求め、死に至らしめんとする欲望です。
その欲望に抗うことがどれだけ辛いか、心を蝕むか、想像がつきますか?」
饒舌な神門が口を開かない。
「最初はただ、みか兄様の誇りに傷をつけたくない一心だったような気がします。
過ちを冒さないよう、残りわずかな理性で欲望を抑えつけ、ずっと、ずっと。
あれから3年以上、ずっと、ずっと。終着点の見えない時間は地獄でした」
雰囲気に呑まれ、口を開けない。
「つい先日のことです。
見知らぬ通り魔を返り討ちにしたことで、ついに血の味を知りました。
もっとも、生命は奪っていません。ギリギリのところで春日は貞操を守り抜いたのです」
「なにを……言っているんだ……?」
「あれ以来春日は身も心も疼いています。誰かを殺したくてたまりません。血の味が忘れられません。でも、春日の初めてを捧げるに相応しい人はみか兄様をおいてほかありません。愛するみか兄様が春日のためにこの地を訪れたことは知っていました。だから呼びかけました。なかなか姿を見せてはくれませんでしたが春日の声は届いていませんでしたか? どうして気づいてくれなかったのですか? でももういいです。こうしてついに想い人へ出会えたのですから。みか兄様のお顔を見かけた時は心が震えました。みか兄様の生命を夢を未来をすべて奪って春日はついに人間であることを棄て苦しみから解放されるのです! ……その、はずでした」
春日は優しげな微笑みを浮かべたまま、神門の腕の中で眠る出雲の髪をつかむと、その亡骸を乱暴に地面へ叩きつけた。
「なのに、この男がッ……! 春日とみか兄様の邪魔をした!」
そのまま、もの言わぬ出雲を力任せに蹴りつける。何度も、何度も。
神門の頬を一筋の涙が流れ落ちた。
「みか兄様の血でディアボロスになれる、二度と訪れない機会を、この男は奪った!
強欲たる私から、至福のひと時を奪い去ったのです! こんな屈辱はありません!」
「……やめろ、春日」
「ディアボロス! こっちを向きなさい!」
ガーンデーヴァが矢の先端を春日の心臓へ向けていた。
急所を外さない自信はある。どんなに強い力の持ち主でも致命傷を負わせられる。
手を離せば、必ず出雲の仇を取ることができる。
「こんな結末のため、私は神の甘言に乗ったわけじゃない! 認めないわ……」
しかし、その矢が放たれることはなかった。
覇気を失ったガーンデーヴァは唇を噛み、崩折れた。
春日は出雲の亡骸を蹴り上げると、それを盾にしたのである。
「春日、そんなことをしてはいけない。
辛かったら俺が代わってやる。痛みを背負ってやる。おまえにならこの生命捧げても惜しくはない。
だからどうか、せめて心は人間であってくれ。お願いだ。頼む……」
「神様の力? 笑わせてくれます。
こんなにも脆い。たったの一撃です。ゴミクズ以下です」
「春日の顔でそんなことを言うのは、そんなことをするのは、やめてくれ……」
「しっかりしろ、神門!」
「やめてくれやめてくれやめてくれ、頼む、やめてくれ……」
神門が焦点の定まらない瞳から滂沱の涙をこぼしている。
アレキサンダーが初めて目にする、彼の儚げな姿だった。
「旅はこれで終わりか? 否!
余が認めた天才軍師は決して歩みを止めぬ!! そうであろう!?」
「いいえ、おしまいです」
「やめてくれ!!」
目を固く瞑り、
耳を両手で塞ぎ、
神門は、心を閉ざした。
Illust. 狗神煌
「ミッションコンプリートデース!」
一部始終を見守っていた獅子島七尾による、歓声と拍手が響いた。
双絶正義ヴェイバトロンがローレンシウムとサイクロトロンの2機に分離。
頭部から大地に光が照射され、それぞれのパイロットが降りてくる。
「……疲れた。無駄な演出ばかりでリソース燃費が悪すぎる」
「サイコーにカッコ良かったよ! ヴェイバトロン……すごいやっ!」
「かつてない数値のジャスティススピリッツが観測されたな、セントレイ!
さすがは私が見込んだ正義の使者だけのことはある!」
「あんなポーズが合体起動キーに設定されてる意味も分からない……」
ゴキゲンと不機嫌の二極。
盛り上がっているのは戦斗怜亜とローレンシウム、沈んでいるのは雷鳥超である。
「うまくいったのは、みんなが応援してくれたのと、竜の巫女パワーのおかげだよ!」
青の竜の巫女ユイは邪竜を倒すため、超へ竜の加護を授けた。
邪竜討伐を見届けた彼女は怜亜と七尾の前にも現れ、同様の加護を与えた。
以来、3人のゼクス使いとしての能力は、ひとまわり成長している。
ユイは怜亜と七尾にも加担した理由を “雷鳥超のついで” と語り、ふたりの純真な子供たちは疑問を持つこともなく、素直に受け入れた。
「レイアとスグルだけズルイ! ワタシだって合体したいデース!」
「おっと。男と男のアツい世界に土足で踏み込もうというのかな、セブンステイル?」
「気色悪い表現をするな、ローレンシウム。
それに獅子島、シンクロトロンだってアップデートされたんだ。十分だろう」
「ぶーぶー」
「ドクター、貴方を初めて恨みます……」
「ん。いまの声、誰?」
「ドクターって?」
怜亜と七尾の疑問を受け、超が座り込んだまま気怠そうに返答した。
「サイクロトロンだ。僕以上にショックを受けている。ドクターは機体開発者のことだろう」
「うおお、初めて聞いた! うおおおお!」
「うおおおおデース!」
「あはは……。いずれにしても合体機能の運用試験は予想以上の成果を収めましたね」
賑やかな面々に圧倒されているのは、マーメイドのルートヴィヒ。
青の世界から三神器をパワーアップさせるデータをもたらした人物である。
「で? おまえたちは三神器のアップデートをエサに、なにを要求する?」
「そう言われると身も蓋もないのですが……。
ひとまずみなさんの身柄は我々革命軍に預からせてください」
「長らく放置しておきながら、僕らの用途を思いついて懐柔か。
あてのない逃亡生活よりはマシだが、虫のいい話だ」
「ムゥ。スグルはひねくれ過ぎデース」
「いえ。革命軍も再編にかかりきりだったとはいえ、ご指摘通りです。すみませんでした」
「青の世界にも、まだ味方が……。
いろいろ教えてくれてありがとう、胸の大きなお姉さん!」
「ルートヴィヒです。できれば名前で呼んでくださいね」
三神器のパワーアップは子供たちへ希望の光をもたらした。
怜亜に眩しい笑顔を向けられ、ルートヴィヒは苦笑する。
「怜亜君、この前は顔を見るなり逃げ出してごめんなさいね。
我々のリーダーにあまりにも似ていたため、びっくりしてしまいました」
「いいよいいよ気にしないで! 胸の……違った、ルートヴィヒさん!」
「……とっとと用件を話せ」
「あっはい! まず、みなさんへ紹介したい方がいます」
ルートヴィヒの手の平に置かれたデバイスから空中へ、見知らぬ人物が投影される。
どこかで見たような顔つきの青年は、重苦しい声色で語り始めた。
『こうして顔を見せるのは初めてか。
俺はアドミニストレータ カノープス。訳あって革命軍のリーダー代行をしている。
メタルフォートレスはもちろん三神器の設計・開発者でもある』
「ワオ、スグルそっくりデース!」
「僕はあんな間抜け面じゃない」
並行過去世界の自分たちとの対面に感極まったカノープスの頬が緩んでいる。
事実関係を知らされているルートヴィヒは、リーダー代行の意外な一面を暖かく見守った。
部下の笑顔に気付いたカノープスは取り繕うように真顔へ戻り、言葉を続ける。
『あー……んっんんっ。
……大人に裏切られ続けたおまえたちへ、恥を承知で頼みがある』
「いいよ。3人で青の世界へ行く」
迷いのない凛とした声。
勝手な返答に驚いた超が、怜亜の胸ぐらをつかんだ。
「戦斗!」
「困ってる人の頼みは聞かなくちゃ。正義の味方だろ?」
「おまえの正義を押し付けるなと言っているんだ!」
「だって、革命軍って人魚さんばかりなんだよね? 女の子は守らないと!」
「そっちが本音か! おまえという奴は!」
「は? なにもおかしなこと言ってないだろ!?」
「みっともないデース! 男の子はすーぐケンカするんだから」
『懐かしい光景だな。惜しむらくはメンバーがひとり欠けていることか』
『感傷に浸っているところ悪いが、割り込むぞカノープス』
3人にとっては初めて聞く声、カノープスにとっては思いもよらぬ声。
ルートヴィヒの端末から新たな人物のビジョンが投影された。
『おまえは……ポラリス! 生きていたのか!?
アステリズムに捕まって処刑されたと聞いたぞ!?』
『久々に死の恐怖を味わわされたわ。
隠しておいた記憶と生体情報のバックアップを片っ端から消去されてのう。
だが、さすがのシャスターといえども竜の巫女とのつながりまでは突き止めておらんかったようじゃがな』
『カードデバイスを共同開発したという不思議な少女か』
ポラリスは頷いた。
ゼクス使い必携の《カードデバイス》は現代の科学者が開発したものである。
しかし、ポラリスと竜の巫女の口添えがあったことは、ほとんど知られていない。
『いずれにしても、おまえがいれば百人力だ。すぐにも革命軍へ復帰できるか?』
『急くな。件の竜の巫女から悪い報せがある。並行過去世界の人類存亡の危機じゃ』
『知っている。ギルガメシュという神の仕業だろう? その混乱の隙を突くのが次の作戦の根幹だ』
怜亜と七尾が首をひねり、カノープスとポラリスの対話を呆けた表情で見守っている。
「並行過去世界ってなんだっけ?」
「ウゥム……。なんだっけ?」
唯一、すべての事情を察した超は面倒そうに舌打ちした。
「並行過去世界というのは、青の世界から見た僕らの世界。
つまり、現代世界。もっと分かりやすく言うなら、いまいるココだ」
「ホワッツ!? ワタシたちの世界が滅茶苦茶にされちゃうデースか!?」
「HAHAHA! その通り!」
「笑い事じゃないだろ! そんな危ない奴、とっとと倒さないと!」
「カノープスさんの用件は、どーするデースか?」
「……青の世界は、後回しだ」
「宣言の撤回はジャスティスな判断ではないな、セントレイ」
「言われなくたって分かってるよ! おまえは黙ってろ!」
「あーれー!」
怜亜はローレンシウムを格納したカードデバイスを握りしめ、わなないた。
困っている人を見捨てるような己の発言に、嫌気が差す。
しかし、湧き上がる正義感を押し殺すしかなかった。
「こっちには家族がいるんだ。友達がいるんだよ。しょうがないだろ……。
獅子島さんや雷鳥だって、そうだよね!?」
「ワタシもパパやママを危険な目に遭わせたくないデース……」
怜亜のすがるような訴えに、七尾がうつむきながら同意する。
しかし、超だけはまったく異なる反応を示した。
「好きにしろ。僕は革命軍へ入る」
「は!? なんでだよ!」
「こんな世界、どうなろうと知ったものか。
唯一、神の仕業という点だけは癪に障るがな」
「ふたりそろわないと、ヴェイバトロンに合体できないんだぞ!?」
「諦めろ。そもそも僕はおまえが嫌いなんだ。
ようやくお子様たちのお守りから解放されそうで、晴れやかな気分だよ」
「雷鳥……おまえなあっ!!」
「怜亜君、超君、やめてください! こんなことをしている間にも――」
『青の世界ではデネボラが陽動を行っているが、時間稼ぎには限界がある』
おろおろしながら仲裁に入ったルートヴィヒにカノープスが追従する。
『セイント・レイやセブンステイルのように隣人を想う気持ちは大切だ。
サンダーバード、おまえにだってまったく理解できないわけじゃないだろう?』
「さあな」
『だが、俺にも革命軍のリーダー代行という立場があるのでな。
敢えて厳しい選択を迫ろう。ふたつにひとつだ、正義の使者諸君』
カノープスは3人の子供たちへ告げた。
『シャスターに支配された青の世界と、神に蹂躙されようとしている並行過去世界、どちらを救う?』
「……悪いけど、さっき言った通り」
『ただし』
怜亜の言葉をさえぎるように、カノープスが選択肢に補足を加える。
『直ちに革命軍へ加わる意思がないなら、三神器は返してもらおう。
パイロット抜きでは性能の半分も活かせないが、それでも貴重な戦力なのでな』
「なっ!? そんなのアリかよ!!」
それは、単なる戦力没収の宣告ではない。
ずっと一緒に戦ってきたローレンシウムとの別れを意味していた。
「サイクロトロン、シンクロトロン、ローレンシウムがなければ、神へ立ち向かう術はない。
残念だったな、戦斗。僕らの世界はおまえの正義じゃ救えない!」
「雷鳥……なんだよ……なんなんだよその余裕は!?
こんな時にまでカッコつけやがってムカつくんだよ!!」
「やるのか? なんなら腕力で勝負してやっていいぞ」
「このやろう!」
拳を振り上げ超へ向かっていった怜亜は、たちまち両腕をつかまれてしまった。
腹に膝蹴りを喰らいそうになり身を捩ったが、バランスを崩したところで足をかけられる。
怜亜は顔面から大地へ叩きつけられた。
「がふっ」
「あわわわ。どうしよう。どうしましょう。
リーダー代行! 怜亜君と超君を止めてください!」
カノープスは沈黙を貫いている。
代わりに声を張り上げたのは七尾だった。
「みっつの心を、ひとつに!」
いつも控えめな彼女の大声に驚き、皆が一斉に振り向く。
「ワタシは3人の誰が欠けても嫌デース!!
最初は、ライバル同士だった。追われる身になって、仲間になった。
苦しい時も楽しい時も、一緒デシタ。とーーーーっても、大切な思い出デース!」
「獅子島さん……」
「せっかく仲良くなれたのに……。
こんなところで、こんなことで、終わっちゃうの?
悲しすぎるデースよぉ……。うわああああん!」
「……ごめん」
鼻水混じりで大泣きの七尾を目の当たりにした怜亜は、ひとこと謝るだけで精一杯だった。
馬乗りになって拳を振るっていた超もバツが悪そうに立ち上がり、怜亜へ背中を向ける。
怜亜は鼻血を袖口で拭うと、腕組みをして座り込んだ。
『相変わらず交渉がヘッタクソじゃのう……。
子供を追い詰めるのも感心せんぞ、カノープス』
『手段を選んでいる余裕などないんだ、ポラリス。
俺が洗脳されていたばかりに、あいつはベガの罠に落ちた。
余計な時間を喰っている間に、あいつは、あいつはどんな目に遭っているのか……!』
『アルタイルのことは残念じゃったが、無事を祈るしかあるまい』
アドミニストレータ ポラリスとともに《シャスター破壊計画》を進行していたカノープスには、企みを見抜いたアドミニストレータ ソルに洗脳され、二重人格のスパイとなっていた時期がある。
それは、アドミニストレータ アルタイルが独自に準備していたマーメイドたちによる革命失敗を引き起こし、アルタイル自身もアドミニストレータ ベガ率いる治安維持部隊《リヴァイアサン》に囚われる要因となった。
いまは逆にアルタイルが洗脳され、あてつけとばかりにカノープスの洗脳は解除されている。
マーメイドたちが正常な人権を得るための革命、機械による管理を終わらせるためのシャスター破壊。
これらを同時に成し遂げることこそ、カノープスが再編成した《革命軍》の最終目標である。
『神器使いのほかにも、手駒ならあるじゃろ?』
『は?』
両手を広げたポラリスが、大げさに肩をすくめてみせる。
発言の真意に気付いたカノープスは、立ち上がって激昂した。
『バカ言え! 最重要戦力に抜けられてたまるか!』
『妙なことを言う。もともと次の作戦に妾の名は入っておらんじゃろう?
なにせ “アステリズムに捕まって処刑された” と思われとったようじゃし』
『うっ。それは、そうだが……くそっ……失敗した。
もういい好きにしろ! ルートヴィヒ、これよりおまえはポラリスの指揮下へ入れ!』
「は、はい! ……はい!? それってつまり……」
『革命軍大規模指令《シャスター破壊作戦・弐式》の参加者には追って連絡する。以上だ!』
「カノープスさまーーーー!? 私にも神と戦えとおっしゃるんですか!? はぅぅぅぅ……」
すがりつくルートヴィヒを振り払い、カノープスは一方的に通信を切ってしまった。
ビジョンを投影していたデバイスが無機質な音をたて、地面に転がる。
大泣きの七尾、険悪な怜亜と超、放心するルートヴィヒ。
最凶に気まずい空気をものともせず、ポラリスが一同へ語りかけた。
『自己紹介がまだじゃったな。
妾はアドミニストレータ ポラリス。革命軍の参謀のようなものじゃよ。
正義の使者たちよ、あの馬鹿の話はさておき、ひとつ妾の頼みを聞いてはくれんか』
「ハ、ハイ……」
涙を拭った七尾が、ポラリスを投影しているデバイスを拾い上げた。
『どうか、おぬしらが過ごした世界を妾に守らせてほしい』
「ホワイ? どーして?」
『並行過去世界には愛着があってのう。どうにもほっとけんのじゃよ。
なにより、妾は人間が好きじゃからな!』
「で、でも、神様ってすっごく強いんじゃ……」
『心配無用。神へ挑む者は妾だけではない。その代わりと言ってはなんじゃが』
「いいよ。青の世界の戦いにはやっぱり僕たちが行く。もう迷わない。
こっちが心配なのは変わらないけど、僕たちは、僕たちにしかできないことをやろう」
怜亜の決意に、七尾がうなずく。
超は軽いため息をこぼしただけで、反論しなかった。
「行こう獅子島さん、未来へ!
雷鳥、おまえとの決着はお預けだ!」
「日を改めれば勝てるとでも思っているのか?
次は完膚なきまで叩きのめしてやるから覚悟しておけ」
憎まれ口だけ叩き、すぐさま視線をそらす怜亜と超。
七尾はそんなふたりを優しげな笑顔で見守っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「それでいい。
並行過去世界の存亡は名無しの竜の巫女に任せるよ。あいにくユイは忙しくてね」
「革命戦がどう転ぼうと、約束されているものがある。そう、さらなる進化だ。
他世界と神が仲良く遊んでいる隙に、青の世界は一歩先へ進ませてもらうよ。
ディストピアへ向かう未来に、修正パッチを当てなくちゃね」
Illust. べっかんこう